2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

 何はともあれ、G7広島サミットが、何事もなく、無事終わって良かったと安堵していますが、サミットの前から、思わぬところで、その影響を受けた方も多かったと思います。
 実は私、サミット2日目の5月20日(土)の朝、所用あって、バスで、広島市内の中心部へ向かいましたら、街のいたるところで、大勢の警察官や、特殊車両・護送車の様な車が列をなして配備されていて、警察官のチョッキの背中には、各県の表示。車のナンバープレートを見ても、ほとんど、県外のものでした。それもそう、何しろ、2万4000人規模の警察官が広島に配置された厳戒体制と言う事でしたから…。
 私が乗ったバスは、道の両側に、パイプ状のバリケード柵が長くつなげてある中を、八丁堀から紙屋町へと、何とか走れていましたが、紙屋町の交差点を右折しようとした時、急に警察官の停車合図が出されて、バスの横を走っていた市内電車と一緒に停められました。これは、サミット参加の要人の車が、宿泊しているホテルから宇品島のサミット会場に向かう為、一般の通行が停められたものでしたが、20分位のちに、警察官の指示によって、やっと右折を許されて…冗談ながら、G7サミットを肌で身近に感じた時間ではありました。

 それと、市民生活への影響も色々あった中で、休みと決めた会社もあって、飲み処も昼も夜も、休みのところが多かったので、私も毎日、自宅待機状態…テレビのサミット関連の番組を見ておりましたが、要人が、着いた出発したと言う事は、中継レポートでわかりましても、会議の様子は、数カット伝えられるのみで、内容については…。記者や、ゲストの説明がありますが、私が思う事と違って、納得出来ない話や…恥ずかしながら、私の理解力が及ばないのも…理解しようと思うのですが…「いたしい(むつかしい)話じゃのぉ~」と思って、自分をなぐさめ…「ほこ」を納める事多し――。

 ま、とにかく、何事も無くサミットが終わって良かったのですが、それにしても、市街地には、警察官が至る所に…警備の車も数珠つなぎの様に。中心市街地や関連地域は、例えば「石を投げれば警察官にあたる?」。落ちている1円玉も拾えない感じの、何が何だか、うっすらと疲れる緊張感の日々だった様な…。
 そもそも、海外からの多くの要人を迎え、無事にお帰り頂く事は、大変だろうと思ってはいましたが、想像以上に、ものものしく、大変だったと言う所でしょうか。夜中も、警戒のヘリコプターの音が、毎夜、遠くに聞こえておりました。

 ところで、これは、個人的な話で申し訳ありませんが、G7サミットの重要な会議が行われた宇品島の、グランドプリンスホテル高階の、円卓テーブルが置かれたあのスペースは、多分そうだろうと思いますが(あれでも階が違うかも知れませんが?)、実は、私がアナウンサー時代、気に入っていたスペースで、会社が休みで天気が良ければ、時々行っては、食事とお酒を頂きながら、静かなひとりの午後を過ごしていた所です。
 個人的な事と混同して申し訳ないと思いつつ、「私の爺1サミット」の場…嬉しい様な…何と言っていいものか…。そこより眼下に広がる景色は、広島湾の、出船、入船…さらに、その遥かには、遠く霞む瀬戸の島々も一望出来、ひそかなパワースポットでもありました。

 そこからの夕日も綺麗です。たまたま、昔、スマホに残した写真がありました。これは、私が定年退職した翌年、2008年1月のものと、2008年4月のものです。

2008年1月撮影
2008/01/09 17:04
2008年4月撮影
2008/04/04 18:26

 又、この場所で詠んだ拙い句も残していました。

     あふれゐる旅愁港の秋夕焼ゆやけ     ひろし
     冬入陽ふゆいりひ瀬戸へ一太刀ひとたち金のほこ     ひろし
     今日の日よらば冬陽ふゆひへ明日を酌む     ひろし

 何はともあれ、サミットは無事終わりましたが…お疲れ様でした。
 お身体ご自愛ください。                    煙石博

2023年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.5.1(旧暦3.12)今年の5月は・・・ちょっぴり緊張する月・・・?

2023.5.1(旧暦3.12)今年の5月は・・・ちょっぴり緊張する月・・・?

 風薫る5月ですが、今年は様子が違い、青葉若葉が燃える開放的な行楽シーズンに加えて、今年は5月19日(金)~21日(日)に、広島の元宇品町で、G7サミット(主要国首脳会議)が開かれますので、ちょっぴり緊張感のある日々が加わりそうです。

 そう言えば、広島でG7サミットが開かれると言う事で、教育関係では、早くから登園自粛や、臨時休校等が決められたり、他にも色々と、サミットの安全の為の協力体制がシフトされている様です。

 その直接の影響では無いにしても、4月あたりから、平和公園から広島市中心部のメインストリート、本通りの人波の中に、外国からの旅行者がかなり増えていて、G7サミットが広島で開かれると言う事が、或いは、広島へ足を運ぶ、かすかな遠因になっては・・・いないだろう・・・なぁ~等と、思いを遊ばせてみたりするところです。

 メイン会場となる向宇品(むこううじな)は、広島っ子にも、島と言う意識は薄い身近な海辺の海浜ですが、さかのぼると、1893年、明治26年に、眼鏡橋(現在は、よく注意しないと気付かない様な、暁橋・あかつきばし)で、宇品と陸続きになった周囲約3キロ、標高52mの小さな島です。

今では、港、釣場、磯遊びの行楽の場、そして、ロマンあふれる燈台もあって、夕日のベストスポットでもありますが、安芸小富士や、世界文化遺産の地、宮島の弥山等の、瀬戸を望める憩いの場で、日がな潮騒に包まれた景観豊かなアイランドです。
昔、今時分の元宇品で詠んだ拙句ですが・・・。

     山藤の湾一望の高さかな     ひろし

 ところで、この宇品島の由来は、牛がうずくまった姿にも見えるところから、牛の島、牛奈島・・・うじなと言われる様になったと伝えられていますが、薄田(すすきだ)太郎さんの「続々がんす横丁(昭和48年1973年発行)」の中でも、『元宇品は、またの名を向宇品というが、昔は、うっそうとした熱帯植物が茂っていた離れ島であった。

元和5年(1619年)に描かれた安南郡絵図には「牛奈島」と書いてあったという。
・・・広島市史の編者は、次のように書いている・・・想ふに、元和5年の絵図に「牛の島」と書いてあるが、その表現を思うに、この島の形が、あたかも、臥した牛に似ていたために「牛の島」といわれ、それが、転訛して「牛子島」といわれ、さらに「宇治奈島、氏名島、宇品島と文字が変化したものであろう。

・・・ふした牛に似ていたために「牛の島」といわれたのは、比治山の姿が、あたかも虎のふした形に似て、「臥虎山(がこざん)といわれたのと同じタグイである。

・・・元宇品は全島老樹におおわれ、山中に繁茂している熱帯植物は、明治42~3年頃、本多静六博士が発見して、一躍、古代原始林として脚光を浴びたものである。
筆者たちも小学生時代、先生に引率されて、この原始林をたずねた事を思い出す。』とあります。

今でも、この島は、ほとんどが海べりの広葉樹の原生林の森で、全国でもめずらしい、都心近くの国立公園地域に指定されている貴重な地域でもあり、昭和40年頃まで、桟敷が並ぶ「別世界(べっせかい)海水浴場(小さな水族館には、スナメリクジラもいた事があった)」としても、賑わっていた時もありました。

 又、この島の歴史を探って行くと、縄文時代の海食崖(かいしょくがい)や、戦国時代の落ち武者伝説や、秘仏伝説等、興味深い話も残されているところです。

 それにしても、毛利輝元が、広島城を築城し、そのあとの福島正則が、その南に、今の本通りとなった西国街道を作って、城下を発展させる町の基をつくった頃、その南を望んでみると、今の比治山も波に洗われる島で、向宇品となる「牛名島」や「仁保島(黄金山)」も、はるか海の中に霞んで見えていた事でしょう。

 その後、入城した浅野の藩政時代に、海を埋め立てては、土地をひろげ、幕末には、今の宇品の県立広島病院あたりまで埋め立てられて、現在の県病院前の大通りが、水路と土手として残され、弧を描く様に丹那橋の方へ続いていた様です。その土手の桜並木は、桜土手として、多くの人に親しまれていたと聞いています。

 さらに、明治になって、当時の広島県令(県知事)でもあった千田貞暁氏が、さらに南へ埋立地を広げ、そこが、ほぼ、今の宇品町と言われる事となりました。

 そうしてみると、広島は、本当に南へ南へと海を埋立てて発展して来た事をうかがう事も出来ます。

 何はともあれ、広島サミットの成功を祈りますが、今年はG7サミットの為に、例年なら春本番の花の祭りフラワーフェスティバルが、例年より、1ヶ月余り後の6月10日(土)と11日(日)の二日間となっています。
1ヶ月遅れのフラワーステージ、花の顔ぶれが、多少違った祭りとなるかも・・・。

 今回のブログは、G7広島サミットによせて書きましたが、貴重な時間を頂き、ありがとうございました。

 異常気象の為に、本来、穏やかな日本の四季が、ままならぬ状況になっている事も心配するところで、それだけでも、ストレスを感じますが、これに加えて、世の中は、あれや、これや、ただならぬ事ばかりの大変な世の中・・・。何とか、平穏な日々への光が見えて欲しいと願います。お身体ご自愛下さい。

     つ国の戦禍寂しき豆の飯     ひろし

煙石 博

2023年4月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.4.1(旧暦2月11日)秘話…演歌「比治山慕情」は、この茶店から…。

2023.4.1(旧暦2月11日)秘話…演歌「比治山慕情」は、この茶店から…。
 春爛漫となる4月。百花繚乱花開く季節を代表する花のひとつが、日本人の感性を呼び覚ます桜でしょうが、桜に出逢うと、いつもながら、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」を実感するところです。
 桜と言えば花見…。忘れる事が出来ない花見は…6年前の2017年3月10日、最高裁で、滅多に出さない無罪判決を勝ち取れ、冤罪が晴れた、その4月。TV局の取材に応じ、広島の花見どころ比治山の、市街を一望出来る富士見展望台での花見です。
 その時の拙句ですが…。

     雪冤せつえんの空を気儘きままに花吹雪く    ひろし
     雪冤の落花は眩ししみなく   ひろし

 思えば、私に冤罪が降り掛かって来たのは、2012年10月11日の朝、広島県警南警察署の2人の刑事に、突然、不当逮捕された事でした。その後、南署の留置場に、28日間勾留され、自白を強要されましたが、無実を訴えて、広島地裁で1年、広島高裁で1年の法廷闘争を闘うも、多くの皆様のご支援を頂きながら、確たる証拠も無いのに、懲役1年、執行猶予3年の、よもやの有罪判決を受けました。
 さらに、最高裁での2年5ヵ月の苦しい日々は、支援して下さった皆様のお蔭で、繁華街でのマイクを通しての無実の訴えや、ビラ配り、また、署名活動にも、ご協力頂き、署名は短期間に1万人にも及びました。それも、これも、改めて皆様のご支援に心からお礼を申し上げるばかりです。
 ところで、広島の桜の名所でもある比治山公園には、東側の段原側から、スカイウォークで上る事が出来ますが、そのエスカレーターで上がった所に、「ウグイス茶屋」が(長く閉店したままになっていましたが)取り壊されて、さら地にされました。

 そこから石段を少し上がった広場(トイレと駐車場がある場所)にあった「ひかり茶屋」も、お店のお婆さんが亡くなられたあと、長らくそのままになっていましたが、そこも取り壊され、さら地にされて、すっかり様子が変わってしまいました。

 この比治山には、私の家から近い事もあって、若い頃から、四季を問わず、心の安らぎを求めて訪ねておりましたが、帰り道には、よく茶店によって、お酒をいただきながら、風流を愉しんでいました。その「ひかり茶屋」のお婆さんにも親しくして頂きましたが(その昔は、お爺さんも店を手伝っていらっしゃいました)。
実は、私が作詞をした演歌の「比治山慕情」(作曲は佐伯金次郎さん。歌手は新宅美奈子さん)の詩は、この茶店から生まれたものなんです。
そのお婆さんの「ひかり茶屋」は、スカイウォークのエスカレーターを上り切った所にあった「うぐいす茶屋」の上にありましたので、「ひかり茶屋」の外テーブルの奥まった席からは、下の「うぐいす茶屋」に幾つかある外テーブルを見下ろす事が出来ました。
花吹雪く頃は、時々、この下を見下ろせる席で、こちらから散った花びらが、下の広場へ吹雪いてゆく風情に、ひとりとて、「一杯(いっぱい)一杯、復(また)一杯…。」

その日は、花の時季を少し過ぎたウイークデーで、花見客が少なく、落花盛りの昼下がりでした。
静かに一杯やろうと、下の茶店を見下ろすテーブルに座って…花吹雪の行く先を見ると…目に留まったのが、訳ありげな、語り合うカップル。娘さんと、格好良さそうな中年の男性の様でしたが、2人の間には、微妙な歳の差…。何を話しているのか判りませんが、やっかみたくなる様な、羨ましい雰囲気は伝わって来るのです。
 散りゆく桜は、時を惜しむ様に、下の広場の方へ花吹雪いて止みません。桜吹雪は、この2人を、まるで宝塚の主役の如く演出しているかにも見えましたが、しばらくして…この2人は、桜が吹雪く中を、手を繋いで消えて行きました。
 その時、この2人のシーンから浮かんで来たのが、比治山慕情の一番にある「♪しのび逢うほど、別れがつらい、すすり泣くよな花吹雪~♪」
 セリフ「あんたとうちゃ~(わしゃ~)、橋の欄干みたいなもんじゃ。なんぼー待っても1つにゃぁなれんのよねぇ(のんじゃ)」
 …今でも甘い記憶として焼き付いているのですが、あの2人は、どういう関係だったのか、時の流れは、この2人の行く末をどうしたものか、知る由もありません。
 茶店もなくなってしまいましたが、遠霞みながらも、甘い記憶に残っているワンシーンです。

 のちに、広島の川と橋を絵に残された絵描きさんが、「広島の川と橋のある風景で、一番絵になる場所は、比治山を借景にした京橋川ではないか」と、話していらっしゃいましたが、京橋川に架かる京橋は、その昔は、京の都へ、のちに、江戸時代は西国街道の広島城下の出入り口…その下流に架かっているのは、柳橋(うなぎ料理店「こだに」さんのところに架かっている橋)で、この橋は、車は走れない、人だけ通れる小さな粋な橋です。そして、さらにその下流には、江戸時代に、鶴番小屋があったらしいので名付けられた「鶴見橋」。
 それぞれ、橋の名にも風情がありますが、それらが、演歌「比治山慕情」の舞台です。
「比治山慕情」は、「JOY SOUND」等のカラオケに入っていますので、歌われなくとも、リクエストして頂ければ、私に、2円か、3円の、ささやかな印税が入ります。宜しくリクエストをお願い致します。

 広島は水の都…比治山の展望台より生まれた句です。

     広島の百橋見ゆる花の山   ひろし

 ※四畳半独房日記は、次号にて…。
 お体ご自愛ください。                     煙石 博

2023年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.3.1(旧暦2月10日)「改めて、嬉しい無罪判決」独房日記⑱「恐ろしい形相で…

2023.3.1(旧暦2月10日)「改めて、嬉しい無罪判決」独房日記⑱「恐ろしい形相で…

 新しい年になって、あっと言う間に弥生3月。近年、「子・丑・寅…」の十二支が言えない若者も少なくないらしいのですが、今年の干支(えと)は何だったかと、思い出そうとしても、「え~と、え~と」と、すぐに思い出せなくなってくるので、「えと」。と、ジョークにもなりませんが、既に思い出す感じで、今年は「うさぎ年」でした。
そうだからでもないでしょうが、歳月もウサギの逃げ足の様に、早く過ぎ去って行くような気がします。そう言えば、昔、よく使っていた「1月いぬる。2月逃げる。3月去(さ)る。」そして、「4月は…知らない。」とは、私のジョークで(笑)。そんな言葉遊びを思い起こしてみると、何となく妙に古めかしく、ふと、遠くなっていく昭和を感じさせる、昭和レトロな表現なのかなぁ~と思ったりしますが…。古い人間になって行きますねぇ。

     逆らはぬすべつむぎし柳の芽     ひろし

 ところで、先月2月1日のブログ「心癒される…ニュース」で、津市の地裁で、私と似た窃盗の濡れ衣を着せられた男性が、「防犯カメラの映像には、窃取した確たる映像が見当たらない」として、無罪判決が出された事をお伝えしました。
 改めて書かせて頂きますが、私の冤罪裁判については、弁護士の久保豊年先生を始め、多くの皆様の5年にも及ぶ、死にもの狂いのご支援・闘いのお陰で勝ちとる事が出来た本当にまれな、最高裁での逆転無罪でしたが、この度の津市の地裁での無罪判決は、私共の最高裁での無罪判決が、よき判例として、強く影響を及ぼしている事は確かで、私共も、大変嬉しく思うところです。
 本当に良かったと思いますが、私の様な、えん罪で苦しむ方が少なくなる事を重ねて願うばかりです。
 さて、このあと久しぶりに、独房日記を綴りますが、私の場合の自白とは…やってもいないのに、やった事にしろと言う、とても許す事は出来ない人権侵害。後に担当刑事や、それに関わった当時の上司からも、何の謝罪もありませんでした。(今でも怒り…。)私は何も悪い事をしてない訳ですから、彼らが何故、そんな事をしたのかわかりませんが、「警察は、出世の為の点数稼ぎで逮捕する」といった、信じられないような世間話を聞いた事があります。もしかして私を逮捕した事も…。

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑱「恐ろしい形相で…」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

取り調べは、全く取り調べではありませんでした。刑事は、最初から私を窃盗犯と決めつけていて、私を犯人にするため強引に作文した犯行ストーリーの辻褄を合わせようと、ひたすら自白を強要するばかりで、(刑事みずから、私にウソばかりを並べたてて…私をだましながら、強引すぎる、都合のいい文言を作り上げようとする)ひどいものでした。
刑事は「防犯カメラに盗った証拠が映っているんだ!!」と強調するばかりで、私には、その映像は見せない。つまり、盗っていないと言う主張をあきらめさせ、示談の方向か、盗った事にさせ様と、方向づける為でしょう。私には映像は見せてくれない…見せられない筈で、お金を盗っている映像は無かったのですから…
 そして10月16日(火)のメモの最後に、「~今日の取り調べはきつかった。強引に自白を迫って来る刑事に「やってない!!盗ってない!!」と、喉が涸れる程訴えた。刑事は、机を、怖い程何度も敲いては、恐ろしい形相で私を威嚇し続けた。「お前は金を盗っている!!防犯カメラに証拠が映っているんだ!!」「盗っていないと言うお前は、ウソつきだから、防犯カメラの映像は見せない。見せると、又ウソをつく」。私「…?」その夜も、恐怖心の為、ほとんど眠れなかった、と記していました。
翌日、その事を弁護士さんに話すと、自信の無い事には、一切、拇印をつかない様にと言われましたが、実のところ、刑事は、余りにも執拗に自白を迫って来るのですから…自信はありませんでした。黙秘権を使えばいいと理解していましたが、刑事はうわ手、そうはさせてくれません。    ―――つづく―――

切り開く他なし明日へ春の星     ひろし

お身体くれぐれもお大事になさってください。        煙石 博

2023年2月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.2.1(旧暦1月11日)「心癒される…ニュースです。」独房日記は来月より…。

2023.2.1(旧暦1月11日)「心癒される…ニュースです。」独房日記は来月より…。

 実は、新年早々に知ったニュースですが、津市の地方裁判所が、窃盗の濡れ衣をきせられた男性に、防犯カメラの映像には、窃取した確たる映像は見当たらないとして無罪判決が出されたと言う報道がありました。以下、共同通信社の2023年1月4日の記事を掲載します。

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窃盗、男性に無罪判決 津地裁「犯罪の証明ない」
刑事2023年01月04日共同通信社
 津市でマイクロSDカードを盗んだとして窃盗罪に問われた同市の男性被告(56)に、津地裁が「犯罪の証明がない」として無罪判決を言い渡していたことが4日、分かった。判決は2022年12月16日付。
 判決などによると、被告は自営業の阿部和司(あべ・かずし)さん。津市の携帯電話販売店で21年11月、マイクロSDカード3個(販売価格計約6万5千円)を盗んだとして、22年2月、三重県警に逮捕された。
 中村海山(なかむら・かいざん)裁判官は判決理由で、防犯カメラ映像が不鮮明なため阿部さんがマイクロSDカードを上着のポケットに入れたかどうか判然とせず、「窃取したことが確実とは言えない」と指摘。別の人物が盗んだ可能性も否定できないと判断した。
 検察側は懲役1年6月を求刑していた。控訴期限は今月4日。阿部さんは共同通信の取材に「無罪判決で、自分がやっていないと分かってもらいうれしかった。勾留中は突然自由を奪われ苦しかった。冤罪(えんざい)だ」と話した。

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本当によかったですねぇ。お気の毒だった被告、阿部和司さんは、2021年11月に、65,000円相当のSDカード3個を盗んだとして、2022年2月に逮捕され…2022年12月16日に無罪判決が出された様ですが、よくぞ耐えて闘われました。本当に良かったと思います。併せて司法の尊厳を守られた中村海山裁判官の、合理的な正しい判断に基づく判決に、ほっとするところです。
ただ、私と同じ様に、阿部さんもですが、濡れ衣を晴らす事が出来たとは言え、逮捕された事がマスコミで報じられた時点で、社会的な不利益や、人権を失って仕舞っているという大変なリスクを背負ってらっしゃるのでは無いかと思います。これからも大変でしょうが、ご家族やご支援の皆様方と共に、頑張って頂きたいと思います。

    白梅の身に一点のけがれなし     ひろし

 ところで、私の場合、金を盗る動機は全く無いのに…しかも、鮮明ではない防犯カメラの映像とは言え、封筒から66,600円の現金を(行員がこちらを見ている狭い銀行ロビーで)抜きとって、ポケットにとり込む映像は無いのに、警察官が作った強引過ぎるでっち上げの窃盗ストーリーによって、とんでも無い窃盗犯の濡れ衣を着せられたものです。阿部さんの場合と似た点がある中で言える決定的なものは…要するに「防犯カメラの映像に、窃取した確たる証拠が無いので…無罪」とされた事です。
思いますに、私は、弁護士の久保豊年先生をはじめ、多くの皆様の5年にも及ぶ死に物狂いのご支援・闘いのお陰で、最高裁での逆転無罪を勝ちとる事が出来たもの。と同時に、私のケースは、「確たる証拠が無ければ有罪はあり得ない」と言う…良き判例を残す事が出来た事も間違いないところです。皆様と一緒に勝ち取る事が出来た良き判例が、私のあとに、私の様なえん罪が少なくなる様に…抑止力にもなって欲しいと思います。
皆様、本当に有り難うございました。いや、「~ました」ではなく、これからも宜しくお願い致します。

    風花かざはなや悲嘆に暮れし日もくや     ひろし
    白梅に酌むや偽り無き友と       ひろし

「独房日記」は、再び、次号より…。                煙石博

2023年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.1.1(旧暦12月10日)「うさぎの逆立ち(さかだち)で、耳が痛い。」

2023.1.1(旧暦12月10日)「うさぎの逆立ち(さかだち)で、耳が痛い。」

 今年は、うさぎ年。兎(うさぎ)は坂を上るのが得意で速(はや)いところから、もの事が良い条件に恵まれて、早く進む事をたとえて「兎の上(のぼ)り坂」と言う言葉があります。今年は、これにあやかって、良い年になって行きます様にと祈ります。蛇足ながら、反対に「兎の下り坂」と言う表現もある様で…。これは、兎は下り坂がにが手で、時に、あわてると勢い余って、転げ落ちる事もあるらしく、そうは、ありたくないものです。
「寝ていて転(ころ)んだためしなし…」とか言いますし、ここはおとなしく寝正月…。
     朝酒ののちは至福の寝正月     ひろし

 また、1月は、お酒を飲む機会が多く、私も「兎の逆立ちで…耳が痛い」ところですが、飲み過ぎない様、心がけたいと思います。

 ところで、年が改まったとは言え、新春、迎春、初春の様に、春を感じるには、まだまだ程遠いのが、今の新年です。
 しかし、今では旧正月と言われていますが、旧暦(明治まで使われて来た、月の満ち欠けと、太陽の動きから計算された、太陰太陽暦)の正月、この旧正月の頃には、意識していると、日差しが伸び始め、陽の光にも力が込もり始めて、何となく春へ向かっている事に気付かされます。  実は、この旧正月が、例年ですと、だいたい2月に入ってからですが、今年は1月22日(日)にあたり、過去十数年さかのぼってみても、最も早い日になっています。
つまり、寒さは別として、今年は、例年より、少し早く、光や、陽射し、日の長さに春を感じ始める事が出来るだろうと思います。お忙しい日々でしょうが、旧正月(今年は、1月22日)を意識されて、近づく春を体感されるのも、いかがでしょうか。


煙石 博
   

 年賀のご挨拶を添付致します。      

2022年12月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.12.1(旧暦11.8)「師走だなァ~」。四畳半独房日記⑰「メモは怒る!」

2022.12.1(旧暦11.8)「師走だなァ~」。四畳半独房日記⑰「メモは怒る!」

 今年も、何もかも混迷の不安の中を過ごして来た様な一年、気が付けば師走。新しい年も、「御破算で・・・」と言う風に、けじめの付けられそうな事はほとんど無く、スッキリしない事ばかりの混沌・混乱の時代に生かされている様な気がします。そんな時代、とにかく、皆様のご無事、ご健康を祈るばかりです。

 ところで、師走と言うと、私は、加山雄三さんのセリフ付きの歌「君といつまでも」を思い出します。~♪♪~「幸せだなァ…、僕は君といる時が一番幸せなんだ、僕は死ぬまで君を離さないぞ。いいだろう…」~♪♪~
 実は、カラオケで、このセリフの所を、「しわ寄せだなァ…僕は君と居る時が1番、しわ寄せなんだ~」とか、12月になると、「幸せ」を「師走」と、もじって、ジョークのセリフをつけて歌っていました。(笑)
~♪♪「師走だなァ…僕は12月になると、いつも、師走なんだ。僕は死ぬまで、12月になると、師走になるんだ。いいだろう…」♪♪~

 そう言えば、加山雄三さんは、今年秋、テレビ出演等の芸能活動から、ひとまず引退された様で・・・淋しいですね。又、広島に縁の深い吉田拓郎さんも、芸能活動から引退されました。吉田拓郎さんは、私と同年代で、RCC中国放送のラジオからデビューされ、全国へと飛び立って行かれました。お二人共、機会あれば、是非、お元気な様子をテレビで見せて頂きたいものです。

          改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑰「メモは怒る!」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 独房メモを読み返すと…2012.10.11(木)に広島県警南警察署の留置場に入れられ、不安・不眠の為、疲労困憊の中で、10月19日(金)、検察官は、間違っている悪い刑事と歩調を合わせた様に、「裁判をしても、日本の司法は、99%は有罪になるんだ‼」(この数字は、ほぼ真実だが、これも国際的な関係機関から、是正や勧告を受けている。)「裁判をして、人生を失った者が沢山いる・・・」等と、脅迫めいた言葉を投げ掛け、私の、お金を盗っていないと言う主張には、全く耳を貸さない。それよりも、示談をした有名人の例を幾つか挙げて、お金を盗ってもいないのに、先方にお金を払って示談する事ばかりを強要された。

 特に記憶に残っている言葉は、「煙石さんが、お金を盗ったか盗らないかは別にして、66,600円にイロをつけて、相手に10万円位払えばすむ事です。有名税だと思いなさい。」等と、理不尽で、納得のいかない示談を強要されるばかりで腹が立ち…心が揺らぐ。

 一方、刑事の取り調べは、1回目が、それより前の、10月14日(日)午前10時50分頃
からお昼まであった事をメモに残していますが、全く事件の取り調べではない、最初から窃盗犯と決めつけたもので、「お前は、ニュースに出たから(窃盗容疑で逮捕されたと言う、警察のでっち上げで、一方的に報道したもの)、もう、みんなが、窃盗犯だとみている。ビデオに(防犯カメラの映像に)全部写っているんだ!あなたは犯人に間違いない。私は証拠を持っている」と・・・何十枚かあるとじ込みをペラペラ繰ってみせる。(このパターンで、これまで善良な市民が、ぬれ衣をきせられて来た…と私は見ている。)

 「ビデオの証拠は最後に見せる(お金を盗っている映像は、結局なかった)。」「あなたは犯人だ」と、自信いっぱいに言う。「窃盗犯と認めれば、すぐにここを出られる。窃盗犯は、たいした事ではない。人のうわさも75日で、みんなもすぐ忘れる。」…「そんな馬鹿な話は無い!私は、無実。白さも白し、富士の白雪!」

 刑事は、確たる証拠もないのに、更に自白を迫って来ます。―――つづく―――

   我思ふ故に酒ある夜長かな   ひろし

おん身ご大切に、お元気でお過ごし下さい。               煙石 博

2022年11月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.11.1(旧暦10.8) 早い亥(い)の子、炉開きでした。四畳半独房日記⑯「署長巡回!!」

2022.11.1(旧暦10.8) 早い亥(い)の子、炉開きでした。四畳半独房日記⑯「署長巡回!!」

     修羅の世を置き去り秋のまつりつ   ひろし

 実りの秋10月の、町や村の秋祭りが終わり、月が変わって、早くも11月となりました。そして、7日(月)は立冬。暦は急ぎ足で冬を告げますが、自然界は駆け足でやって来そうな冬を前に、これから晩秋のクライマックスを迎えるのが11月…でしょうか。
 

「枕草子」の最初の段には「秋は夕暮れ。…」とあって、山へ沈もうとする夕日を背に、からすや雁が群れなしてゆく夕暮れの風情をたたえ、秋の趣(おもむき)は、夕暮れに限るとしているのですが、日本の古(いにしえ)より、誰もが、しみじみとものさびしい情緒を愛し、多くの和歌や俳句にも詠まれてきました。

     此道や行く人なしに秋の暮   芭蕉

 立冬を過ぎると、冬の足音も気になるところですが、時に、冷たい風も吹かず、忘れていた春の陽気を思い出させる、穏やかで暖かい「小春」「小春びより」の日々も、嬉しく有難く、刻(とき)を忘れ、ホッとさせてくれる事でしょうが、異常気象の昨今、今年はどうでしょうか。
 そう言えば、私も、広島県内の瀬戸の島、能美島の温泉で詠んだ若き日の拙句を思い出しました。

     海鳥うみどりの恋も育てし瀬戸小春   ひろし

 そんな穏やかな日々の中で、突然に冬の寒さが襲って来る事があるのが11月ですので、油断なりませんが、そう言う寒さの事を、広島の方言で「びったれおどし」と言います。
びったれは、「だらしのない者、ものぐさな者」と言う意味でしょうか。冬の準備をしないでいる、ものぐさで、だらしない人が突然の寒さにびっくりして慌(あわ)てるので、「びったれおどし」と表現したのでしょう。県北の中国山地では、早い初雪の事を「びったれおどし」と言った様です。「びったれおどし」にご用心!!

 ところで、今年は、10月の早くから、寒暖差が大きく寒さを感じる日が多くなって、少し慌てましたが、旧暦の暦を見ていて気付いた事に、旧暦の亥の子餅、炉開き(冬になって炉を使い始める日。茶の湯で、夏の風炉(ふろ)をしまい、火を使う炉を使い始める日)が、例年より早い事でした。

 旧暦の亥の子餅、炉開きは、例年だと、たいがい11月半ばか、それ以降で、たまに、11月上旬の日にあたる事もありますが、過去25年を調べてみると、今年が最も早く、10月25日(火)でした。つまり、日本の自然暦とも言える旧暦で教えられる事は、今年は、寒さが早くやって来る確率が高いのでは…と、観察していると、何となく、その様な感じになっている様に思います。
 今年もそうでしたが、我が家では、毎年、旧暦の亥の子餅、炉開きの日に暖房器具を出す事にしています。

     生くるべく山河大地の冬支度   ひろし

            改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑯「署長巡回!!」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)
 月曜から金曜まで、午後になると毎日あったのでしょう、(私も、検察や取り調べ室に行かされて房に居ない事も多いので判らない部分ですが)署長の巡回があった様です。天井が高い(そう感じていたのかも知れませんが)静かな留置場に「署長巡回!!」と張り詰めた声が響くと、勤務についている数人の刑務官が、留置場の鉄格子の入り口前に集合、整列して、敬礼をしていたかどうか…署長を迎え入れて…、各房の者へ、署長が、それぞれ声を掛けます。

 留置場に入れられて10日余りのちの10月22日(月)の私のメモに、午後2時10分、署長巡回。私の鉄格子の前に立って、「体調…大丈夫ですか?」と、小さな声…。実はこの時、心の中には怒りが渦巻いていて、「大丈夫じゃないよっ!!ええ(いい)わけないじゃろうがっ!!私は金を盗ってもいないのに、こんなひどい目に合わされて、どう言う事なんですかっ!!」(怒り)と、声を荒げて訴えたかったのですが…気分が滅入ってしまっていて、私にその勇気も無く、「はい…大丈夫です」と、従順に答えるだけ…」とありました。精も根も尽きていたと思います。

 その翌日、10月23日にも、午後1時5分、署長の巡回とあり、署長が部屋ごとに声を掛けて来て、私の所でも「寒くないですか?」…私は、この日も、何故か従順に、「はい…寒くありません。」と答えながら、心の中では、「ワシの(私の)心の中は寒過ぎるんじゃ!!」と、叫びたかった事を思い出します。今、思っても、泣きたい程の淋しさです。
              ――つづく――

 これは、本を読んで知った関東地方の話ですが、11月の酉(とり)の日に、東京・浅草の鷲(おおとり)神社等、各地で開かれる「酉の市」にまつわる言われです。
 この「酉の市」は、露店で、熊手やお多福などを売りますが、鳥が酉(とり)に通じ、それが「取り」…「取る」とシャレて縁起をかついだ、商売繁盛のお祭りだそうです。

 浅草は、その昔、遊郭を控えて盛んだったので、正岡子規に、

     吉原ではぐれし人や酉の市   子規

 高浜虚子に、

     此頃の吉原知らず酉の市   虚子

 この「酉の市」は、大抵は11月に2回ですが、今年は、三の酉があって、一の酉、二の酉、三の酉と、3回ある年は、火事が多いと言われたそうです。

 私は、これを長い間観察して来ましたが、広島でも、11月に三の酉がある年は、何となく火事が多かった様に思います。つまり、早くから寒さがやって来て、火を使う事が多いからだろうと、…思ったりします。

     妻の言ふ日暮ひぐれ日に日に早く秋   ひろし
     昼酒をひとりたのしむ冬はじめ   ひろし

 寒さに向かいますが、火の用心と、呉々もお体お大事になさってください。

                         煙石 博

2022年10月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.10.1(旧暦9月6日)「あれから10年…」。独房日記⑮ある日の食事メニュー

2022.10.1(旧暦9月6日)「あれから10年…」。独房日記⑮ある日の食事メニュー

 数字から受ける印象は、さまざまありますが、私が、身に覚えが無いのに突然逮捕されたのが、2012年10月11日(木)。無理やり、広島県警南警察署の鉄格子の中へ…。
 押し込まれた独房が「13号」でした。実は、私より少し前に冤罪被害者となって、後に、えん罪を晴らし、無罪を勝ちとった元厚生労働省の村木厚子さんが、大阪拘置所で「13番」の(こちらは私の“13号”と違い“13番”でしたが…)独房に入れられて居たそうです。私と同じ、「13」…「13」に込められた意味…何かあるのかどうか…。

ところで、これも、数字での印象・イメージについて、友人からのメールの一部です。

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「ワシは、1と、11と言う数字に、何かの因縁を感じている!!
2001年9月11日「アメリカ同時多発テロ(旅客機がビルに突入大惨事、他の州でも突っ込んだ)」
2011年3月11日「東北地方での大震災・大津波、大惨事」
2012年10月11日「貴兄が冤罪逮捕された日」
2017年3月11日「貴兄が最高裁で、3月10日に、逆転無罪判決を勝ちとった事が、その翌日の3月11日の新聞で報道された…。」

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 以上、私を気遣ってくれる友人からのメールでしたが、成る程、そう言えば…。有り難うございました。
 しかし、今振り返っても、凄い闘いでした。ご支援下さった皆様のお蔭で、最高裁での、逆転無罪を勝ちとれ、無実が証明されました。感謝の気持ちで一杯ですが、そもそも、2012年10月11日(木)…あれから10年たちました。しかし、あの日の朝の出来事は、毎年、秋は巡って来るのですが、何年たっても、悔しくて、腹立たしくて…。

 10月11日の、私が逮捕された日の夕方(私は既に鉄格子の中)、あとで、家族や、知人から聞き、愕然としたものですが、広島の各テレビ局のニュースで、「元RCC中国放送アナウンサー煙石博、窃盗容疑で逮捕…」と報じられ、あるローカル放送局からは、翌朝、東京のTV局(キー局)へ、「のぼりニュース」と言いますが…関東圏にまで報じられた様です。そして、当然ながら、新聞報道もされました。
 これらの報道によって、私が、それまで、正直に、真面目に、長い間、積み重ねてつくり上げて来たつもりの人格、信用、信頼、そして、人との絆が一瞬に破壊されてしまい…恐ろしい事です。これで、全てを失ってしまいます。それによる心への衝撃も大きく、私の人生をすっかり変えられてしまいました。
 冤罪は人災、まさに、凶器無き殺人です。絶対にあってはなりません。

 しかし、残念ながら、日本は、えん罪大国…の様です。
 ぬれ衣をきせられて、無罪を勝ちとるまでの大きな精神的苦痛、重圧は勿論、相当な金銭的負担…さらに、家族はもとより、多くの皆さんにかけた、お金に変えがたい労苦は、計りしれないものがあります。
 しかも、無罪を勝ちとったとはいえ、もともと、無実なのですから、当然の事…虚しいものがあります。それに、返って来たお金は、僅かばかり…だったのが、真実です。
 えん罪を出した場合は、もっともっと高い賠償、ペナルティー補償を課せば抑止力になりはしないか等と、虚しい思いを巡らせたりします…。

 今も思い出すのですが、検察庁に行かされた時、検事が自信たっぷりに、「金を払ってすまさないと、裁判になって、日本の司法は、99%以上有罪になるんだ!!死ぬまで裁判する事になるぞ」と言った恐ろしい言葉を、今でも忘れる事ができません。これは、日本では、無実の人が、いかにたくさん有罪にされているかの、あかしでもありましょうか。

 ところで、10月後半の留置場でのメモを読み返すと、「朝から、秋祭りの子供みこしの太鼓や祭笛、子供達の弾んだ声が聞こえて来る…」とありました。 当時の独房吟です。

     天高し地に我が疑惑晴らすべく     ひろし

 寂しいブログになって、ゴメンナサイ。
     
        改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑮「ある日の食事メニュー」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 留置場に入れられ、金を盗ってもいないのに、示談、つまり、盗った事にして(盗ったと決めつけられた66,600円に、何故か+αの金額)、10万円を相手に支払えと言う、とても納得できる事ではありません。示談に応じると、金を盗っていないのに盗った事にされ、窃盗犯にされる訳です。
 自白、示談を執拗に強要され、負けそうになりながらも…盗っていないので、自分にウソをつきたくもありません。懸命に無実を主張し続けましたら、10日間の勾留後、さらに10日勾留が延長され、結局、この20日と、何故か、さらに8日勾留され、28日勾留されました。

 そんな中の10月23日のメモに、昼食のメニューを書いていました。 
 「コロッケ、ゴボウ、オスのシシャモ(子を持っていないシシャモ)、炒り玉子、厚揚げ、タクアン2切れ、それに、これは、毎食お決まりのパターンで、ごはんの真ん中に、小さな梅干しが添えられている古典的な?日の丸弁当スタイルの幕の内弁当。」
 又、11月4日のメモには「タクアン2切れ、おかず4品と、小さな梅干しが添えられた御飯」とありますが、、おかずのメニューが豊富で、毎食、工夫を凝らしてあり、辛く、悲しい日々にあって、3度の弁当が唯一の愉しみで、大変おいしく頂きました。
 三度の食事を、おいしく、きっちり頂いた28日でしたが、留置場をあとにする時の体重測定で、何と3キロ…痩せていました。 いかに過度なストレス、心労であったか…。

これは、刑務官が私に言った言葉です。「あんたが食べる幕の内は、ワシらが食べる弁当の、「おかず」が一品か二品、少ないだけじゃ。ありがとぅ~思おて食え。」
 ―― 次号へ続く ―― 皆様には、お元気で実りの秋を満喫されます様にと思います。                        

     川風に乗る鳥一羽天高し        ひろし
     酒一合まず酌み交はし走り蕎麦     ひろし
                            煙石 博

2022年9月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.9.1(旧暦8月6日)溽暑じょくしょよ、さらば!」。独房日記⑭「…悲しい飲まされ方」

2022.9.1(旧暦8月6日)溽暑じょくしょ)よ、さらば!」。独房日記⑭「…悲しい飲まされ方」

 相変わらずのコロナの恐怖と不安の中で、世の中の許し難い不正義が次々とニュースで伝えられる度に怒りを感じているのですが…、何が何だか、命の危険を伴う等と言う耐え難い暑さの夏に見舞われて、そんな事より何よりも、我が身の保身…。高齢のせいもありますが、私は、正直ヘトヘトで、くたばって仕舞いそうな、これまでで最も辛い8月だった様な気がしました。
 皆様におかれましても、ご無事でお元気でいらっしゃる事を願っておりますが…、それこそ、知り合いが使っている言葉を借りますと、このブログは、「私と皆様との生存確認」の気持ちで書いております。
今月10日は仲秋の名月、良夜です。9月は、月をめでる月でもあります。

     貧しくも富めるも良夜りょうや酒を酌め     ひろし
    
 兎にも角にも、何とか生きさせて頂いている事に感謝をするばかりですが、少し前より気になる事のひとつに、あれやこれやがあり過ぎる世の中の混乱のせいでしょう、ほんの少し前の事でも、恐ろしい程、記憶の外になっていて、すぐに忘れて仕舞っている事です。

 もっと恐いと思うのは、心の余裕がない為、自分の保身以外の事には思いが及ばないと言う、料簡(りょうけん)の狭さへの恐れを感じたりもします。
そんな時代ですから、私のえん罪の事も、私が被害者となって10年も昔の話となり、多くの方にとっても、過去の出来事になって行く事が、悲しく悔しい事と思っております。
 私は幸いにも、多くの支援者の皆さんのお陰で、最高裁で奇跡とも言われる程の逆転無罪を勝ちとる事が出来ましたが、濡れ衣を晴らせたとは言え、もともと、私のケースは、始めから警察官のでっち上げで犯人にされ、その後は、あってはならない、信じられない不正義な司法の、「有罪へのエスカレーター」に強引に乗せられたものです。

 えん罪は、私だけの事ではなく、多くの善良な市民が被害にあっている事が判り、このブログも、私のあとに被害者が出ない事を願い、えん罪を出さないで欲しいと言う切なる思いから、ご迷惑ながら、しつこく発信させてもらっています。

 ひと度、えん罪被害者にされると、人権を全く無くし、それ迄の人生も、その後の人生も失って仕舞い、それは、本人だけでなく、家族や多くの方々にも被害が及ぶ、恐ろしいものです。

「警察、検察、裁判官による犯罪です!!許されません」
 これは、広島地裁で、証拠もないのに、「懲役1年、執行猶予3年」の、信じられない有罪判決を受けたあと、記者会見で、私が怒りに震えながら訴えた言葉でした。
 「えん罪は人災です。」改めて、冤罪を出さないで欲しいと訴えます。

 老婆心ながら、宮沢賢治が、大正時代に「どんぐりと山猫」という短編作品で、間違っている司法のありさまをわかりやすく書いています。今も昔も、全く、その通り・・・。宮沢賢治は凄いと、感服する次第です。短編ですが、改めて、この作品を読んで頂ければ面白いと思います。大正時代に宮沢賢治が指摘した通りなのです…。いや、今の司法は、もっと、おかしくなっているのでは…?と思います。

     改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑭「思い出しても悲しい飲まされ方…」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 毎日、午後3時頃に聞こえてくる奇妙な「ガサガサ、パリパリ…」の音は、留置場に入っている容疑者が飲まなければならない薬を、刑務官が小さな容器に詰め替える作業の音だった訳ですが、この薬は、警察官が、病院に行って、もらって来てくれたものです。

 留置場に入れられた時、「飲まなければいけない薬があるか」と聞かれ、私は血圧の薬を飲んでいましたから、「○○病院で血圧の薬を処方されています」と言いますと、警察官が、病院へ行って訳を話し、薬をもらって来てくれると言うのです。しかし、それには、大変な抵抗を感じました。それは、私は、お金を盗っていないのに、不当逮捕されている訳で、自己防衛本能と言いましょうか、警察に逮捕されている事が、病院の先生や看護師さんに伝わる事が、恐ろしくて、嫌だという気持ちで一杯だったからです。
(あとで判った事ですが、実は、薬代は、私が払わなくてよかったのです。)

 さて、その薬を飲まされる姿は、屈辱的で、恥ずかしい心理状態だったと、悲しく思い出されます。
 私は鉄格子の中に囚われの身ですから、刑務官が薬の入った容器と、白湯(さゆ)の入ったコップを持って来て、房の鉄格子の下の方にある、弁当等を出し入れする小さな扉を開けて、まず、白湯の入ったコップを差し入れてくれます。そして「口を大きく開けろ!」と命じます。私が口を開けると「もっと大きく開けろ、薬が飲めんど!!」。命じられるまま、口を精一杯大きく開けると、口の中を覗き、チェックをした後、「舌を出せ!!」と言って、私が舌を出して「アッカンベー」をする様な格好の口の中の舌の上へ、薬の容器から取り出した薬を投げ込みます。そして、「水を飲め」、と命じられて、薬を白湯で飲み込む訳ですが、薬を飲んだ後、刑務官は再び「口を開けろ!」、そして「舌を出せ!!」と言って、口の中をチェックして、薬を飲んだ事を確認します。これら一連の私の格好は、想像したくもない屈辱的な悲しい心理状態でした。その屈辱的な思いを跳ね返す為に、刑務官がいつもの様に「舌を出せ!!」と命令すると、私は心の中で「シタ●●は出せるか!!下を出したら、猥褻物陳列罪じゃ…」と思って、心の中で、虚しい抵抗をした事を思い出します。

 さて、次回は、辛く歯痒い留置場で唯一の愉しみ、朝・昼・晩のおいしかった三度の食事…。ある日のメニューを、当時のメモより紹介します。

 そう言えば、窃盗犯の濡れ衣を着せれられたのが、2012年10月11日。事件があったとされる日より10年になります。しかし、10月は、何年経っても、私だけでなく、家族にとっても、今でも、とても辛い10月…です。

     昨日今日さらに明日へ鰯雲     ひろし
     夜毎よごと逢ふ憎っくき月とむかひ酒    ひろし

 呉々もお体ご自愛ください。                   煙石博

2022年8月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien