2018年11月7日 そういえば、今日は6年前に保釈された日でした
夜、家で晩酌をしている時、無罪を勝ちとる会のメンバーだった或る方から電話がありました。1つは、Youtubeの視聴回数が、29万回を超えた事。もう1つは、南警察署の留置場から保釈されたのが、確か11月の7日でしたね~。という電話の内容でした。記録を見ると、確かに2012年11月7日に保釈請求3回目で、ようやく保釈許可。(28日間拘束)とありました。
あの時の事を回想してみますと、何が何だかわからないまま、やっと留置場から出られる…と、ただただ、安堵ばかりの思いでした。(私は、この時点でも、裁判では「お金を盗っていないのだから、正直に申し述べれば、真実に沿った正しい判決が出て、必ず勝てる。」と、まだ司法を信じておりました。しかし、日本の司法は、こわれていたので、広島地裁・広島高裁で有罪というとんでもない判決を受けました…。)
さて、保釈された日、我が家は、広島県警南警察署の近くで、家内が迎えに来てくれて、家まで10分位一緒に歩いて帰りました。
ところで、留置場の28日間、ヒゲは全く剃りませんでした。というのは、自分の電気カミソリは持ち込めず(凶器に使われる可能性があるからでしょう)、留置場専用の、共用の電気カミソリがあって、前の人が使った後、自分で、消毒液で洗って使うようになっていたからです。…であれば、ヒゲを伸ばしっぱなしにして居ようと…それでいいと思いました。
保釈されて家に帰った時、ヒゲは伸び放題でしたが、私は、高校の放送部の時から、森繫久彌さんが好きで尊敬していましたから、その森繫さんが、晩年ヒゲをたくわえていたので、「このままヒゲを剃らずにおこうか。」と家族に言ったら、「世間の人は、TVニュースや新聞を見て、お父さんが、お金を盗った窃盗犯だと思っているので、胡散臭いヒゲは、剃った方がいい。」と言われて、剃り落としました。
その翌日から、家族が言っていた様に、世間の人の私を見る目が、すでに違っている事を感じました。近所の人を始め、多くの人が私から遠ざかっており、絶望の思いを知らされる日々が始まりました。
考えてみると、盗ったのではないか(窃盗容疑で逮捕)とマスコミが伝えた時点から、私は、冷たい世間の目にさらされ、胡散臭い人間と見られている事に気がつくのですが、私がこれまで積み重ねてきた「信用と信頼」はすべて壊されておりました。
そういえば、留置場はとんでも無い所で、思い出せば色々な事がありました。その事を時々ブログに一人言で…書きましょう。
11月7日は、立冬、暦の上で冬の始まりです。私を支援して下さった皆様のご恩に感謝の日々です。お体お大事に、おん身ご大切になさって下さい。
番号で呼ぶ開錠の鉄の冷え ひろし(2012.11.5)
房狭き掃き取るは皆木(こ)の葉髪(はがみ) ひろし(2012.11.5)
※留置場では、部屋の掃除もトイレ掃除も、ほうき・ちりとり・雑巾を渡され、毎朝、自分でさせられました。
これは6年前、保釈されて帰宅、ヒゲを剃り落とす前に撮った写真です。
煙石 博