0.038%への憂い

2017年7月7日  0.038%への憂い

    雪冤や奇跡の無罪てふ憂ひ      ひろし

 これまで、私の事件を事ある毎に追跡してきた冤罪ファイル。No.28号 8月号に、ルポライター片岡健氏が、私の冤罪取材レポートを丁寧に書いて下さいました。

 私がこの冤罪事件に巻き込まれている間、日本の司法の問題点を指摘するいくつかの出版物を読んで知った事は、起訴されてしまうと無罪になるのは0.1%。つまり、有罪率99.9%
裏を返すと、この99.9%という数字は、日本の司法がいかに多くの冤罪を生み続けているかの証でもあり、大きな問題でもあるということでした。これは、国際的にも、関係組織から改善するように指摘されている事だそうです。私は、それを身をもって体験したということで、これは、私だけの問題ではないと憂えております。
 改めて「無罪判決!0.038%の逆転劇!」という見出しを読むにつけ、真に厳しい闘いだったと思うと共に、0.038%という数字を、憎らしく、忌わしく思います。
              ※0.038%という数字は、直近5年の無罪判決の数字から算出したそうです。

 今号の冤罪ファイルでは、巻頭に元裁判官・弁護士の木谷明氏と、作家・タレントの室井佑月女史による対談が掲載されており、その対談の後半あたりで、私の事件の問題点にもふれていました。
 詳しい内容は本誌を読んで頂けるとわかると思いますが、私が有罪にされた事について、室井「・・・ルールに基づいてやってほしいですよ。」という意見に対して、木谷「ルールに基づいてやっているのだけれども、運用する人によって、結果が違ってくるんです。」と答えている所がありました。それはそうかも知れませんが、そこが大きな問題だと思います。なぜかと言うと、これも日本の司法の問題点を指摘している出版物が明らかにしているところですが、どうも日本の司法は、最初から、「何が何でも有罪」という答えがあって、有罪に向けて作文をしていく、辻褄を合わせていくという事例が多いという事のようです。
 これは「裁き」ではありません。裁きと言うのは、証拠を正しく検証して、真実と正義に基づいた公正なる判断でなされなければならないのに、そこには有罪にする為に、合理性も科学性もないがしろにした、乱暴で不公正な、病んでいる部分があるという真実があるようです。

 さらに、私の体験から申しますと、そんな司法の裁きの前に、警察の刑事の段階で、証拠も無いのに、合理性も科学性も無視した乱暴な手法で、無理やり逮捕に及んでいるという事が大問題です。こんな事が絶対にあってはいけません。つまり刑事の段階で真実に基づいた公正なる取り組みをしていない、誠に不誠実な行動をしている所に、大きな問題があります。
 私の事件に関しては、66,600円を盗っている映像も、現金を抜いた後、元の記帳台に戻って封筒を戻した映像もなく、被害品の封筒に私の指紋がないのに、最初の段階で有罪ありきのストーリを作って逮捕に来た刑事に問題ありなのです。考えると、また怒りがこみ上げてきます・・・ので・・・休止。

 ところで、7月17日は、戦後・昭和が生んだスーパースターの石原裕次郎の命日です。あの頃、日本人が今より正直で、誠実だったような・・・私の思い込みでしょうか。昭和も遠くなりにけり・・・。

   雨の日々裕次郎忌となりにけり       ひろし
   サングラス戦後も遠き裕次郎        ひろし
                                    煙石 博

2017年7月7日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien