煙石博のブログ

煙石博さんはある日突然に謂われなき罪に問われ、苦しんでいます
この苦しみは彼一人だけではなく、家族の皆さんも地獄の苦しみを
味わっています
このブログでは、その時々の彼の思いを綴っています

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2023.11.1「今年の冬の到来は・・・」四畳半独房記・備忘録⑳鉄格子、また鉄格子…

2023.11.1「今年の冬の到来は・・・」四畳半独房記・備忘録⑳鉄格子、また鉄格子…

 今年は、これまで以上に異常気象を意識する中で季節が移って行く様な気がしますが、気候が、まるで、暴れ馬の様・・・。乱暴で優しさを失った季節は、時に私共に牙をむいている様に思えます。

 私なりに日記帳から振り返ってみますと、今年は全国的に桜の開花が早く、東京では観測以来最も早い3月14日で、平年より10日も早い開花。又、大阪府枚方市では、3月11日、府内の観測史上最も早い夏日となり、近隣の市でも、各地で、5月は、例年だと快適なシーズンである筈ですが、月の半ばから真夏日の暑さに見舞われ、昼夜の大きな温度差にも、閉口しました。

 さらに、梅雨の前には、天気がぐずつき始めて、走り梅雨とされる現象があるものですが、今年は、それがなく、いきなりの梅雨入りで、特に九州、中四国、近畿、東海地方では、例年より一週間も早く、5月29日。

 7月になると、各地で35℃を超える猛暑日に悩まされるかと思うと、九州では、線状降水帯とやらで、記録的豪雨に見舞われ、各地で、土砂崩れや河川の氾濫が相次ぎ、続いて、関東、東北でも大雨・・・。さんざんな梅雨が例年より早く明けると、7月の終わりから、いきなり35℃を超える猛暑日が襲って来たと言う感じで、熱中症多発。結局、7月の気温は過去最高。

 8月は、連日、暑い・暑い・熱い超猛暑に、クタクタになった事を思い出されませんか・・・。
 そして、9月になっても、しつこい暑さは去らず、よもや今年は秋が来ないのでは・・・と不安を抱き始めた頃、「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉通り、彼岸を境に、一気に暑さが去って秋がやって来たものの、急激な温度差に震える秋の到来でした。思い返してみると、今年は、これまで、本当に大変な気候に身を預けて来た様です。

 そう言えば、今年の9月は、熊による死傷者が多く、過去最悪だったとか。熊が人里に餌を求めてやって来るのが早かったと言う事は・・・熊の行動から、今年は寒さの到来が早く、冬も厳しいのかも知れないと、思ってみたりします。
     様変わりするも故郷ふるさと銀杏いちょう散る     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑳「鉄格子、また鉄格子・・・」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 人間は、嫌な事は早く忘れようとする自己防衛本能があるそうですが、それに逆らう様に、こうして嫌な体験を思い出しながら書こうとすると、気分が沈み始め、筆にも重い抵抗を感じるところです。しかし、さらば尚、勇気を出して書こうと思います。

 2012年10月11日(木)朝9時半頃、突然やって来た刑事2人に、広島銀行大河支店(私の家の近所)で、客が置き忘れたとする金を盗んだと決めつけられて、当然、盗ってないと主張する私・・・。2時間にわたる、激しい口論の末、有無を言わせず、逮捕状の呈示もなく、強引にも連行されたのが、家の近くの丹那町にあった(今は、出汐町に移庁していますので、~であった)広島県警南警察署でした。これは他人事ではありません。いつ、あなたの身にも・・・。私は定年後も、天地に恥じる事ない様に、余生を過ごしておりました。「怒り。」

 南署に着いて車を下ろされる前に手錠をかけられたと思いますが、手錠をかけられて、さらに気分が動転している私を、警察官が多勢いる部屋を歩いて通らされ・・・。この時の恥ずかしさ、屈辱感は相当なものでしたが・・・これは、手錠をかけられて、人前にさらされてみなければ理解して頂けない事かも知れないと思ったりします。
 ちなみに、重いだろうと思っていた手錠は、鉄かと思っていましたが、何と軽くて(軽くて丈夫な、セラミックみたいなものでしょうか)、肌触りは良く、ここだけの話ですが、装着感は、そんなに悪いものではなかった様に思います。ただ、恥かしく、屈辱的・・・。

 鉄格子の中以外は、たいがい、この手錠と、気になるのが、今も時代劇や歌舞伎で、罪人役がつけられているのを見る事がありますが、腰縄(こしなわ)をつけられて、検察や、裁判所へ連行されます。

 手錠をつけられた屈辱的な格好で、警察官が多勢居る部屋を歩いて通らされ、とりあえず、留置場手前の取り調べ室へ入れられました。が、そのあとは、鉄扉の様な扉の錠があけられて、渡り廊下(留置場は南署の隣の別棟ですから)を歩かされて(5m位でしょうか)、さらに廊下の出口の扉の錠を開けて、渡り廊下から出され、こんどは、いかにも牢獄と思わせるような鉄格子の扉の錠を開けて、そこで、署員が号令をかけ合い、敬礼をして、私は留置場へ引き渡されました。その向こうに、鉄格子の並ぶ房がある訳ですが、そこから数歩歩いて、13号の鉄格子の錠が開けられ、うす暗い4畳半位の長方形の独房に押し込まれました。
 よもや、それから28日間も勾留されようとは・・・。

     13号と呼ばれ時雨るる鉄格子     ひろし

 ところで、前号で、いずれ取り壊されると思いますが、今や空き家となった丹那町の南警察署の小さな留置場の事を、写真と刷り合わせて、少し書きました。
 下の写真は、大通りに面した反対側(丹那橋、山側の方)から写した遠景と近景です。

 この2階に、何か丸い穴がたくさんあけてあるガード板がついていますが、ここがベランダになっていて、ここは、ケージで囲われており、勾留されている者の、ささやかな、ウオーキング・スペースだったのです。その事は、次号にて―――。

 冬の電気あんか、炬燵等を出す目安となる炉開き、旧は、今年は11月13日(日)です。寒さに向かいますが、ご自愛ください。

煙石博

2023年10月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.10.1 「私の10月は、今でも嫌な月」四畳半独房記・備忘録⑲ 私の名前は13号

2023.10.1 「私の10月は、今でも嫌な月」四畳半独房記・備忘録⑲ 私の名前は13号

 広島県警南警察署が、9月19日(火)に出汐町の旧陸軍被服支廠の北側に新築移転する事については、前回のブログでふれましたが、新聞によりますと、鉄筋5階建て(地下あり)で、総工費約29億円、延床面積は8300平方メートル、丹那町の旧庁舎の3.3倍だそうです。又、留置施設の収容定員が増加する為、留置管理課の人員を、11人から16人に増やすとありました。私が不当逮捕されて、28日間留置され、自白を強要された丹那町の旧庁舎には、鉄格子の房は、7つか8つしかなかった様ですが、房の数が増えると言う事の様です。

 留置房の中で、唯一、少しほっとするのは、火曜日と金曜日の風呂時間。小さなバスタブが鉄格子の中にあって、かけ流しの1人風呂…。ただ、衆人環視状態、1人20分、しかも、バスタブに入って浸かってはいけません。病気があってはいけないからと、勿体無いけど、湯船の水は、ザーザーとあふれるままにしてあり、それを汲み出して、かけ湯として使う訳ですが、理不尽な留置への憤り、怒りをぶちまける様に、バサバサ荒っぽく湯を使ったものでした。

 そう言えば、私が突然、不当逮捕されたのは2012年10月11日(木)朝…あの時やって来た刑事2人、今頃どうしているのやら…。私の人生を壊された怒りは消えません。

     天高し地に我が疑惑晴らすべく     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑲「私の名前は13号」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 消す事の出来ない嫌な記憶が残った丹那町の旧南警察署、その後、あの近くを通る事も、近付く事も、具合が悪くなりそうで、長い間避けて来ましたが、閉庁となった今では…と、勇気を出して、ガランと気の抜けた建物に近づいてみると、老朽化も激しい様で、その内、壊されるだろうと思い、写真に残しました。1枚目の写真は、旧南警察署正門あたりよりの写真。左奥が留置施設のある建物。

 2枚目は、その旧南警察署の北の留置施設のズームアップ。2階によろい戸が見えますが、あの窓側に刑務官の机が並んでいて、その向こうに通路があり、朝は点呼の為、そこに一列に並ばされて、1号、2号…と、番号で呼ばれて返事をします。
私は13号で、何故か、私の前にえん罪被害者となり無罪を勝ちとられた、元厚生労働省の村木厚子さんと同じ、13と言う数字でした。

 さらに、その通路の向こうに鉄格子があって、うなぎの寝床の様な長方形の狭い房が並んでいました。

     番号で呼び開錠かいじょうの鉄の冷え     ひろし

 薄暗い房の一番奥がトイレ(下半身の辺りだけ遮へいしてある)で、しゃがんで用を足す便器が、薄暗い、ナメクジでも這っていそうな中にありました。
 そんなトイレでしたが、極度なストレスの為でしょう、便秘が続き、最後まで便秘薬を使って用を足すと言う塩梅でした。尾籠(びろう)な話で申し訳ありません。
 ―――色々、思い出されて、今でも、気分が良くありませんので…このあたりで…。

     蠅取蜘蛛はえとりぐも房のかわやの釈迦如来     ひろし

お身体ご自愛、お元気でいらっしゃって下さい。           煙石 博

2023年9月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.9.1(旧暦7月17日)広島県警南警察署が広島市南区出汐町に転署・開庁

2023.9.1(旧暦7月17日)広島県警南警察署が広島市南区出汐町に転署・開庁

 今年は、猛暑、いや、激暑極まる夏でしたが、この稿を書いているのは8月半ば過ぎ。まだまだ、とんでもない暑さの中にあります。

 そうは言っても、おそらく、9月1日(金)あたりには、さすがの激暑も過去形となって、暑さも少しはおさまっているだろう…と思います。そうでなければ、大変な異常気象。

 それにしても、今年の夏は、月遅れの盆になっても、これでもか、これでもかの暑さがおさまらず、中々涼しくなってくれませんで、各地の盆踊り行事も、危険な猛暑の中で行われた様子が、テレビニュースで伝えられました。

 今では定着している月遅れの盆について考えてみると、これは、明治になって、世界共通の今の暦を生活暦とした時、盆が、そのまま7月の初めでは、まだ梅雨の終わり頃にもあたる為、盆行事に不具合もあり、便宜上、1ヶ月遅らせて、今の暦の8月15日を、月遅れの盆としたものですが、ちなみに暦を見ると、東京の盆は、今の暦の7月15日となっている様です。

     身を削り越ゆる猛暑の峠かな     ひろし

 そもそも、元々のお盆、旧歴7月15日頃の季節感は、暑い夏も衰えを見せ始め、朝晩も涼しくなって、秋が近付いて来る事を肌で感じ始めていた季節実感にあったと思います。
 また、その旧暦の盆は、必ず満月にあたり、先祖の供養の為の盆踊りは、満月に見守られての行事でもあった筈です。

 何はともあれ、昔の日本人は、旧暦の盆が過ぎると、間もなく、秋の収穫時期の大変な農作業も始まると言うライフスタイルの中に組み込まれていたものだったでしょう。
 そんな旧暦の盆ですが、今年は8月30日(水)。近づく秋の気配は…いかがでしょうか…。

 俳句の季語に、長い夏に疲れた日々、ふと、涼風や涼気が、肌に爽やかさをもたらして、秋を感じさせてくれると言う…新たに涼し…新涼(しんりょう)と言う季語があります。

     新涼しんりょうや恩師のふみの慈愛満ち     ひろし

 ところで、この程、広島県警南警察署の新庁舎が、広島市南区出汐町に完成し、9月19日転署・開庁となっています。
 1枚目の写真は、新しい広島南警察署の北側を横から写したもの。
左の道は、県立広島工業高校と県立広島皆実高校の専用通学路で、奥に見える木は、大きなクスノキです。その向こうに学校があります。

 2枚目・3枚目は、進徳女子高校側から撮った南署の正面と、斜めの角度から写したものです。右の奥に見える屋根は、レンガ造りの、旧陸軍被服支廠の建物です。

 何となく警察のイメージが湧いてこない、まだ周囲の景観に馴染まない大きな庁舎で、これまでの警察署とは違った感じの建物…建物の北側の左上に小さく「POLICE STATION」とあります。

 この庁舎の中の何処かに、留置場もあるのでしょう…。

     秋の蚊を打つや心を鬼として     ひろし

 下記の句は、2012年秋、丹那町の元の南署、独居房にての句。房の掃除は自分でする事になっています。しかし、掃き採るゴミは、私の抜けた髪の毛、がみばかりでした…。

     ぼう狭き掃きるは皆木の葉髪     ひろし

煙石博

2023年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.8.1(旧暦6.1)ラブピースのネコジャラシ。8月2日は満月〇。3日は厳島管弦祭

2023.8.1(旧暦6.1)ラブピースのネコジャラシ。8月2日は満月〇。3日は厳島管弦祭

 先月のブログ「気になる異常気象」の中で、暦の「半夏生(はんげしょう)」や、要注意の「半夏雨(はんげあめ)」に触れました。
 この「半夏生」と言う暦日(れきじつ)は、天気予報が報じられなかった明治以前の日本人にとっては、やはり、7月初めのこの頃…梅雨の後半にも入る時期でもあり、大雨も降り、梅雨末期の「送り梅雨」と言う言葉(俳句の季語にもなっています。)も、ある様に、梅雨最後の強い雨が降りつのる事があるので、注意をうながす意味が込められたものだと納得出来そうな気がします。

 先月の「半夏生」の事を書いたのは、6月の穏やかな梅雨の中で書いたものでしたが、今年の梅雨は、たまたま、それまでの、おとなしい梅雨が、7月初めの「半夏生」の頃より表情を変えて、とんだ暴れ梅雨となり、山陰地方を含め、九州北部・南部、さらに、東北地方にまで、線状降水帯を伴って、各地に大雨による大変な被害をもたらし、本当に憎々しい、心の痛む梅雨となって仕舞いました。

 それにしても、近年の気候現象は、異常を越えて、私共の生活に影響を及ぼし過ぎる気候変動にもなりつつある様な…。大変心配です。

     天災の多く悲嘆の虹とひ     ひろし

 思えば、「これでもか、これでもか」と言わんばかりの度重なる大雨、大水、大風、竜巻…死と隣り合わせの様な大変な猛暑の襲来は、そうとは思いたくありませんが、これ迄の、人間勝手、自分勝手な私共の社会活動や経済活動への、神仏の怒りの様にも思えて来ます。
 とは言え、ここは、言われております様に、地球的規模の温暖化現象を、科学的、合理的に考えて、良い方向に舵を取って行くのがいいのかと思えます。

 考えてみると、今の現状があると言う事は、必ず、その原因がある筈です。
 ああしたから、こうなって、さらにその前には、あれがあって、それが連鎖と言うもので繋(つな)がって来たから、今のこの結果がある…と、科学的、合理的に考えて、答えを見つけたいものです。

 これは、表現が的確でないと思いますが、日本のことわざに「風が吹けば桶屋が儲(もう)かる」の様な…理屈をさぐると、それはそれで、成る程と…。

 そう言えば、若い頃覚えた、都々逸(どどいつ)なんてのにも、「こおして、こおすりゃ、こおなる事と、知りつつ、こおしてぇ~、こおなったぁ~」♪ トトン、ツン、シャンと…。そんな文句を思い出します。

     炎天の影も仏となりにけり     ひろし

 所で、下の写真は、お馴染みの雑草、狗尾草(えのころぐさ)。別名、ネコジャラシですが、1枚目は普通のもの、2枚目は、めずらしい、ピースをしているもの。滅多にありませんが、よく見ていると、たま~に見つかります。これも、異常気象の影響か…。

 この、ピースのネコジャラシは、四つ葉のクローバーの様に、以前からありましたが、最近、割りと見つかります。と言っても、仲々、見つかりません。
 ともあれ、「ラブピース」です。皆さんにも良き事があります様に…。

     蟬しぐれ泣けぬ男の昭和あり     ひろし
     八月や殊に命をたっとびぬ        ひろし

 お身体、大切になさって下さい。             煙石 博

2023年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

 暦は早くも、今年の半分を越えて、一年の後半の日々を数える事となりましたが、7月前半の日本列島、九州・四国・本州地方は、梅雨末期の雨を覚悟の時期を越えなければなりません。特に最近は、降り出す雨が線状降水帯とやらで、度々、水禍をもたらしますので、そんな事にならない事を祈ります。

 旧暦の暦に、立春、啓蟄、立夏、等の二十四節気に加えて、節分、八十八夜、入梅、彼岸、等の雑節(七十二候)と言われる暦日(れきじつ)が記されていますが、その中のひとつに、半夏生(はんげしょう)と言うのがあります。
 語源は、半夏(はんげ)・カラスビシャクと言う、畑等に生える多年草の雑草(漢方にも使われる様ですが)が盛んに生える時期から来ているもので、今年は7月2日(日)です。

ハンゲショウ(『山野草たちの歳時記』より)

 この時期は、梅雨の末期に入り、雨に用心という意味が込められた暦日で、この日の雨は、半夏雨(はんげあめ)と言われ、大雨になると言われておりました。この時期の雨は、大水をもたらすので、注意もしなさいと言う、昔の知恵が込められているのが、この半夏生だと思います。

 ところで異常気象と言われる様になって随分になりますが、異常ならば、その内正常な気象へ少しずつ戻るかと言えば、どうも、その景色には程遠くなり続けて、むしろ、私共の常識を越える様な異常気象が起き続け、その被害が出ることも度々・・・異常気象が居座り、自然災害への不安が高まったままの昨今となって仕舞った様な感じすらします。

     憂ひ事あるやにバナナ湾曲す     ひろし

 そもそも、このままならない異常気象の始まりを振り返ってみると、数年前に私のこのブログでも書いた記憶がありますが、10数年前、2011年3月11日の、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だと思います。
 と言いますのは、長い間、俳人としても生きて来たつもりの私の自然観察メモを見直してみると、2009年までのメモには、自然による大災害は、時折り発生する程度で、大きな異常気象を意識する程のメモは残しておりませんが、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年と言う年は、大変異常な気候を体験した年だった事を敢えて記入しておりました。
その2010年の私のメモを見ると、「気候不順の一年・・・残暑がいつまでも続き、秋が無く、一度に冬が来た様な気候・・・」と敢えてメモしています。そして、「2010年は、秋の無い年・・・。12月に入っても奇妙に暖かい日が続く」とも記しています。

 又、俳誌でも目にとまった様で、当時、まだ、ご存命だった俳句結社ホトトギスの名誉主宰、稲畑汀子先生が、2011年の1月号の誌面最後の消息欄に、「新年明けましておめでとうございます。平成二十三年一月号をお届け致します。~昨年(2010年)は、思いがけなく大事な方々が亡くなるという事があり、また気候の不順な年でございました。残暑の厳しかった日々が過ぎると、忽ち(たちまち)秋を通り越して一度に冬がやって来たような状態で、体調がそれに付いていけないような方も多かったようでございます。~。」と、気候の異常を特筆されていた文面を、私の俳句メモに記録しておりました。

 思い返してみると、こんな異常気象の始まりは、あの東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だった・・・ように思えます。

 とに角、この2010年から今に至るまで、異常気象は進み続け、それが日常の様にもなって仕舞っている様です。

 ふと、思いますに、「春夏秋冬」の優しい季節の移ろいの中で暮らして来た私共ですから、今の、自然の怒りの様な過酷な気候に晒(さら)され続けている事は、知らないうちに、何らかの精神的ストレスが溜(た)まり続けているのでは・・・と、心配したりも致します。呉々も、お体ご自愛下さいます様にと思います。

     老骨へ豪速球の猛暑来ぬ     ひろし

 最後に、私も時々自転車で通りますが、新しい広島県警南警察署(広島市南区出汐町に移る)が、ほぼ出来上がりつつあります。(旧陸軍被服支廠の北側、県立広島工業高校、県立皆実高校の近くです。)
新築工事の完了は、7月31日となっている様です。写真を添えます。

煙石博     

2023年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien