2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
            ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
                 ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

 3月の終わり頃でしたか、新聞の小さな記事で「村木元次官が講演」と言う見出しが目に入りました。
 元厚生労働省次官の村木厚子さんが、北海道札幌市で講演されたと言う記事でしたが、村木さんと言えば、検事の証拠改ざんによって冤罪事件に巻き込まれ、数少ない無罪判決を勝ちとった冤罪の被害者。数年前に、広島弁護士会館で、村木さんの講演を聞かせて頂きましたが、お元気のご様子でした。
 又、先日、4月10日には、NHKのEテレで、村木さんと、警察小説の第一人者、今野敏さんとの対談特集では、冤罪事件の体験談を話していらっしゃるのも見て、改めて怒りを覚えました。(番組サイトはコチラ

 そして、その約1週間後、日本テレビ系列「NNNドキュメント」という番組で、「濡れ衣・闘い続ける余命1年」という、茨城県利根町布川で起きた布川ふかわ事件の冤罪被害者の1人、桜井昌司さんの苦難の道のりを見ました。(番組サイトはコチラ) …憤りと共に、無罪となったあとの闘いや、彼の勇気にも敬服し、冤罪を少しでも少なくする為に、闘い続けて欲しいと思いました。

 ところで、私も、忌まわしい体験の真実を残しておきたいと、このブログを綴って来ましたが、冤罪の濡れ衣を着せられたのは、2012年10月11日(木)で、8年余り前の話になります。

 人間には、嫌な事は早く忘れて仕舞いたいとする自己防衛本能があるらしく、その忘れて仕舞いたいとする本能に抵抗する事は、心が重く、辛い事だと自覚しているところです。

 しかし、時と共に忘れて仕舞う前に、もう少し、備忘録として残しておきたい事も…と言う思いもあり「四畳半独房日記」の補足をもう少し…と言いながら、思い出して書こうとする度、気が重くなって、仲々、筆が進みませんでした。

               改めて、四畳半独房日記の補足・備忘録

 まずは、そのプロローグです。

 2012年10月11日(木)、朝9時過ぎ、突然やって来た刑事2人の1人、T刑事と、置き忘れられたと決めつけた金を、盗った盗らないで、2時間にも渉る激しい口論の末、もう1人のM刑事が、大きなリュックサックのチャックを開け、「逮捕状」と手書きされた茶封筒(A4サイズ位)の文字を見せて、逮捕状の呈示もなく、手錠をかけ「11時30分!煙石博を逮捕する!」と言って、広島南警察署に連行しようとしました。

 私には全く身に覚えの無い事で、斯くなる上は、署に行って盗ってない事を説明・主張すれば判ってもらえるだろうと覚悟を決め、仕方なくワゴン車に乗りました。妻も同行させて下さいと言ったのですが、「奥さんは乗せる訳にはいかない」と、拒否されました。
 南署は家の近くですから、妻には自転車で付いて来る様に頼み南署に向かったですが…。
 私は、ワゴン車の中で手錠をかけられた様に記憶していますが、手錠姿の私は、そのまま署の留置場に入れられて、妻と引き離されて会わせてもらえませんでした。
 私は最初から、起訴される事が約束された被疑者として、留置場に入れられる段取りとなっていたのです。

 ワゴン車で南署に連行された私は、刑事に引っ張られる様にして、留置場に続いている南署の取り調べ室らしき所に連行されるのですが、そこに行く途中、強烈に脳裏に焼き付いている記憶があります。
 それは、突然、有無を言わせず、強引に手錠をかけられて、何が何だか気が動転している私を、多くの署員(?)が見ている職場(執務室?)の前を歩かされました。
 私は、定年までRCCのアナウンサーとして働いていたので、RCCの煙石さんだと気づく署員も多いのではないか…手錠をかけられた私の姿を見られている…どうしよう…どうしようと思っても、どうしようも無い恥辱。目から火の出る様な思いに、頭も混乱し、気も動転して、これまでに経験した事も無い絶望感と屈辱…。
 今思いますのに、江戸時代、罪人を、まちなかを引き回して、さらし者にした「市中、引き回しの上…」と言うくだりを読んだ事がありますが、それは、手錠をかけられた姿を人前に晒す事によって、心理的な打撃、ダメージを与える為に計算された事だったのでは無いかと思えてなりません。

 取り調べ室に入れられた時の事は、何が何だか判らぬままで、記憶も、かなり飛んでしまっています。私の盗っていない説明等、全く聞かれる事も無く、調書の様なものをとられて、手錠をかけられたまま、すぐ近くの鉄格子の扉が開けられ、数メートル位の廊下を連行されました。
 そして、その先にある、またもう一つの鉄格子が開けられて、留置場に入り、さらに、少し歩かされて、13号の鉄格子の中へ、押し込まれる様に入れられました。

 今、思い出しても、いや、思い出したくも無い事ですが、思い出しても辛く…苦しい…具合が悪くなりそうな…絶望の淵へ突き落された様な精神状態でした。私は、まだ取り調べもされていないのに、南警察署の留置場(のちに、刑務官から、聞きもしないのに「ここは、代用監獄と言うんです」と、ご丁寧な説明を受けた。)に…、金を盗っていないのに、28日も留置される事になりました。


            あってはならない、信じられない刑事のウソとデッチ上げ

◎最初から、防犯カメラの映像に証拠が映っていると言って逮捕したのに、裁判になって…広島高裁での裁判では、私の方が、専門の鑑定業者に映像鑑定してもらうと、私が封筒に触れていない事が判った。

◎置き忘れられたとする封筒を手にして、場所を変え、金を抜き盗ったと決めつけていながら、封筒にも、封筒の中に残されていた所有者の住所、氏名が書いてある税金の納入書にも、私の指紋は全く付いていない事が判っていた筈なのに…逮捕した

◎「左手で左胸のポケットに、盗った金をねじ込んだ」と言って逮捕したのに、銀行に着て行ったシャツは、珍しくポケットの無い、半そで、アロハタイプの開襟シャツであった。

◎私は、盗っていないので、いくら金が入っていたかは全く知りませんから「なくなった金は、いくらですか」と聞くと、「言う訳にはいかない」と教えてくれず、いくら金が入っていたのかは、何回目かの取り調べの合間に、ポリグラフ(ウソ発見器のようなもので、事件に関する内容についての質問に、全て「いいえ」と答えるテスト)の検査の時、66,600円の、現金の内訳に関する質問で、金額を知る事になる。
◎取り調べは、全く取り調べではなく、私がいくら盗ってない事を説明しても、すべて聞き入れてくれず、「お前は、ウソばかり言っている!マスコミが報道したから、世間の人はお前を窃盗犯だと思っているんだ!!」等と言ったりして、私の無実の説明を調書に書いてもくれない。とにかく、最初から、刑事は、辻褄の合わない、私の窃盗ストーリを作文していて、何が何でも、強引に、それを認めさせ様とする有罪結論ありきのものだった。
◎最後に、私がお金を盗っていなかった事を証明したのに、刑事らは、なぜ真犯人を捜そうともしないのか?何故、事件を解決しようとしないのか…。

 以上、再び、憤りながら、今後も、私の様な冤罪被害者を出さない為にも、勇気を出して、真実を綴らせて頂きました。私の思いがミミズのたわごととならず、ご支援下されば幸いだと思います。そして、もうひとつ、私の事件に関わった警察、刑事らは、私が失った、さまざまなものや、失った人権などに対して、謝罪もなく、反省の言葉もないのは、無責任で、今後の為にも、あってはならない事ではないかと思っていますが…納得出来ないところです。

 この続きは次号で綴ります。

   越へ行かむ辛苦の坂を青嵐あおあらし   ひろし
   憂ひ事あるやにバナナ湾曲す   ひろし

 くれぐれもお体ご自愛下さい。

煙石 博

2021年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien