2022.8.1(旧暦7月4日)涼風を乞う。独房日記⑬「毎日、午後3時…の奇妙な〇〇」  
※8月4日は、旧暦の7月7日で、明治まで受け継がれてきた、本当の七夕、星祭りです。

2022.8.1(旧暦7月4日)涼風を乞う。独房日記⑬「毎日、午後3時…の奇妙な〇〇」
 ※8月4日は、旧暦の7月7日で、明治まで受け継がれてきた、本当の七夕、星祭りです。

 コロナによる社会不安が続く中、ウクライナへの軍事侵攻に対しての怒りも加わり続け、相変わらず、いらだつ日々の中で、安倍元首相銃撃・殺害を巡る、あれやこれや…何が何だか。世界も、日本も、暗闇と隣り合わせの様な、不安で、不透明な気が漂い…あれも、これも、滅入って仕舞いそうです。(7月28日現在)

 一方で、世界各地で、暑さによる山火事が相次ぐかと思うと、近年、増々多くなって来た豪雨、水害…。日本の麗しき季節の移ろいも、すっかり狂って仕舞っている様な…本来、恵の雨も、ひとたび降り始めると、容赦ない狼藉者…そして、晴れれば命の危険を伴うと言う表現の超猛暑。
 これらは、それこそ、傍若無人を越える人間の仕業に、天の嘆きか、地の怒りか…。
 神や仏はいずこにおわすや…。

     天地あめつちの意志あるが如出水川でみずがわ   ひろし
     涼風や仏の耳の大きこと   ひろし

       改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑬「毎日、午後3時…の奇妙な〇〇」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

留置場で、食事が差し入れられるのは、朝食が7時。昼食が12時。夜食が5時…これは、少し早いのですが、どうも、刑務官の勤務時間の関係で、時間が早いのだろうと思います。しかし、5時に差し入れられて、お腹がすかないのに、無理にすぐ食べてしまうと、消灯の9時まで房内で何もする事が無い為、余計な事ばかり考え続けるので、そのまま食べずに居ると…「はよ~食え(早く、食べろ)。」「もう少しあとで食べたいのです。」と言うと、「弁当の食器を片付けにゃ~ならんけぇ~、早う食え!!」と、指示されます。

 5時の夜食を食べたあとの、房の夜は長い…。その後は、回覧の様に回って来る遅い(読む心の余裕はない)朝刊と、NHKラジオの、朝一番のセレクトされた様なラジオニュースが場内に流されます。(日によっては、演歌かニューミュージックも流されました。)

そして、夜9時になると、眼鏡とメモ用紙、筆記用具も、係官に回収されて、(メガネも、とり上げられますので、とても不安で、不自由でした。)消灯、就寝時間になる訳ですが、それまでに、布団置き場に誘導され、自分の敷布団を房内に運び入れて、日中与えられている毛布一枚に、夜だけ敷布団が与えられますが、枕は、昼も夜も与えられません。(自殺防止の為ではないかと思われます。)

 ところで、取り調べがない時、気付いたのですが、午後3時前後になると、房の前の刑務官の机が並んでいる辺りから、しばらく、紙の袋?から、何かを取り出す様な「ガサガサ、パリパリ」という音が聞こえて来ます。刑務官の机の前には、書類が並べられていて、こちら側から、顔の目のあたりは見えますが、鼻の下あたりから体は全く様子を見る事が出来ません。ただ「ガサガサ、パリパリ…」という奇妙な音だけが聞こえて来て、とても気になっておりました。
 「何か、菓子袋をあけて、間食でもしているのか…?まさか、3時のおやつ?では、あるまいに…」と思っていましたが、しつこくチェックをして…判りました!
それは、留置場に入っている容疑者が飲まなければならない薬を、それぞれ、小さな容器に詰めかえる作業だったのです。「ガサガサ、パリパリ」に納得出来ました。つまり、薬は一度に渡されず、わざわざ、1回分ずつに分けて、用意していたのです。
その薬の、「思い出しても悲しい飲まされ方…」については次号にて!!

     物言わぬ声八月の被服支廠   ひろし
     八月や殊に命をたっとびぬ   ひろし

 お体呉々もご自愛ください。                 煙石 博

2022年7月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.7.1(旧暦6月3日)「憂いを払う玉箒たまばはき」。独房日記⑫「もうひとつの彫物」

2022.7.1(旧暦6月3日)「憂いを払う玉箒ばはき」。独房日記⑫「もうひとつの彫物」

 あれやこれやと暗い話が次から次へと起きて、まるで、嵐の中で、小舟に乗っている様な、大変な世の中に生きている…そんなご時世に、私のブログに目を落として頂くのも申し訳けない様な気がします。

 それにしても、長いコロナの社会不安のストレスに加えて、ロシアによる、無体なウクライナへの軍事侵攻に、怒りを越えた行き場の無い憤りにいらだつ日々…。さらに、ここに来て、何も彼も、値上げ値上げと、私共の生活を直撃する「値上げラッシュ!」。
 しかも、その値上げの先き行きも不透明な事が、心に重くのしかかっていますが、これに加えて、円安が及ぼす、あれやこれや、これもどうなるものか…(6月28日現在)

 フーテンの寅は昭和やバナナ買ひ   ひろし

 とにかく、日本のみならず、世界の行く末まで案じられる今日この頃で、「山よりでっかい猪(しし)は出ん‼」と、意識を鼓舞してみましても、気分は晴れそうにありません。

 ま、あれこれ考えても、すぐに、どうにかなるものでは無いものが多く、『たまごの殻(から)で、海を渡る』つまり、一寸法師よろしく、タマゴの殻を舟にして、海を渡る事は出来ない。
もっと、わかりやすいのは、『こんにゃくで石垣を築く』これも、出来そうも無い。いや、出来ない事と悟って、平常心を取り戻し、ここは、親鸞上人の『明日(あす)ありと、思う心の仇桜(あだざくら)、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは』(今日は美しく咲きほこっている桜も、夜に嵐が吹けば、一夜にして、はかなく散ってしまう。今日は元気でも、明日はどうなるかわからないのが、私共の命…。)と言う短歌を思い起こし、とにかく、一日一日を有り難く精一杯生きる事に…。
「明日は明日、今日は今日。明日は、明日の神が守ってくれる」事と信じて、今宵も「酒は、憂いを払う玉箒(たまばはき)」…ささやかな?晩酌に酔わせて頂くひとときに、感謝。

     枝豆やひとまず畳む世事俗塵   ひろし

 一日も早く、穏やかな日々が戻って来る事を願うばかりです。

          改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑫「もうひとつの彫物」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 何が何だか、私は何も悪い事はしていないのに、身に覚えの無い(結局、金を盗った証拠も無いのに)「置き引き」、つまり、客が忘れたとする金(66600円)を盗ったと、窃盗犯の濡れ衣をきせられ、2012年10月11日の午前11時30分に、自宅で逮捕されて、家の近くの広島県警南警察署(広島市南区丹那町)の、留置場の鉄格子の中へ押し込まれました。
 この日より28日間、私は名前を呼ばれる事は無く、「13号」と呼ばれて、冤罪被害者の苦闘を強いられる事になりました。
 私は、囚われの身で、細かくチェックする事は出来ませんでしたが、留置場の「房」は、6つか7つあった様で、入口より、1号、2号とあり、3号はあったのかどうかわかりませんが、4号がなくて、いきなり、私が入れられた「13号」があり、その次の房は5号、6号…7号があったかどうか…あった様な…。
 とにかく、以前のブログにも書きましたが、自白を強要する為にと思われる様な、薄気味悪い4畳余りの部屋で、お金を盗ってもいないのに、私には納得出来ない自白や示談を強要され、28日間を、苦しみながら闘い、耐え忍びました。

 実は、私のえん罪被害より少し前にえん罪被害者となり、私と同じ様に奇跡ともいわれる雪冤(せつえん)、えん罪を晴らし、無罪を勝ちとられた、元厚生労働省次官の村木厚子さんも、大阪拘置所で「13番」(こちらは“号”ではなく“番”でしたが…)と言う番号が与えられたそうです。私と同じ「13」…「13」に込められた意味…何かある様にも思えてなりません。

 さて、今回は、私の独房メモに残していた「彫物(ほりもの)」の事を思い出します。
一つは、以前のブログに書きましたが、倶利伽羅紋紋の様な立派な入れ墨を入れた方(これは、風呂に入っている様子が、こちらの房から見えるので、見るとはなく見て、確認出来たものです)もあって、その方だったかもしれませんが、しばらく留置場に居たあと、独房を出て行く日に、各房の中の者へ、それぞれ、「お世話になりました。」と、まるで、亡くなった、あの高倉健さんの様な感じで、静かに挨拶をされ、留置場を出て行かれたのも忘れる事が出来ません。
 そして、私は、もう一つの「彫物」を発見していました。それは、私が横になって寝ている時に発見した、独房「13号」の壁に残された「彫物」で、通路側に近い壁の下の方に「〇〇組〇〇」と、コンクリートの壁に、何を使って彫り込んだものか…そんなものは、鉄格子の中には持ち込めるとは思えませんが、誰も気付く事はほとんど無く残されていたものでしょう。房に入る時、毎回、身体検査もされるのに、さらに、刑務官の監視の目もあるのに…何故、その目を搔い潜(くぐ)ってまで、そんな「彫物」を残したか…ご本人の深い思いがあっての事と…思いを馳(は)せる「彫物」でした。
 さまざまな事も思い出しながら、この稿を書き終えて…疲れ…ました。

 尚、この南警察署は、現在、南区出汐町の、県立広島工業高校、県立広島皆実高校の近く、元陸軍被服支廠の北側に、新庁舎の新築工事が順調に進められており、来年の7月31日工事完了の予定だそうです。
 独房日記「毎日、午後3時…の奇妙な○○」と言う話は…次号にて!。

 ところで、我が家で育てている野菊の一部が、今年も、時季を間違えて、6月初めから咲き、特に今年は、毎年秋にしか咲かない普通の菊の一部も、5月に蕾がついて、はやばや6月25日に咲きました。これらも、以前から気がついている、大変気がかりな異常気象の影響のひとつだと思っています。

     噴水の翼の欲しげなりし空   ひろし

お体呉々もご自愛下さい。                       煙石博

2022年7月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.6.1(旧暦5月3日)「大きな悲しみを…。」独房日記⑪「かわいそうなおじいさん。

2022.6.1(旧暦5月3日)「大きな悲しみを…。」独房日記⑪「かわいそうなおじいさん。

 今月も、旧暦と新暦の日にちのズレは、わずか3日と、新・旧の暦の差が、ほぼ1ヵ月ですが、若葉みずみずしい季節から、日増しに緑を濃くして、青々と生気をみなぎらせる青葉の季節へ移ろって行く月でしょう。

 俳句の季語から拾ってみると、青葉山(あおばやま)・青葉茂る(あおばしげる)・青葉照る(あおばてる)・青葉風(あおばかぜ)と、シルバーエイジの私が、わき立つこの緑に向かう時、気後れしそうな…いや、緑の勢いに負けてはいけない‼。むしろ、青葉のそのエネルギー、元気を、とり込む気力を持たなければ…そんな生気あふれる季節でもありましょうが、一方で、梅雨を迎える月でもあります。

 月初めには、例年、梅雨入りを前に、広島に夏を告げる浴衣の着初め「とうかさん」の祭(今年は、6月3日(金)~5日(日))があります。

稲荷(とうか)さんは、その昔、とうか●●●にシャレてか、8日、9日、10日の3日間で、私の言葉遊びですが、人に呼びかけられた時、その人に向かって、「何か用か(8日)、ここのか(9日)とうかさん(10日さん)!?…」と、ジョークを言っていました。

例年、この「とうかさん」の頃、お天気がぐずつき始めて、気象台の梅雨入り宣言も間近か…と言った感じであった様に思います。
ちなみに昨年の広島の梅雨入りは、3週間程も早く、何と5月15日(九州北部と四国、中国地方)で、過去2番目に早い梅雨入り発表でした。(のちに中国地方の梅雨入りは5月12日とされた様です)

     梅雨冷つゆびえや迷ひし街の地下通路   ひろし

 既に、立葵(たちあおい)が、あちこちで咲いていますが、しばらくは、花の群れが、雨の日々を咲き継ぎ咲き上って行きます。

     咲き継ぎて高き明日へ立葵たちあおい   ひろし

 それにしても、世界も日本も、人災、天災、激災禍のただならぬ事ばかりで、滅入って仕舞いそうですが、「大きな悲しみをかみしめて、小さなよろこびを育てよう…。」
穏やかな月であります様に。

       改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑪「かわいそうなおじいさんの話」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 私が、納得出来ないまま留置場に入れられて何日目かに入って来た、耳の遠い、おじいさんの事が、当時のメモに残っていました。
 私は、鉄格子の中の人で、6部屋か7部屋ある、房の中の人を見て回る訳にはいきませんので、朝の洗面や、火曜日と金曜日に与えられる風呂時間等の、鉄格子を出された時、横目で房の中を見るとは無く…様子をうかがい知る限りですが、そのおじいさんは、人のよさそうな好好爺と言う感じのおじいさんでした。以下は、その時のメモから思い起こします。

 そのおじいさんは、留置場に入って来たその日の夜、「わしは、殺されるぅ~。助けてくれぇ~。痛い!痛い!」(無理矢理、警察官に連行される時、抵抗して暴れたものか?)
 とにかく、「わしは殺されるぅ~。助けてくれぇ~。」を繰り返し、叫び続ける…。
何があって、ここへ入れられたのか分からない。かく言う私も、この留置場に入れられた時、不安に負けて、怖くて、恐ろしくて…気持ちは分からないでも無い。

 「女房に迷惑をかけるぅ~。もう外を歩けん。わしたぁ~(私とは)、離婚してくれた方がええ。わしは(私は)、殺されるぅ~。助けてくれぇ~。」等と、大きな声で訴える。私も、何がどうなのか分からぬまま、かわいそうで、憐れに思いましたが、留置場に入っている皆も、恐らく同じ思いだったと思います。
しかし、その内、うるさくて…騒音公害?。いささか、参ってしまいました。耳が遠いらしく、刑務官の言う事が伝わらず、何度も大きな声で指示されるのですが、伝わりにくい…。

 数日後、次第に静かになって、何度か取り調べもあった様ですが、1週間くらい居たでしょうか…。今朝、11時過ぎに奥さんらしい人が迎えに来て、おとなしく留置場を出て行った。荷物の引き渡しの時、入れ歯を戻してもらったらしく、口に入れて、ホッとしたみたいだった。

 「助けてくれぇ~。殺される~。」の連呼には閉口したが、留置場の忘れられない出来事のひとつでした。「何か気の毒な事情がありそうで、やはり、かわいそうに思った」とメモに残しております。

 以上は、私が留置場に入れられて15日位のち、10月25日のメモでしたが、この日のメモの最後の所に「今回の事で、私のイメージにキズが付いて、これからどう生きて行けばいいのか…。人は口に出して言わないまでも、家族も、世間の冷たい目にさらされて、それを気にしながら生きて行かなければいけないだろう――。私の仕事は、もう来ないだろうし、人生も、これで終わりかも知れん。大変」と書いていました。

 2012年10月25日の、独房でのメモ、10年前…65歳の時でしたか…。多くの皆様のお陰を頂いて、今、75歳です。(感謝)

     露草や脚下照顧きゃっかしょうこ瑠璃るりの色   ひろし

 独房日記…「独房の彫物(ほりもの)の事」等は、次号へ続く…。
 お身体ご大切に、お元気でいらっしゃってください。
煙石 博   

2022年5月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.5.1(旧歴四月一日)  目は口ほどに物を言わない

2022.5.1(旧歴四月一日)  目は口ほどに物を言わない

 今年は、珍しく、新暦と旧暦のズレが、丁度1ヵ月違いの月が、2月1日(旧歴一月一日)。4月1日(旧歴三月一日)。今月、5月1日(旧暦四月一日)と、なっていて、他の月も、一年を通して、新旧の暦のズレは大きくなく、ほぼ3日~8日位の小さなズレ幅になっています。

 それが、どうなんだと言われると、私も困りますが、旧暦は、月と太陽との動き等から作られているものと言う事で、何か意味があるかも知れないと、気候等を、より注意して観察していこうと思っております。

 ところで、長引くコロナとの闘いで、やむなくマスクの着用を強いられて来ましたが、マスクと言うと、私らが昔からイメージして来た事は、元々、ノーマルでは無く、カゼをひいている病人が、養生の為に着用しているとか、漫画等に登場する銀行強盗のお決まりのスタイルのマスク姿…。どこか、うさん臭い、陰のあるイメージが付きまといます。

 しかし、現代は、コロナの防疫対策の為に、外に出ると、右を向いても、左を向いても、前も、後ろも、マスク、マスクで…。
 グループでいても、何か水くさくて、よそよそしく、冷たい雰囲気が漂っている様で、まるで、皆、マスク教団、マスク教の信者になって仕舞った様な風景にも見えて仕方がありません。それに馴れていく事も不安…です。
そんな、非日常が日常となっている事を自覚している事も必要かな、と思います。

 それにしても、私は、どうも、このマスクだらけの景色に馴染めず、むしろ、何かしら、不安とストレスすら覚え続けております。

     疫病に怖るる街の夏マスク   ひろし

 特に、マスクを着用しての会話は苦手で、話のやりとりに何か集中出来ず、目に見えないイライラが、積もりに積もるような気がしています。

     人を刺す程のマスクの目と合ひぬ   ひろし

 とは言え、昔のことわざに、「目は口ほどに物を言う」と言うのがあったり、「目の色を変えて怒ったり」という表現や、「目を三角にして、にらみつけたり」…時に女性に見とれて、目尻を下げる事があったりはしましょうが、目つきだけで相手に気持ちを伝えるには、もどかしく、目は口ほどに喋ってはくれない様です。

     あやしげなマスクメイクにだまされぬ   ひろし

 それと、これは、私だけではないと思いますが、どうも話をする時、相手の顔の表情を見ながら聞いていないと、今ひとつ、相手の気持ちを理解しづらく、会話も弾んでこない気がしています。
さらに、「喜怒哀楽」は、顔全体の表情でも発するもので、特に、口まわりには、「表情筋」と言うものがあって、コミュニケーションには、大切なんだそうで、マスクは、これらを全てさえぎっている訳です。歯痒はがゆい事です。

 目は口ほどに物を言う…とは言いますが、目は口ほどには、物は言わない。黙っていては、それぞれの意志は伝わりそうもありません。欧米ではマスクをとってもOKという所が増えております。日本でも早く普段が戻ってくれないものかと願うばかりです。

     コロナ禍の大逆境の風若葉   ひろし

尚、今回の四畳半独房日記・備忘録⑪「かわいそうな、おじいさんの話」は、紙面の塩梅で、次号に書かせて頂きます。   皆様のご健康をお祈りしています。
                                     煙石博

2022年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.4.1(旧暦3月1日)大変心配していた事…。独房日記・備忘録⑩「これも、怖い話」

2022.4.1(旧暦3月1日)大変心配していた事…。独房日記・備忘録⑩「これも、怖い話」

 私は、現役のアナウンサー時代、俳句が趣味だった事もあり、番組の中で、四季の移ろいに気を配り、草木の育つ様子や、花の咲く時季等について気を遣っておりました。
その為、明治以降に使い始め、今も使っている世界共通の「太陽暦」と、それ迄、千年以上、日本で長く使われて来た暦、つまり、旧暦と言われる「太陰太陽暦」(月の満ち欠けと、太陽の動きから計算された暦で、日本の自然、農業、漁業、気候を理解する上で、とても大切なもの)と突き合わせながら、一年を観察しておりました。

 そんな訳で、私は、新暦に旧暦を記した暦を使った後も、かなり前のものも保存しておりますが、その暦を振り返って展げて見ますと、この10年余り前より、季節の移ろいが、自然歴の旧暦でも納得できない程の異常気象の連続だった事を、改めて確認しました。

 ちなみに、東日本大地震・津波に見舞われたのが、2011年(平成23年)3月11日でしたが、私の暦の記録メモを見ると、その前の年2010年には「著しく天候不順の年。残暑がいつまでも続き、秋が無くて、12月に入っても暖かく、一度に冬が来た」と、初めて異常気象としてメモしています。(その前の年までの暦には、取り立てて、そんな異常気象のメモはありません)
 その翌年、2011年3月11日に、東日本大地震・津波がありました。また、9月には、紀伊半島の大水害(和歌山、奈良、三重)があったと記しています。
 そう言えば…と、記憶を手繰り寄せ始めると…2012年9月…よみがえって来たのが、私の忌まわしい日。
 話の本筋から外れますが、えん罪史に残る私のえん罪被害、二度とあってはならないと思う一念で、敢えて筆を走らせますが、そもそも、2012年9月24日(月)、午前9時過ぎ、家の近くの地方銀行の支店に、500万円おろしに行った時(その前の週の金曜日に、月曜日の9時過ぎに、500万円を引き出す予約をしていたもの)、私が、客が忘れたとする66600円だけを盗って、証拠とされた封筒だけ記帳台に戻して帰ったというものですが、これは、初めから、でっち上げられた、有り得ない窃盗事件でした。
 それから半月余りも後の、10月11日(木)9時過ぎ、刑事2人が、突然、私の家にやって来て…盗った、盗らないで、刑事との押し問答の末、午前11時30分に、逮捕状の呈示もなく逮捕され、その日の昼前に、広島県警南警察署の留置場に入れられて仕舞いました。 そして、28日間勾留されたのち、広島地裁・高裁で、確たる証拠もないのに、信じられない懲役1年、執行猶予3年の有罪判決。そして、最高裁での、奇跡と言われる逆転無罪判決を勝ちとるまでの苦節…地獄の4年5ヵ月を経験しました。改めて、皆様のご支援に、心よりお礼を申し上げます。併せて、家族、妻子の支えにも感謝です。

 さて、話を本筋に戻しますが、東日本大地震・津波が起きる前の年、2010年から、私のメモに、異常気象と言う言葉が目立ち始めます。2013年のメモには、異常気象、夏猛暑、連日35度を超える暑さ、厳しい残暑がいつまでも続く。台風による超豪雨、竜巻等で各地に被害…。 2014年8月には、広島の土砂災害。2015年には、超異常気象、大みそかより元旦は、京都とその近県に大雪。夏は、超猛暑39.8度とか、連日35度を越える暑さで、お盆が奇妙に涼しく、その後、超猛暑(38℃~40℃)。そして、急激に涼しくなり、8月末には、10月初め頃の涼しさとなって、残暑なし。さらに、火山の噴火、異常に多し。箱根、口永良部島、浅間、桜島、阿蘇山の大噴火。9月に関東豪雨、茨城県鬼怒川決壊。10月は南米チリで、M8の大地震・津波。
 その翌年、2016年のメモには、草花の狂い咲き多し。4月、熊本地震…振り返ってみると、この10年余り前から、恐ろしくなる程の異常気象に、天変地異多発…。

 ここまで振り返ってみて、私が心配する所は、実は、昨年2021年の季節の移ろい等が、2011年の東日本大地震の前の年に似て、取り立てて異常…だった様な…。例えば、私の暦のメモに、8月9日頃、台風9号が、台湾海峡を通過したあと、変わったコースをとり、鹿児島県枕崎を通って、広島、呉を直撃。その後、妙な前線が出来て、線状降水帯…九州の豪雨、大災害…8月なのに、梅雨前線か、秋雨前線の様な前線が居座って、各地で豪雨被害。その後のメモに「このまま焼き尽くされるのではと思う程の、過酷で過激な激暑の中でのオリンピック、パラリンピック…」と記しています。
 そして、そんな夏が、8月の終わりには、スイッチが切られたかの如く、残暑も無く秋へ…」とあり、「10月になると、今度は、各地で(初めての事)、30度以上の真夏日が続く」と書いています。事程左様に、季節の混乱がありましたが、更に、付け加えると、正月過ぎても、寒波の無い冬を越して、桜の開花が異常に早く、広島が全国一早くて、3月10日だったのも昨年でした。
 つまり、昨年の気候には、2011年の東日本大地震の前の年ほどの季節の混乱があり、よもや、今年再び、そんな大地震等はと思って心配をしておりましたら、今年2022年の1月16日、トンガの海底火山の噴火・津波。1月22日、大分、宮崎で震度5強の地震。3月8日、パプアニューギニアの火山が大噴火。そして、心配していた大きな地震、3月16日、東北新幹線が脱線する程の、福島沖を震源とする、東北の福島、宮城の震度6強(M7.4)の大地震…がありました。
 これで、もう、これ以上の天変地異が起こらない事を祈るばかりです。そして、日本の四季が、昔の様な、春夏秋冬の姿やさしい移ろいを取り戻して欲しいと願っています。


          改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑩「これも、怖い話」
       (これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 独房でのメモを読み返してみると、10月25日、定刻9時消灯…11時頃か、突然、留置場に押し込まれた男あり。鉄扉を閉められて、鍵を掛けられるやいなや、鉄格子を「ガチャガチャ、ガタガタ、ドンドン…」と、揺すったり、蹴ったり、敲いたりして暴れまくる男…。加えて、広島弁で怒鳴りまくりますが、私共が使う広島弁ではない、反社会的な方が使われる怖い広島弁で、「わりゃぁ~(お前は)、わしを(私を)どうするんなら(どうするのか)!! こが~な所へ(こんなところへ)押し込めや~がって!! はよ~(早く)、わしを(私を)こっから(ここから)だせぇやぁ!! お前らあ~、しご~(始末)したるどぉ~。」等と、おらび(怒鳴り)続けます。しばらく、怖い暴言を吐き続けて、房の中で大暴れ。鉄格子を蹴破って出て来そうな怖いムードでした。今夜から寝かせてもらえそうもないと、不安になって覚悟しておりましたら、ひとしきり暴れて、しばらくのち、疲れたのか、静かになって眠った様でしたが、この男、早朝に房を出されて、どこかへ連れて行かれた様でした。翌日、刑務官に聞くと、ゆうべのお騒がせ男は、酒乱の酔っぱらいらしく、留置場の、入ったすぐそばにある保護室で預かったとの事でしたが、時々こう言う男を預かるそうで、大迷惑しているとの言葉が返って来ました。これも、怖い話でした。独房日記…「かわいそうなおじいさんの話」は、次号へ続く…。       

 煙石 博

2022年3月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022.3.1 住宅・ビル建築ラッシュの先は…。独房日記・備忘録⑨「刑務官も…怖い…。」

2022.3.1 住宅・ビル建築ラッシュの先は…。独房日記・備忘録⑨「刑務官も…怖い…。」

 コロナ禍のお陰で、相変わらず自粛疲れの日々を強いられていますが、私も、このところ、俳句の月例句会が、1月の新年句会に続いて、2月の句会も、お互いに高齢仲間と言う事で、用心の為、大事をとっての休会となり…モヤモヤ気分が残っています。

 どうも、句会が中止になった事で、何か無駄な時間が過ぎてしまった、惜しまれる時間の経過を感じると共に、これは、単に句会が休みになったという事だけでなく、私共にとって、いかに、人と人との交流や、そこでのコミュニケーションが大切であり、人間は、1人で生きているのでは無いと言う事を身をもって実感するところです。早く、人間らしい日常が戻って来る事を願うばかりです。

 ところで、これは、少し前から続いている事ですが、コロナ禍の中でも、相変わらずの建築ラッシュ…が続いています。家が建つ、ビルが建つ。広島の中心街、本通りも、長い間、店舗の建て替えを見る事がほとんどなく、いつも見馴れた商店街でしたが、最近になって、何ヶ所かのお店が、建て替えられているのを見掛けます。

 又、私の住んで居る南区の町内会でも、(私は、生まれた所に、ずっと住み続けている…考えてみると、原始人のままの様な気がして来ますが…)最近は、住宅の新築が目立ち、ところどころ、新しいビルも、ニョキ、ニョキと…下町の様子が少し変わって来つつあり、幼い頃から見馴れて来た町並みが姿を変えつつある事に気付き、ちょっぴり感傷的な思いもしています。
 そう言えば、広島の中心部も、基町の中央公園のサッカースタジアムの建設が始まったし、広島駅前の郵便局ビルも、かなり高階まで建設が進んでおり、戦後、幾度か姿を変えて来た広島駅ビルの新築工事も、順調に進められている気配…。

 この建築ラッシュの先にあるものは…。これは、何としても、大きく姿を変えつつある広島の、令和の新しい顔を見届けたいもの…。齢を重ねて行きますが、お互い、まだまだ、這いつくばって、頑張りたいものです。

 自然界も、草木の芽吹きシーズンを迎えます。

     酒を酌め起こしの雨ならむ   ひろし

 降る雨も、芽吹きを促す、優しい恵みの雨となりましょう。


          改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑨「刑務官も…怖い…」
        (これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいという思いから書き綴っています。)

 さて、訳もわからぬままに、広島市南区の広島県警南警察署の独房に叩き込まれて、薄暗く、不快な房の中で、不安と恐怖の為に、2晩、一睡も出来ず、昂奮の中にありましたが、さすが、三日目は疲れ果てて眠りに落ちました。しかし、その眠りは、ウト・ウトするのですが、2時間おきに目覚めるという浅い睡眠状態で…、これは、房の中に居た28日間、ず~っと続きました。

 以下の話は、独居房に入れられ、「13号」と呼ばれて…数日のちの事だったと思います。

 私は、現役のアナウンサー時代、40代の初め頃から、合気道の或る先生から、集中力を高めると言う心身統一の座行・座禅の様な呼吸法を教えて頂いて、出勤日の起床時、10分間位、座禅を組む事を習慣にしていました。

 その時の私は、気が動転して混乱状態にありましたが、苦しみの中で「はっ」と我に返り、ここは、心を鎮める為にと、独居房の中で、この呼吸法を取り入れた座禅を組む事で、自分を取り戻そうと思いました。
 起床は7時でしたが、たいがい6時前には目覚めていましたから、皆がまだ寝静まっている早朝6時前の10分間くらい、鉄格子の外の方に向かって、毎朝、あぐらをかき、腹式呼吸の、心身を統一をする座禅を組みました。

 座禅を組み始めた、最初の頃…のある朝、見回りをしていた若い刑務官が、まだ寝静まっている各房を、一室ずつ覗きながら、私の「13号」の前に近づいて来ました。
 私の房の前に来て、鉄格子の中を覗いた瞬間!!。私が毛布を掛けて寝ている事を想定して覗いたのでしょう…そこには、すぐ目の前に、大仏の様に半眼(はんがん)で、こちらを向いて座っている、気合いの入った私がいて、驚き!!、一・二歩あとずさりしたあと、こわごわ、身を守る体勢で固まって、私を見据えている格好になりました。余程、驚いたのでしょう。
 むべなるかな…考えてみれば、房の中に居る者は、犯罪人と言う想定で…おとなしい者ばかりではありません。ならず者も入っている訳で、夜の看守業務は、刑務官と言えども、本音のところ、恐ろしいと言う気持ちがあっても、おかしくは無い訳です。

 しばらく間があって、気を取り直したその刑務官は、再び私の鉄格子に近づいて…「何をしているんだ!!。おとなしく寝ていろ!!。起床時間は7時だ!!。」
 私も、穏やかならぬ気分でしたが、「申し訳ありません。座禅を組ませて頂いております…」。その時の若い刑務官の、慌てて、こわばった表情は…本当にお気の毒でした。
 刑務官も、夜の看守業務は、怖さと隣り合わせでしょう…。独房日記…「これも、怖い話」次号へ続く…。

 ところで、関西に春を告げる、奈良東大寺のお水取りは、3月1日(火)から始まって、クライマックスは3月13日(日)早朝。毎年、お水取りの前か、お水取りの頃は、春がやって来る前の、最後の寒さがやって来る事が多いようです。

     水取や瀬々せぜのぬるみもこの日より   蓼太

 3月は春への目覚めの月。身の周りの、目覚め始める春のエネルギーに気をとめれば、心優しく、暖かい、安らぎを得られる筈です。

     尾道の猫も恋する寺の屋根   ひろし
     芽柳や空いっぱいの川流る   ひろし

 穏やかな春の訪れを祈るばかりです。                  煙石 博

2022年3月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2022年2月1日は、旧暦1月1日で、旧正月、春初め。独房日記・備忘録⑧「お風呂はかけ流し」

2022年2月1日は、旧暦1月1日で、旧正月、春初め。独房日記・備忘録⑧「お風呂はかけ流し」
旧正月は、[寒さの中にも春が兆し始める頃で、「迎春」「初春」と言う表現がピッタリ。春の初めの氣が充ち初め、春初め、早春です。]

前回のブログ(12月28日)に書きましたが、昨年12月に、私の家内の母が、ご長寿でお元気だったのですが、11月に体調を崩され、96歳で亡くなりました。
 家内の父が亡くなった後、気丈に、ひとり暮らしを通されましたが、10年前、私の身に、突然、えん罪の悲劇が降りかかり、それから、最高裁、無罪判決までの5年間…長い間、大変なご心痛をおかけした事は、本当に申し訳なく、私のえん罪をつくり上げた関係の人達に対する怒りと、憤りと共に、お詫びのしようもありません。
 えん罪は、当事者だけでなく、いかに多くの人をも苦しめるかと言う事を、体験を通して痛い程知らされました。えん罪は絶対におこしてはいけません!あってはなりません!えん罪は、人災です‼ これは、私だけの事では無いと思いますから、敢えてブログに書かせて頂きました。

 そんな訳で、今年は、新年のブログを、年末(12月28日)のブログにして、年賀を失礼させて頂きました。
 96歳の長寿で、まぁ、歳に不足はないとも言われそうですが、この度、実感した事は、死と言う永遠の別れは、何歳で亡くなっても、辛く悲しく、無情なもので、命の重みが、何と大きなものであるかと言う事を教えられた事でもありました。
 残された私共も「生きている、生かされている」と言う、「今日を、今を」感謝しつつ、生きて行かなければいけないと言う思いです。
 40年余りも昔になりますが、私だけでなく、多くの人達から尊敬されながら逝かれた、私の人生の師であり、俳句の師のおひとりでもありました、人徳のあった名柄大学さんの、お亡くなりになる前の句を、今も思い出し、涙致します。

   覚えなき 善根功徳ぜんこんくどく冬の虹   大学
   先に逝くものの仕合わせ冬の虹   大学

 先に逝く者は辛い…しかし、残される者も辛い…。「大きな悲しみをかみしめて、小さなよろこびを育てよう」。…大学さんの言葉でした。

 ところで、何があろうと、移ろい行くのが世の習い、早くも1月が終わって、2月ですが、今年の2日1日(火)は、珍しく、丁度、旧暦の1月1日になりました。
旧暦とは、月の満ち欠けと、太陽の動きから計算された大陰太陽暦で、明治初め、世界共通の今の暦が日本に採用されてから旧暦とされた暦…等と、敢えて説明しますが、今年の2月1日が、近年、益々、忘れ去られて行く様な、旧暦の正月です。
 この旧正月の頃は、既に、陽射しが伸び始めており、陽の光にも力がこもり始めて、空が明るく、何となく春へと向かっている事に気づかされる頃です。「光の春」と言う嬉しい表現もありました。
 大変なコロナ禍の中ですが、春へ向かう光へ向かって、「一陽来福」を祈ります。

   立春の光に向かふ心かな   阿火
   鳥の来て揺れたる梅の影も香も   ひろし


          改めて・四畳半独房日記・補足・備忘録⑧「お風呂はかけ流し」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 三度・三度、差し入れられる「幕の内弁当」が、大変美味しかったと、昨年12月1日のブログに書きましたが、もうひとつ有難いものは、週2回、火曜日と金曜日に使わせて貰えた風呂でした。
 留置場に入ると、右手側に鉄格子の房が並んでいますが、その前が、少し広めの通路になっていて、この通路を歩かされ、それぞれの房に入れられます。この通路の向こう側の正面に、鉄格子のスペースがあって、その中が風呂場になっていました。風呂場と言っても、鉄格子の中に、シャワーとバスタブ(洋式の浴槽)が置いてある狭いスペースで、腰のあたりだけ見えない様にガード板がつけられていましたが、ほかは、鉄格子ですから、常に看視されている状態になっていました。

 風呂は、刑務官から、房の番号(私は13号)で呼ばれた順に、1人15分の時間制限で使いました。刑務官が決めた順に、朝食後すぐに、風呂時間となります。
初めての風呂時間の時、刑務官から「湯船には浸からず、シャワーと、かけ湯で体を洗う様に」と言われたと思いますが、他の者も、湯に浸かる者は居ませんでした。
 さて、バスタブの前に立った時、「ええっ!」と思った事に、湯船からは、常に湯が溢れ出て流れるままにしてあり…かけ流しの温泉?状態…。風呂を使ったあとで、老婆心ながら、刑務官に「水がもったいない様な気がするんじゃが…」と言うと、刑務官が「病気を持っとる奴がおっちゃぁいけんけぇのぉ~」と話してくれ、「そうか、成る程…」と、納得した事です。その時の私は、理不尽な濡れ衣を着せられて、やり場の無い精神状態にありましたので、湯船から溢れ出ている湯を洗面器いっぱいに汲み上げては、腹立たしい気持ちの捌け口(はけぐち)を求めるかの様に、頭から贅沢にかけ湯を使いまくりました。
 実は、湯船から溢れ出てゆく湯を惜しみなく汲み出して、かけ湯をすると…とても気分よろしく…不思議な満足感に浸れると言う事も知りました。留置場を出てからのち、あの快感を我が家でもと思う事もありますが、水道代の事を思うと…その勇気がありません。
 ところで、「刑務官も…怖い…」と言う話は…次号へ続く…。 

 暖かくなりかけたかと思うと、また寒さが戻って来る事を、冴返る(さえかへる)と言いますが、これからは冴返る日もありましょう。そして、もっと寒さが戻ると、凍て返る(いてかへる)、 さらに、それ以上に寒さが戻ると、これを… ひっくりかえる・・・・・・・?とは…言いません。

 何も彼も世は冴え返りウイルス禍   ひろし

 暦の上では春とは言え、関西では、奈良東大寺のお水取りが終わるまでは(今年は3月12日)…寒さへの油断は出来ません。

春近し 千辛万苦せんしんばんく越へ行かむ   ひろし

 立春大吉、「光の春」は、天からの恵み。 お身体ご自愛ください。
                                 煙石 博

2022年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.12.28 「風もけ野菊気高き日を逝かれ ひろし」死なない病気になりたき日…。

2021.12.28 「風もけ野菊気高き日を逝かれ ひろし」死なない病気になりたき日…。

 私の家の前の小さなスペースに植えている野菊が、今年も、よく咲いてくれましたが、師走になっても、まだまだ盛んに咲き続けてくれています。

 そんな野菊が盛りの頃、12月6日、私の家内の母が96歳で亡くなりました。

 国難の、戦中・戦後を生きられ、戦後、若き日には、女教師として教鞭をられましたが、いつも、たいへん気丈な後ろ姿を見て、元気を頂き、教えられる処ばかりでした。

 晩年も、介護付有料老人ホームで、元気に余生を送られ、90歳を過ぎても、気力充分の日々でしたが、折柄おりからのコロナ感染対策の為、面会が出来なかったり、面会出来ても、厳しい面会制限があったりする、不自由な私生活の中、11月に体調を崩されて、少し入院されたのち、亡くなりました。

 96歳と言うご長寿ではありましたが、何歳の別れであっても「愛別離苦」は、いつの世においても、変わらぬ人の世の無常…辛い悲しみの中で、私共だけの家族葬で送らせて頂きました。義母への追悼の句。

    風もけ野菊気高き日を逝かれ    ひろし

 ※この書面をかり、義母より10年余り前に亡くなった義母の夫、私の義父への追悼の句「萩の露逝かれし人の徳重く ひろし」を、このブログに併せてしるさせて頂きます。

 義母は、生前から、残される私共が困らない様に、自ら、几帳面に終活をされていかれましたが、それでも、人が1人亡くなったあとも、残された者がしなければならない事が沢山ある事を、改めて体験しながら…私共夫婦して、「これは、死ぬ訳にはゆかぬ。死にたくない、死んでは大変…死んではいけない」?等と、複雑で、共通な思いを…話したりもしています。

 そんな訳で2022年のお正月は、喪に服し、年賀状、新年のブログも休ませて頂く事としました。

 厳しき季節の中ではありますが、草木は、すでに来たるべき新しき年に咲かんとする花芽を秘かに宿し、命の花芽を膨らませています。

    コロナ禍の世の明け暮れや去年今年こぞことし   ひろし

皆様におかれましては、よき新年をお迎えになります様にと思います。
                                          煙石 博

2021年12月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.12.1 死なない病気…。四畳半独房日記・備忘録⑦ 留置場の弁当は…

2021.12.1 死なない病気…。四畳半独房日記・備忘録⑦ 留置場の弁当は…

【速報】 私の冤罪体験が、月刊「紙の爆弾」の2022年1月号(2021年12月7日鹿砦社より発売)の取材を受けました。
※冤罪は、他人事ではありません。誰の身にも…。冤罪を出さない、市民の監視と良識のある社会を――。

 今年は本当に異常気象の1年で、春には広島の桜(広島市基町の縮景園内の標準木)が、日本で一番早く3月10日に開花して驚かされましたが、この時、梅も、桃も、ほぼ時期を同じく咲いていた様な記憶があります。草木も、花の時期を間違えて、早まったり、遅れたり、生物時計(体内時計)を狂わされたものが多くあった様に思いますが、近い所でも、10月終わり頃、広島市の中心部、中区基町のハンコ屋さんの見馴れた花壇に、梅雨時に咲き香る梔子(くちなし)が、2輪ほど花を咲かせ、香りを放っていました。
 さらに、その少し前には、金木犀(例年なら9月中旬から10月初め頃に咲く)が、今年は、遅くて、10月下旬に咲き、しかも、例年より花を沢山つけ、よく香ったと、これは、多くの人からも耳にした所です。

 そんな、金木犀の花の香がまだ残っていた11月11日(木)、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、9日に、亡くなられた事を知らされました。ご長命でしたが、大変残念で、淋しい思いです
 私は、昔、RCC中国放送本社の近くですが、紙屋町そごうの並びにあった、NTTクレド6階の、ラジオのサテライトスタジオで、「なんでもジョッキー」と言う番組を担当していました。そこで、毎日、歌手やタレントさんをお迎えしてお話を伺っておりましたが、今から20年余り前、1998年10月27日(火)、寂聴先生を(75歳?くらいの時)ゲストにお迎えした、忘れる事が出来ない、あの日、あのひと時が、思い起こされます
 10月は秋晴れの日が多いのに、その日は朝から雨で、午後の放送時間には上がるだろうと思っていましたら、午後になっても雨が上がるどころか、季節を間違えた様な大雨になって仕舞いました。
 ガラス張りのサテライトスタジオから、昼でも暗い外の様子が見えて、テラスには、風に吹かれた雨が降り込んでいました。寂聴先生をお迎えして…。

煙石「寂聴先生、こんな雨の日に、足もとが悪い中、お越し頂いて、本当に申し訳ありません。ありがとうございます。」と申しますと、それを、すぐさま打ち返す様に「いえいえ、ご心配されなくていいですよ。私は飛行機で来ましたから、足もとは、ご心配には及びませんよ。ありがとうございます。」と、明るくお答えになりました。

 話題の中心は、「源氏物語」の新たな現代語訳出版のキャンペーンでのご来広でしたので、その話が主でしたが、70代半ばには思えない、信じられないお元気さで、氣があふれていて、私共が元気を頂きました。著書の話を伺ったあと、

煙石「寂聴先生は、本当にお元気でいらっしゃいますね。」と言うと、
寂聴さん「ええ、ええ、私は、お医者さんから、いつも、元気が病気ですねと、言われているんです。」
煙石「元気が病気…ですか?はっ・はっ・はっ。これ、私のジョークで使わせて頂いていいですか。」  …そして、最後に
煙石「先生、これからも、お元気で、ご長命でいらっしゃって頂きたいと思います。」と言うと、
寂聴さん「煙石さん。大丈夫です。私は、死なない病気ですから。」
煙石「ええっ!死なない病気‼…私も死なない病気に…なりたいです。」

 とにかく、愉しく、お茶目で、元気で一生懸命なお話しぶりに、すっかり魅了され、寂聴ワールドに引き込まれていました。寂聴先生は、周囲の我々にも、元気を分けて下さり、生きるエネルギーを頂いた様な気がしました。
 サテライトスタジオの外は暗く、雨が降り続いていましたが、寂聴先生が、まるで太陽の様で…ありがたい慈悲に包まれた、ひとときであった事を、今も忘れる事が出来ません。
 あれから、20年余り…死なない病気の寂聴先生…これからも、私共の心の中に生き続けて下さると思います。死なない病気に…なりたい。     合掌、感謝。

     寂庵の石蕗つわなほ慈悲の花明かり    ひろし

 改めて・四畳半独房日記・補足・備忘録⑦ 留置場の弁当…
 (これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいという思いから書き綴っています。)

 留置場での28日間、ひとつだけ、ほっとしたのは、朝・昼・夕の弁当でした。注文して、会社へ配達してもらう、あの「幕の内弁当」(20cm?位の正方形のもの)が、大変おいしかったのです。唯一、自分が取り戻せた時間だったから、そう感じたのかも知れませんが…。
 鉄格子の左下の隅に、猫の出入口の様な小さな差し入れ扉があって、刑務官が、それを開けて、弁当を差し入れてくれるのです。最初の頃、刑務官が「ありがとう思え、この弁当は、ワシらが注文して署で食べる弁当と、ほとんど同じもんじゃ。お前が食べるぶんは、ワシらと、おかずが、ひと品か、ふた品少ないだけじゃ。ありがとう思うて食え」

 弁当は、朝は7時、昼は12時、そして、夕食は5時に差し入れられますが、5時に食べてしまうと、房の消灯が午後9時…。余り早いので、あとで食べようとすると、外から声をかけられ、「はよぅ(早く)食え、片付けにゃならんけぇ、すぐに食え」と命じました。これは、刑務官の勤務の退署時間の都合でしょう。
 弁当は、白御飯の真ん中に、小さな梅干がある「日の丸弁当」で、周りの数か所に、おかずの仕切りがあるものでしたが、メニューは、1週間以上、毎食違い、弁当屋さんの企業努力に感じ入った事です。
 ハンバーグや、小さいが、ヒレ肉も…。魚は骨抜きしてあるか、骨のない魚。おかずも多彩でしたが、時に、子を持っていないオスのシシャモが入っていて、それから、しばらくして、再びシシャモが入っていると、10日間?と言う、メニューのローテーションの様なものがあるのかなと思ったりした事を思い出します。
 とにかく、日頃、1日きっちり3食べていなかったのに、留置場では、三度の弁当がおいしく、28日間、3度の食事を残さず食べました。ところが、留置場を出る時、体重を計らされ、太ったかなと思いましたら、何と、3キロも減って、痩せていました。運動不足なのに…、やはり、心労のせいだったのでしょう。 朝・昼・夕の弁当は…「うも~がんした(おいしゅうございました)」

 そして、「お風呂は、かけ流し」という話は…次号へ続く…。

   カレンダー一枚あとの無き師走   ひろし

 来年が佳き年であります様に。お身体ご大切になさってください。     煙石 博

2021年11月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.11.1 「びったれおどし」。四畳半独房日記・備忘録⑥トイレットペーパーの コヨリ

2021.11.1 「びったれおどし」。四畳半独房日記・備忘録⑥トイレットペーパーの コヨリ

 コロナ・コロナに振り回されて、気が付けば、はや11月。大変だった一年が我々の社会生活には御構い無く、非情な歯車を回し続けて行く様な気がしています。
 そんな思いの中で、色々な事があったこれまでの1年を冷静に振り返ろうとすると…
 それらの事が、混沌と混乱の中に整理がつかない儘、すでに、すっかり色褪せてしまっている様にも見えます。悔しい事に、コロナ戦争は今年も収束せず、感染者数の減少で少しホッとしたものの、相変らず目に見えぬ敵との闘いが続いて、私共は、いやが応でも、ストレスを溜(た)め続ける日々を生きているのでは無いかと思っていますが、皆様の、お元気で健やかな日々を心より願っています。

   待ち人の銀杏いちょう黄葉もみじの中より   ひろし

 これに加えて、相変わらず四季の移ろいが尋常ではない事も気に掛かっています。
 思い返すと、今年の1月2月、例年の様な寒中の寒さも無く、暖冬のまま一気に春へ…。そして、季節は先を急ぎ過ぎる様に移ろい、それが、桜を始め、植物の開花にも影響を与えていたのではと言う事を、これまでのブログでも書いて来ましたが(季節を間違えて、我が家の野菊の一部が、5月に咲きましたが、他のほとんどの野菊は、11月の今、やっと咲き始めています。

 春過ぎてのち、早い梅雨入りと早い梅雨明け、そして、いきなり襲って来た猛烈な激暑の夏は、「危険な暑さ」と表現されて、これまでに経験した事のない猛暑。それが一転して、8月の月遅れのお盆から、盆らしくない長雨が続き、梅雨の様な天気になって、九州や中国地方に豪雨被害まで出しました。
 私は、これまでのブログで、今年は季節が早く移ろっていると指摘して来ましたが、この8月のお盆から1週間以上続いた長雨は、例年9月半ば過ぎから10月初め頃よくある、秋の長雨(秋霖・しゅうりん)の様に思えました。
 その長雨のあと、9月過ぎに再び夏が戻った様な暑さとなり、(10月7日、関東地方で、震度5強の地震。西ノ島近辺では相次ぐ火山活動と、穏やかならぬ事も続いて、太平洋戦争の激戦地、硫黄島は、島全体が隆起しているとか…)10月になっても、何日も真夏日の日が記録される季節外れの異常な暑さが続いている所へ、10月半ば過ぎ、例年は、過ごしやすい季節ですのに、突然寒くなり、各地でいきなり冬の便りを聞く様になりました。

 こうした、ただならぬ出来事と気象の中で突如やってきた寒さは、広島では、10月16日の夕方。強い風を伴って急激に寒くなり、一気に11月中旬~下旬の寒さに震え上がりました。これも、半月以上早いのですが、例年11月初めの初冬に吹く「木枯らし」ではと思いました。こう言う急な寒さの到来を、広島弁で「びったれおどし」と言います。
 広島弁で、無精者、だらしない者を「びったれ」と言い、無精者、だらしない者が、慌てて冬支度をする様な寒波の襲来と言う訳です。 
 この寒さに続いて、10月26日からは、暖かい日に恵まれ、これも、季節が早くなっていると思えば、11月初旬によくある、朝晩は冷えても日中は暖かくて長閑(のどか)な小春日和(こはるびより)がやって来たのだと感じています。
 とに角、四季は移ろっているのですが、四季の移ろいが、ぎくしゃくして、乱暴過ぎ、戸惑うばかりの儘、気が付けば、もう11月。しかも、随分早くから冬の訪れを告げる寒さで、我が家では、毎年、旧暦の「亥の子(いのこ)、炉開き」の日を、暖房器具を使い始める目安にしていますが、今年のその日は、11月11日(木)。…私は、少し早めに、あんか炬燵を使い始めました。
しかし、行楽・グルメ・紅葉の季節…師走までの、しばらく、心を癒したいものです。

     我思ふ故に酒ある夜長かな   ひろし

        改めて・四畳半独房日記・補足・備忘録⑥トイレットペーパーのコヨリ

(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残して置きたいと言う思いから書き綴っています。)
             【 房内で不自由したものあれこれ・・・。】
◎留置場の房内には、一切の私物は持ち込む事が出来ず、勿論、携帯電話は取り上げられ、とても苦しい孤立無援の、孤独な心理状態に追い込まれました。
 自分のスケジュール手帳も、何度かお願いして、鉄格子の外の別室で、刑務官立ち合いのもと、見る事になり、不自由でした。
面会は、1日に15分のみで(弁護士との接見は別)、家族と話をするのに、刑務官立ち合いで、話の内容をチェックされ、事件絡みの内容だったか…? 時に、警告を受け、それ以上話せない事もありました。
 ※私の事を心配してくれて面会したいという知人の要望も、時間が短いので、全てお断りせざるを得ず、申し訳なく思いました。この15分の家族との面会は、唯一の心の支えとなっていましたが、土曜日、日曜日は、終日、面会の時間は与えられず、週末毎に、本当に心細く、辛い思いで、月曜日を待ちました。
※私と面会者の間には、アクリル板の間仕切りがあって(テレビドラマのシーンで見られた事もあると思います…)、透明な間仕切り(パーティション)越しの会話になりますが、厚みのある間仕切りの真ん中辺りに、無数の小さな穴があけてはあっても、声が聞き取りにくく、イライラしました。
◎家族からメモ用紙を差し入れてもらい、出来るだけ記録をとる様にしましたが、朝7時から夜9時までしか、筆記用具を与えられず、夜9時になると、筆記用具のボールペン(凶器に使わない様に、特殊な形をした特製の物を貸与されていた。)と、メモ用紙、それに、メガネも取り上げられて、翌日の7時に戻してくれるまで、メモをとる事ができません。
 夜、あれこれ悩んで思いついた事をメモする事が出来ず、歯痒(はがゆ)い思いをしました。ただ、心細く、辛い心境の中で浮かんだ俳句があり、これだけは何とかと、トイレットペーパーをコヨリにして、鉄格子の隅に、密かにカタカナで文字を作り、あとでメモ用紙に書き取りました。

     13号と呼ばれ時雨るる鉄格子   ひろし

 ただ、悔しかったのは、朝7時に、メガネは戻してくれるのですが、特製のボールペンとメモ用紙は、「食事(弁当)の支度がある」とか、「ちょっと忙しい」と言って、なかなか戻してくれません。独房から、取り調べ室や検察へ行く為に房を出る時も、筆記用具は取り上げられ、留置場に再び戻った時、「筆記用具とメモ用紙を戻して下さい」と頼んでも、「忙しいので、あとで…」等と言って、なかなか戻してくれません。…取り調べの内容等を、少しでも残されたくないという意思が働いているとしか思えませんでした。
 あれから9年もたつのに、留置場に入っていた9月・10月の、冷たい、忌まわしい記憶は、今でも不快に思い出されます。
 ただ、留置場の「弁当」が、「うも~がんした(うまかった)」話は、・・・次号へ続く・・・。

     寒くなりましたので、呉々もお身体ご自愛下さい。    煙石 博

2021年10月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien