煙石博のブログ

煙石博さんはある日突然に謂われなき罪に問われ、苦しんでいます
この苦しみは彼一人だけではなく、家族の皆さんも地獄の苦しみを
味わっています
このブログでは、その時々の彼の思いを綴っています

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2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
            ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
                 ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

 3月の終わり頃でしたか、新聞の小さな記事で「村木元次官が講演」と言う見出しが目に入りました。
 元厚生労働省次官の村木厚子さんが、北海道札幌市で講演されたと言う記事でしたが、村木さんと言えば、検事の証拠改ざんによって冤罪事件に巻き込まれ、数少ない無罪判決を勝ちとった冤罪の被害者。数年前に、広島弁護士会館で、村木さんの講演を聞かせて頂きましたが、お元気のご様子でした。
 又、先日、4月10日には、NHKのEテレで、村木さんと、警察小説の第一人者、今野敏さんとの対談特集では、冤罪事件の体験談を話していらっしゃるのも見て、改めて怒りを覚えました。(番組サイトはコチラ

 そして、その約1週間後、日本テレビ系列「NNNドキュメント」という番組で、「濡れ衣・闘い続ける余命1年」という、茨城県利根町布川で起きた布川ふかわ事件の冤罪被害者の1人、桜井昌司さんの苦難の道のりを見ました。(番組サイトはコチラ) …憤りと共に、無罪となったあとの闘いや、彼の勇気にも敬服し、冤罪を少しでも少なくする為に、闘い続けて欲しいと思いました。

 ところで、私も、忌まわしい体験の真実を残しておきたいと、このブログを綴って来ましたが、冤罪の濡れ衣を着せられたのは、2012年10月11日(木)で、8年余り前の話になります。

 人間には、嫌な事は早く忘れて仕舞いたいとする自己防衛本能があるらしく、その忘れて仕舞いたいとする本能に抵抗する事は、心が重く、辛い事だと自覚しているところです。

 しかし、時と共に忘れて仕舞う前に、もう少し、備忘録として残しておきたい事も…と言う思いもあり「四畳半独房日記」の補足をもう少し…と言いながら、思い出して書こうとする度、気が重くなって、仲々、筆が進みませんでした。

               改めて、四畳半独房日記の補足・備忘録

 まずは、そのプロローグです。

 2012年10月11日(木)、朝9時過ぎ、突然やって来た刑事2人の1人、T刑事と、置き忘れられたと決めつけた金を、盗った盗らないで、2時間にも渉る激しい口論の末、もう1人のM刑事が、大きなリュックサックのチャックを開け、「逮捕状」と手書きされた茶封筒(A4サイズ位)の文字を見せて、逮捕状の呈示もなく、手錠をかけ「11時30分!煙石博を逮捕する!」と言って、広島南警察署に連行しようとしました。

 私には全く身に覚えの無い事で、斯くなる上は、署に行って盗ってない事を説明・主張すれば判ってもらえるだろうと覚悟を決め、仕方なくワゴン車に乗りました。妻も同行させて下さいと言ったのですが、「奥さんは乗せる訳にはいかない」と、拒否されました。
 南署は家の近くですから、妻には自転車で付いて来る様に頼み南署に向かったですが…。
 私は、ワゴン車の中で手錠をかけられた様に記憶していますが、手錠姿の私は、そのまま署の留置場に入れられて、妻と引き離されて会わせてもらえませんでした。
 私は最初から、起訴される事が約束された被疑者として、留置場に入れられる段取りとなっていたのです。

 ワゴン車で南署に連行された私は、刑事に引っ張られる様にして、留置場に続いている南署の取り調べ室らしき所に連行されるのですが、そこに行く途中、強烈に脳裏に焼き付いている記憶があります。
 それは、突然、有無を言わせず、強引に手錠をかけられて、何が何だか気が動転している私を、多くの署員(?)が見ている職場(執務室?)の前を歩かされました。
 私は、定年までRCCのアナウンサーとして働いていたので、RCCの煙石さんだと気づく署員も多いのではないか…手錠をかけられた私の姿を見られている…どうしよう…どうしようと思っても、どうしようも無い恥辱。目から火の出る様な思いに、頭も混乱し、気も動転して、これまでに経験した事も無い絶望感と屈辱…。
 今思いますのに、江戸時代、罪人を、まちなかを引き回して、さらし者にした「市中、引き回しの上…」と言うくだりを読んだ事がありますが、それは、手錠をかけられた姿を人前に晒す事によって、心理的な打撃、ダメージを与える為に計算された事だったのでは無いかと思えてなりません。

 取り調べ室に入れられた時の事は、何が何だか判らぬままで、記憶も、かなり飛んでしまっています。私の盗っていない説明等、全く聞かれる事も無く、調書の様なものをとられて、手錠をかけられたまま、すぐ近くの鉄格子の扉が開けられ、数メートル位の廊下を連行されました。
 そして、その先にある、またもう一つの鉄格子が開けられて、留置場に入り、さらに、少し歩かされて、13号の鉄格子の中へ、押し込まれる様に入れられました。

 今、思い出しても、いや、思い出したくも無い事ですが、思い出しても辛く…苦しい…具合が悪くなりそうな…絶望の淵へ突き落された様な精神状態でした。私は、まだ取り調べもされていないのに、南警察署の留置場(のちに、刑務官から、聞きもしないのに「ここは、代用監獄と言うんです」と、ご丁寧な説明を受けた。)に…、金を盗っていないのに、28日も留置される事になりました。


            あってはならない、信じられない刑事のウソとデッチ上げ

◎最初から、防犯カメラの映像に証拠が映っていると言って逮捕したのに、裁判になって…広島高裁での裁判では、私の方が、専門の鑑定業者に映像鑑定してもらうと、私が封筒に触れていない事が判った。

◎置き忘れられたとする封筒を手にして、場所を変え、金を抜き盗ったと決めつけていながら、封筒にも、封筒の中に残されていた所有者の住所、氏名が書いてある税金の納入書にも、私の指紋は全く付いていない事が判っていた筈なのに…逮捕した

◎「左手で左胸のポケットに、盗った金をねじ込んだ」と言って逮捕したのに、銀行に着て行ったシャツは、珍しくポケットの無い、半そで、アロハタイプの開襟シャツであった。

◎私は、盗っていないので、いくら金が入っていたかは全く知りませんから「なくなった金は、いくらですか」と聞くと、「言う訳にはいかない」と教えてくれず、いくら金が入っていたのかは、何回目かの取り調べの合間に、ポリグラフ(ウソ発見器のようなもので、事件に関する内容についての質問に、全て「いいえ」と答えるテスト)の検査の時、66,600円の、現金の内訳に関する質問で、金額を知る事になる。
◎取り調べは、全く取り調べではなく、私がいくら盗ってない事を説明しても、すべて聞き入れてくれず、「お前は、ウソばかり言っている!マスコミが報道したから、世間の人はお前を窃盗犯だと思っているんだ!!」等と言ったりして、私の無実の説明を調書に書いてもくれない。とにかく、最初から、刑事は、辻褄の合わない、私の窃盗ストーリを作文していて、何が何でも、強引に、それを認めさせ様とする有罪結論ありきのものだった。
◎最後に、私がお金を盗っていなかった事を証明したのに、刑事らは、なぜ真犯人を捜そうともしないのか?何故、事件を解決しようとしないのか…。

 以上、再び、憤りながら、今後も、私の様な冤罪被害者を出さない為にも、勇気を出して、真実を綴らせて頂きました。私の思いがミミズのたわごととならず、ご支援下されば幸いだと思います。そして、もうひとつ、私の事件に関わった警察、刑事らは、私が失った、さまざまなものや、失った人権などに対して、謝罪もなく、反省の言葉もないのは、無責任で、今後の為にも、あってはならない事ではないかと思っていますが…納得出来ないところです。

 この続きは次号で綴ります。

   越へ行かむ辛苦の坂を青嵐あおあらし   ひろし
   憂ひ事あるやにバナナ湾曲す   ひろし

 くれぐれもお体ご自愛下さい。

煙石 博

2021年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.4.1 ふるいけや・・・「銀輪は父の形見や楠若葉」

2021.4.1 ふるいけや・・・「銀輪は父の形見や楠若葉」

 世の中は相変わらずコロナ禍の混乱の中にあって、昔の様に、何とか穏やかな日常のライフスタイルを取り戻せないものかという、いらだちや、不安が募る日々が続いている様です。

 こんな中で、私事の66,600円の冤罪事件の事は、もう過去の出来事といいますか、風に吹かれた一本の毛の様な…。その昔、松尾芭蕉が詠んだ「古池や蛙飛び込む水の音」と言う俳句がありましたが、私の頭の中では「古い毛や風に吹かれて飛んでった」…、嗚呼…むなしい寂しいと言う思いです。

 そんな思いの中で、先日、家内と二人で、お昼にタクシーに乗りました。
 私が「近い所で申し訳ないのですが〇〇までお願いします。」と言うと、運転手さんは「いえいえ、どんなに近くても乗って頂けるだけで有り難いです。」と即答されました。「…あっ、そうか。長いコロナ禍の中で、タクシー業界も乗客が激減して、苦しい状態なんだ。」と、ハッとした事です。
 しばらく間があって「煙石さんでしょ?」「はい、そうです。」と答えると、「煙石さんの放送、いつも愉しませてもらっていました。」と言う話から…「それにしても、煙石さんは、本当にひどい目にあわれましたね。」という話の流れになって、私は、たまたま乗った乗客ではなく、あってはいけない66,600円の冤罪窃盗事件の真実を訴える語り部と相成りました。

 本当に、今思い起こしても、許せない出来事で、これは、私だけの問題ではない。他人事(ひとごと)にしてはいけない。明日、誰の身にでも降りかかって来る、とんでもない事だったんだと、改めて思います。

 思えば、私が、銀行の小さなローカル支店の狭いロビーで、封筒の中に入っていたとされた66,600円を盗ったとされた時、取り調べもされていないのに、テレビは、当日夕方と翌日、新聞は翌日。マスコミ各社は、警察発表をそのまま報じ、あえて『私達』、としますが、家族も親族も…私の知人、友人も、大変な人権被害や迷惑をこうむりました。のちに、当時の新聞記事を見ると、大きな見出しで、「中国放送元アナ銀行で置き引き」「元中国放送アナ置引容疑で逮捕」「中国放送元アナ 置き引き容疑」等と、記事にされており、「置き引き」と言う、何か妙な懐かしさを覚える用語と言うか、時代がかった用語に出合って、改めて辞書を開いてみました。

  置き引き → 待合室などで、置いてある他人の荷物を盗み去る事。
         置いてある他人の荷物をこっそりと、持ち逃げする事。

とあります。

 えらい体験をした私の気持ちから言えば、信用と信頼は充分あったつもりの私であっても、ひと度、マスコミに報じられると、もうダメです。
 マスコミにお願いするとしたら、事件報道の際には、警察発表をそのまま報じるのではなく、自らの足で取材を重ね、ウラを取り、出来る限り真実に近づいた内容を報じて欲しいと思います。特に私のような事件に関しては、その後の取材結果を伝え、裁判になれば、その裁判の経過を正しく伝えていく事も必要であるとも思います。
 そして、万が一、その報道が冤罪であれば、その被害者の人権回復に責任をもって頂く事も必要ではないかと、お願いを込めて…思っております。

 ところで、私の過去のブログ「2020.12.1 出汐町、比治山 そして旧陸軍被服支廠の事など…(記事はこちら→クリック)」や「2021.2.1 あの楠は歴史の語り部だった事(記事はこちら→クリック)」で取り上げた、楠と被服支廠をウオーキングの途中、写真に撮りました。



■1枚目の写真は、戦後残った旧陸軍被服支廠です。
 県立広島工業高校正門の右横より撮影。

◎写真の奥、向こうまで3棟、さらに、そこより、東へ2棟あります。
◎被服支廠の正門は、写真の建物手前、こちら側の右横あたりでした。




■2枚目の写真は、奥は県立広島工業高校の正門です。
 県立広島皆実高校正門へ向かう共同通学路の入り口より撮影。

◎写真の奥、突き当りに県工の正門とキャンパスがあって、そこから更に左に向かうと、皆実高校の正門とキャンパスがあります。
◎ここに写っている残された大きな楠は、戦後しばらく3本あって、今は向こう側の一本が伐られて、2本になっていますが、この楠の辺りに被爆前、皆実神社、伊勢神宮の分祠があって、その境内にあった神木の楠の様です。

※楠の左下に停めてある銀輪は、私の愛車(自転車)です。私の父の形見の自転車です。
◎右手奥に旧陸軍被服支廠の屋根が見えます。そして、右の白いフェンスの右向こう(表通りに面した位置)が、新しい広島県警南警察署となる用地です。

 フェンスに取り付けてあった建築計画のお知らせ表示板には「着工予定・令和3年11月。完了予定・令和5年7月31日」とあって「地上5階、地下1階 新築その他工事」とありました。ふと思うに、新しい署庁にも、勿論、私が28日不当勾留されていた、嫌だった留置場も、何処かにつくられると言う事でしょう…。

 思い出したくもない留置場での記憶は、以前『2016.11.15 思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記  孤独と恐怖の留置場』のブログから、『2017.4.13 思い出せば怒り!その10 四畳半独房記 続 驚きの信じられない検察の対応』まで、として、7回にわたって書き留めておりますが、他にも、その時の非日常の世界の、おかしな体験を、近いうちに、もう少し書き残したいと思っております。

↓ ↓ ↓ 四畳半独房記 その4~その10はコチラです。 ↓ ↓ ↓

2016.11.15 思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記
http://enseki.noor.jp/?p=2794 ← をクリック

2016年12月1日  思い出せば・・・怒り!その5 四畳半独房記 不安は増すばかり!!
http://enseki.noor.jp/?p=2809 ← をクリック

2017年1月15日  思い出せば・・・怒り! その6四畳半独房記 長い一日
http://enseki.noor.jp/?p=2934 ← をクリック

2017年1月27日  思い出せば・怒り! その7『四畳半独房記』 取り調べではない恐怖の自白の強要
http://enseki.noor.jp/?p=2945 ← をクリック

2017年4月3日 思い出せば・怒り! その8四畳半独房記 続:恐怖の取り調べ
http://enseki.noor.jp/?p=3326 ← をクリック

2017年4月8日 思い出せば・怒り! その9四畳半独房記 驚きの信じられない検察の対応
http://enseki.noor.jp/?p=3328 ← をクリック

2017.4.13 思い出せば怒り!その10 四畳半独房記
http://enseki.noor.jp/?p=3331 ← をクリック

 ところで、こちら西日本では、この冬は暖冬で、2月半ば頃からの早春よりこれまで、早くから暖かい日が多く、例年の様な季節の移ろいが急ぎ足で春本番へ向かった様な気がします。

   ウイルスの不安の空を燕來る   ひろし

 長い間、俳人の目で季節の移ろいを観察して来た私も、これらの事に、いささか、とまどっておりますが、桜の開花も随分早く、広島が3月11日と、全国で一番早く、観測史上2番目に早い開花となりました。そんな、急ぎ足の季節の移ろいのせいかどうか、春先からの、水仙、梅、椿、白木蓮、桃、馬酔木(あせび)、桜、山吹、等々…例年なら、それぞれ、咲く順番が何となくあって、それに従う様に咲いて、季節が進んで行くのが見えていましたが、今年は、ほとんどの花々が、例年の様な開花の順ではなく、そんな順とは関係なく、それぞれが、懸命に、「早く咲き始め、あわただしく花を散らして仕舞ったような」異様な感じすらしました。
 これは、私の、一人よがりの観察結果であれば…申し訳ありませんが…。
 とに角、「咲き急ぎ、散り急いで来た」様な気がしています。

 そんな、季節の移ろいの中にあって、私共人間も、知らない内に、心身共にバランスを崩していく事もありうるのではないかと憂慮しています。
 終息の見えないコロナ禍の不安や、イライラ、ストレスも重なっています。呉々も、お身体ご自愛、ご大切になさって下さい。

※今年も、広島市南区の花の山比治山と、桜吹雪の中の冨士見展望台にある正岡子規の「鶯の口の先なり三萬戸」の句碑を訪ね、毎年、立ち寄るのですが、陸軍墓地にお参りさせて頂きました
拙句ですが、

   花の冷え散りし兵士の墓数多あまた   ひろし
   花万朶はなばんだ五濁ごじょく悪世あくせの淵へ喝     ひろし

煙石 博

2021年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021年3月1日  悟りは脚下にあり! 「コロナに足をすくわれてたまるか‼」

2021年3月1日    悟りは脚下にあり! 「コロナに足をすくわれてたまるか‼」


 コロナに振り回され続けて、随分長いような…。いや、思い返してみると、日本でのその話の始まりは、まだ1年余り前の事なのに、とても、長い時間の経過を感じます。

 そう言えば、昨年の旧正月、1月25日より前。どうも、中国の武漢という所で、新型コロナウイルスによる感染症が発生し、次第に大変な状況になっている事がニュースで報じられていましたが、その後、よもや、世界中をこんなに震撼させる大疫病騒ぎになろうとは…。

 また、同じ頃、ダイヤモンドプリンセス号の乗客から罹患者が発見されてからの混乱も、日本人には、まだ対岸の火事、他人事ひとごとと言う感じであった事も思い出します。

 街中にマスク姿が増えたので、2020年4月1日の私のブログのタイトルも、『ムーンライト・マスクマン…月光仮面…コロナはクルナ!!』とあり(2020年4月1日のブログを読む)、その後、よもや、今の様な展開になろうとは全く思っておりませんでした。今や、あの手この手のコロナ対策が、1日も早く功を奏する事を願うばかりです。

 とにかく、この様な、混乱に混乱の中で、ふと思う事に、「脚下照顧」…まず、自分の足元を見て、自分の事を戒めなければならないという禅の言葉だと思いますが、この言葉から、私流の思いに解釈し、「悟りは脚下にあり」で、この様な混乱の時にこそ、脚下をしっかりと見据えて、冷静沈着な心で、身の周りの出来事を、大所高所から見る物差しで計らなければならないと思ったりするところです。

 しかし、この混乱と不安の世の中で、「うろたえてはいけない」と思いつつ、「思慮深く…思慮深く…」と、自らに言い聞かせながらも、実は私も、うろたえているのではないかと自信がありません。

     真直ぐなる覚悟真白き雪中花  ひろし

 本当に、日本も世界も、われわれは、コロナ、コロナに心を奪われ、心乱されて、混乱状態にあるとしか見えません。果たして、もの事も正常なる判断がなされているのか…、そして行くのか…。不安な気持ちでいるのは、私だけで無ければ「共感相和す」とでもいう、表現が出来るかどうか…不安な思いの慰めにしたいところです。

 そういえば、餅まきに参加した時、投げる人の方ばかり見上げていては、餅は拾えない。ひたすら、最初から、自分の足元あたりをしっかり見ていれば、落ちた餅が転がって来て、沢山拾う事ができます。

     春近し千辛万苦せんしんばんく越へ行かむ  ひろし

 ところで、前号(2021.2.1.あの楠は歴史の語り部だった事。「丹那橋に行ってきたんよ」…?)で、南区出汐町に新築される広島県警南警察署の工事が、まもなく始まるでしょうと書きましたが、先日、ウオーキングの時、よく見ると「広島南警察署庁新築その他工事のお知らせ」という掲示があって、「着工予定・令和3年11月1日。完了予定・令和5年7月31日」とありました。(2021年2月1日のブログを読む

 着工は、今年の秋頃よりという事のようです。

 それと、私の冤罪事件が、少し前、日刊現代の1月9日付と、1月16日付けの紙面に掲載されました。[前編]と[後編]の紙面を添付させていただきます。(クリックすると拡大されます。)

 アフターコロナ等といいますが、早くコロナ禍が収まって、人と人との輪、そして、人とのよき絆のある日常が帰って来る事を願います。

 お身体、くれぐれもご自愛なさってください。              煙石博

日刊ゲンダイ 2021年1月9日掲載分
日刊ゲンダイ 2021年1月9日掲載分
2021年2月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2020.2.1  あの楠は歴史の語り部だった事 。 「丹那橋たんなばしに行って来たんよ。」…?

2021年2月1日  あの楠は歴史の語り部だった事 。 「丹那橋たんなばしに行って来たんよ。」…?

 前号(2021年1月1日)で、日刊ゲンダイ(駅の売店やコンビニで販売)の1月9日(土)付けに続き、1月16日(土)付けの紙面、「『告白』あの事件の当事者」の中で「煙石博アナ窃盗冤罪事件」として私の冤罪事件が掲載されました。まだお読みになっていらっしゃらない方がありましたら、日刊ゲンダイDIGITALのサイト、「政治・社会>事件」にある「『告白』あの事件の当事者」(https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3416でしばらくの間、読んで頂く事ができます。
 (直接リンクはコチラ → 煙石博アナ窃盗冤罪事件 前編
            → 煙石博アナ窃盗冤罪事件 後編

 それと、もうひとつ、去年11月26日(木)に、私の最高裁逆転無罪を勝ちとって下さった弁護士の久保豊年先生が、広島弁護士会主催の「市民法律講座」の第3回で、「有罪率99.9%の壁~元アナウンサー最高裁逆転判決を素材に~」と題して話をされ、日本の司法制度の問題点を指摘されましたが、私も少し話をさせて頂きました。この模様が12月6日(日)のTSSテレビ新広島のニュースで伝えられました。


 ところで、昨年2020年12月1日のブログ「出汐町、比治山、そして旧陸軍被服支廠の事など…」の所で、県立広島皆実高校と県立広島工業高校の正門に続く通学路にある、楠の大樹2本について少し書きました。あれは、被服支廠が出来た頃植えられた様で、被爆前まであった皆実神社、伊
 ところで、昨年2020年12月1日のブログ「出汐町、比治山、そして旧陸軍被服支廠の事など…」の所で、県立広島皆実高校と県立広島工業高校の正門に続く通学路にある、楠の大樹2本について少し書きました。あれは、被服支廠が出来た頃植えられた様で、被爆前まであった皆実神社、伊勢神宮分祠の境内に植えられていた神木で、その残された2本(終戦後3本残されて、後に1本伐られ、現在は2本が残されているもの)であった事を綴りました。

 実は、昨年の暮れ、たまたま、中区の袋町小学校の所にある市民交流プラザのロビーで開かれていた、被服支廠の写真展を見ました。それがきっかけで、戦前、母親が出汐町の被服支廠に勤めていたと言う女性から、被服支廠には、働く女性の為に保育園もあって、ご自身もそこに預けられていた様でしたから、伺ってみると、確かに、その神社は、被服支廠の入り口の近くにあった様で、多くの人が、社のある左側に向かって参拝して入っていた事を話して下さいました。
 それを知った私も、改めて、かの大樹の下にって仰ぎ見ると、時代の風雪に耐えて成長してきた楠が、とても重い何かを語りかけて来る様な思いがして目頭が熱くなりました。

 この訳知り顔でもある楠の大樹に、これから先の、なお良き広島の平和な未来を見届けて欲しいと願うばかりですが、少年時代、あの辺りでも遊んでいた私も、子供心ながら、あんな場所に何故あんなに大きな楠があるのか…気に掛かってもいたものですから、積年の謎が解けた様な気持ちで、改めて、歴史の重みを感じるところです。

 考えてみれば、あの辺りは、その昔、海が埋め立てられて出来た、何も無い新開地だったでしょうから、そこに出来た、当時、日本の最新技術をもって造られた洋風レンガ造りの鉄筋コンクリートの建物は、際立つ存在の建造物群でもあった事でしょう。

 つまり、その正門辺りにあった神社の境内に植えられ…戦後、2本だけ今に残された楠は、明治、大正に続く昭和の戦前、戦中、さらに被爆、終戦、そして、その後の長かった昭和の戦後復興から、今日に至る歴史に身を委ねて来た貴重な語り部でもあった訳です。

     水仙や空いっぱいにちぎれ雲   ひろし

 さてさて、これは、前のブログでも触れましたが、この楠のすぐ西側の大通りに面した辺りに、私が、不当逮捕・勾留された広島県警南警察署が移転する事になっていて、昨年末に平地にされ、まもなく、南警察署の新築工事が始まる様です。

 さらば…丹那たんなの南署…となる訳ですが、私は、埋め立てられた丹那に南警察署が出来る以前の、父や母の愛にも似た、優しく豊かだった海があった事を知っている者です。そこは、少年時代の遊び場でもあったふる里の良き思い出あふれる地であったのですが、今となっては、今ある南署の建物が無くなっても、少年時代のかけがえの無い思い出を壊されたばかりでなく、むしろ、私にとっては消す事の出来ない悪夢の蘇る所となりました。それも、私が受けた大きな人生の心のキズと共に、生涯癒される事は無く、唇を噛む無念な思いが残るところです。

 今、南署がある丹那の土手あたりは、一般には、格好のウォーキングコースでもあり、私も定年後のウォーキングコースのひとつにしておりましたが、私は、この南署に不当勾留された忌まわしい体験によって、あれ以後、あの辺りを遠くから見るだけでも、今でも怒りと憤りが込み上げ、大変、不愉快で具合が悪くなりそうです。
 あれから8年経ちましたが、今でも、今の南署辺りには1センチたりとも近寄りたくないダーティーゾーンである事に変わりありません。

     風花や悲嘆に暮れし日もくや     ひろし

 これは、酔余の夜咄になりましょうか…、昔、友人と一緒に立ち寄ったスタンド(飲み屋)で、聞くとはなく聞いたのですが、常連らしきお客さん二人がこんな会話をしていました。

 男性A「あんたあ(貴方は)、顔を見んかったが、どうしとったんや(何をしていたのか)。具合でも悪かったんかいの?」

 男性B「いやいや、体は悪うないんじゃが、ちょっと、丹那橋に行って来たんよ。」

 丹那橋は、私の家の近くある橋の名前だったもので、それを、こんな意外な所で耳にした私は… 「丹那橋に行って来たんよ」とは…?ハテ…?
 そのあと、2人は、何かお金の事で、ああだこうだと、ヒソヒソ話をしていた様でしたが、「丹那橋に行って来た」という意味が理解出来ませんでした。
 賢明な皆様は、ピンと察しが付かれたかと思いますが、私が南署の留置所に入れられた事で、それが理解出来ました。

 つまり、丹那橋は南署のそばにありますから、そこの留置所に入っていたと言いたくないので、「丹那橋に行って来た」という表現にした、隠語?・合言葉だったのではないかと想像するところです。蛇足ながら、南署が移転した後は、この「丹那橋に行って来た」と言う隠語に代わって、何か新しい言葉が生まれる…のかどうか…。

     風はまだ冷たく香り梅日和      ひろし

 コロナが早く収まってくれる事を願うばかりです。お身体大切にご自愛下さいますように。

                                 煙石 博

2021年2月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021年1月1日  牛根性・モウ根性     黎明の富士に始まる初暦   ひろし

2021年1月1日  牛根性・モウ根性     黎明の富士に始まる初暦   ひろし

 新しき年の始めに…、と書き始めて、ふと思うのですが、考えてみると、何が新しいのか、昨日も今日も、そして明日も、同じ毎日が続いて行くだけの事であり、それを人が作った暦で『新年』と押し付けられても、新しくも何とも無い…とは思いますが、1日の始まりは、お天道様が昇る処から始まって、その日を無事過ごさせて頂き、そのお天道様が、必ず沈む事によって、とりあえず1日の終わりを教えられる訳です。

 それがなければ、それこそ、ひとりの人間が眠る事無く、ず~っと起き続け…働かされるとなると、これは、たまらない。日が昇り、日が沈むと言う、大きな自然の摂理の中に日々生かされていると言うお陰を感じ、その日々の積み重ねの先にある365日と言う1年の括りは、生きている限り、前に向かって歩いて行く為の一里塚の様なものか…。

しばしば、引用されますが、時代変わっても、今の私共に思いが伝わって来る、一休禅師の狂歌と、高浜虚子の俳句が思い出されます。

  門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし   一休
  去年こぞ今年ことし貫く棒の如きもの  虚子

 何はともあれ、新しい年を迎え、明けましておめでとうございます。
昨年は、本当に、コロナに振り回された1年でしたが、今年は、何とか早くこれを乗り越えて、平穏な日常が戻って来る事を望むばかりです。
 昔、若い人達が、「あけましておめでとうございます」を「あけおめ」と、つづめて使って、その言葉が一時とびかった事があったのも…遠い昔の話になりますが、定着しなかった様で…。 私は、昔、逢う人ごとに「あけましておめでとうございます」と言うお決まりの挨拶に疲れ…「あけましておめでとうございます」と挨拶された方へ、その人の気を引こうと、「あけたら…閉めてください」と返して、相手の冷たいリアクションを、ひとり楽しんでいた事もありました。
 ところで、今年は丑年。今では「子・丑・寅…」の、十二支を言えない若者も多くなっている様でもあり、丑年だからどうと言うものではありませんが、この十二支の干支が、毎年変わるので、変わり映えのしない新年が「今年は丑年かぁ…。」と、何となく、心新たに迎える一年の始まりを意識させられるようでもあります。
 只、干支は社会生活に関係ないので、すぐに、今年の干支が何だったか忘れてしまって、「今年の干支は何でしたかねぇ。」と聞かれて、えと・・だけに?…。」と、答えに窮したりして…。

 余談ですが、昔々、街角の易者の、「丑年生まれの人は~、辛抱強く、根気よく、言葉少なく、信用もあり、スローに過ぎるが玉にキズなり。牛根性、モウ根性、テコでも動かないのが丑年生まれの人~」という口上を思い出す私は、やはり、「古いヤツ…ですなぁ~」 

それにしても大変な正月になったもんで、色々、自粛要請に従ったコロナ禍の正月ではありますが、考えてみますと、正月も時代と共に姿を変えて来ました。
 昭和21年(1946年)生まれの私が子供の頃は、戦後の貧しい時代でしたから、日々の食事も本当に貧しいもので、ご馳走を食べるのは、盆と正月くらいなものでした。
 ですから、正月は、おふくろが作った質素なおせちでしたが、それは、非日常の、晴れの大ご馳走…。のちに、それを経験しているお年寄り…は、「今頃は、毎日、盆と正月が来た様なご馳走を食うとる」と言っていました。また、正月の3日、肉の少ないスキヤキでしたが、『スキヤキ』が出た時には、飛び上らんばかりのご馳走でした。

 又、正月がレジャー化し始めたのは、のちの高度成長期からだった様な…。それまでは、家か近場で、静かに過ごす正月で、たまに、1月3日に映画に連れて行ってもらった記憶があります。

 ともかくも、今年は、コロナを意識しての不自由な正月ではありますが、ふと『寝正月』という言葉を思い出しました。思い返してみると、昔の新年は、自らをリセットして、心新たに「1年の計は、元旦にあり!」と、年ごとに、再出発を心掛けようとする正月でもあったような。しかし、時代変わって、長らくレジャー化し、慌ただしく賑やかな正月に慣れてきましたので、ここで「寝正月」と言うと、懐かしく古めかしい正月スタイルの様にも感じる処です。 「地獄極楽は心にあり」…心の持ち方ひとつ…心の持ちようで、古典的な?『寝正月』もまた、至福の新年。佳き一年のはじめとしたいものです。 「1年の計は、元旦にあり!」何か懐かしい言葉、と思う方は、いらっしゃいませんか。今や「1年の計は…簡単である!?」
酔余の句です。

    酒あらば鬼に金棒寝正月    ひろし
    父母も猫も祖父母も寝正月   ひろし
    朝酒ののちは至福の寝正月   ひろし (笑)
 ※「食べてすぐ寝ると牛になるよ~(笑)」と、子供の頃、よく言われませんでしたか?
 丑年で思い出しましたが、こんな狂歌もあったような…。

   この世をばしと思えばつらけれどと思えば食うてもみたし


  ニュース
●『日刊ゲンダイ』の紙面で、私の冤罪事件が、今のところ予定ですが、1月9日(土)と、翌週1月16日(土)、前・後2回にわたって記事になる予定です。(ひょっとすると、少し後になるかも知れませんが)

●私の冤罪を、記事で支援して下さった『冤罪File』、しばらく店頭に出てなくて、心配していましたが、昨年の年末に、本屋さんで、よく調べて頂きましたところ、1月末に、次号が出る予定と分かりました。ペンの力を期待しています


最後になりますが、新年の私の年賀状を掲載いたします。

今年は、人類の叡智を集め、何としてもコロナを乗り越え、平穏な世界が戻って欲しいと祈るばかりです。

今年は、人類の叡智を集め、何としてもコロナを乗り越え、平穏な世界が戻って欲しいと祈るばかりです。

2020年12月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien