広島昔話  【中央通りは屋台天国】

2016年6月1日         広島昔話  【中央通りは屋台天国】

6月は衣替えの月でもありますが、広島の浴衣の着初めとされてきた円隆寺の「とうかさん」(3日・4日・5日)も、季節の移ろいを告げてくれます。
戦後、生活に余裕のない時代、長く浴衣姿の少ない「とうかさん」でしたが、日本が豊かになると共に、近年、浴衣姿での参拝客が多くなったのは、世の中が、“ゆかた” いや、豊かになった証しでもありましょうか・・・。
ところで、お祭りを演出するのは、中央通り一帯に並ぶ露店の屋台ですが、屋台と言うと、遠霞む私の青春時代、恥ずかしながら50年余りも前の1960年代には、この中央通りの両側の歩道は、毎日、夕方5時頃になると、どこから引かれてくるのか、たくさんの屋台が、100メートル道路(平和大通り)まで、ずらりと並び、さらに平和大通りにも、たくさんの屋台が、あふれるようにお店を出しておりました。一帯は日暮れと共に、昼の顔から夜の顔に変身していました。
当時の流川・薬研堀の歓楽街には、何か今より活気にあふれていたようなスタンドやクラブがひしめいていましたが、食べて飲めるお店は限られていて、少なかったので、例えば、国際ホテルの横の路地裏、通称「なめくじ横丁」の居酒屋で、小鰯の刺身や、おでん酒で下地を入れるか、その中央通りの屋台等で、安く一杯やって、流川・薬研堀へ繰り出して行くかしておりました。そのあとは、ハシゴにハシゴ、午前様に相成る訳・・・です。自慢にはなりませんけど、当時、私は独身でもあり、給料のほとんどが飲み代に消えていましたが、飲み屋のツケは一円たりとも踏み倒した事はありませんでした。でも、飲まずに貯金していればねぇ・・・ハハハ。
また、あの頃、夜の店の営業時間の規制はなく、朝までやっていましたから、しばしば、飲み屋から会社へ出勤して行った猛者もいたようでした。しかし、中央通りの両側の歩道に並んでいた屋台のお店は、朝の5時になると、きれいに水を流して、一夜の夢を残すことなく姿を消し、見事に普段の街の昼の顔に戻っておりました。もう、半世紀も昔の・・・広島昔話になります。

さくらんぼ娘三人姦(かしま)しく    ひろし
水中花涙に暮るる日も美(は)しく    ひろし

「とうかさん」は、昔、8日・9日・10日の3日間でしたので、人に呼ばれた時の私のポケットジョーク?・・・「何か用か、ここのか とうかさん!」

☆6月5日(日)の街頭行動でのチラシ配りなどのご支援、何かとお忙しいとは思いますが
よろしくお願い申し上げます。

                                      煙石 博

2016年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien