2024.2.1 4日は立春10日は旧正月。浅春…。四畳半独房記・備忘録㉓「房での不自由」

2024.2.1 4日は立春10日は旧正月。浅春…。四畳半独房記・備忘録㉓「房での不自由」

 心新たに迎えた辰年でしたが、新年早々に能登半島地震、空港での大惨事…と、余りにも非情な出来事の連続で、新年気分は一気に吹き飛ばされて厳しい現実に向かう日々が続いて来た様です。

 そして、1月の24日と25日に列島を襲った強烈な寒波は、それまで割と暖かかった冬が一転、今シーズン最強寒波と大雪をもたらして大混乱…。異常気象が言われる中で、これから先、少しでも気候が穏やかであって欲しいと願うばかりです。
 蛇足ながら、暦を見て気がついたのですが、あの大雪があった1月24日、25日は、旧暦の暦では、1月24日が、旧暦12月14日。25日が旧暦12月15日…と言うと…連想しますのは、赤穂浪士の討入りがあったのが、元禄15年12月14日の夜。
この赤穂浪士の義士祭は、今の暦の12月14日に、東京高輪泉岳寺義士祭としるされていますが、これは、今の暦の、12月14日ではなく、明治以前の旧暦の12月14日、つまり、今年は、今の暦のあの大雪に見舞われた1月24日にあたっておりました。
 つまり、雪国でない地方で、積る程の雪が降るのは年が明けて、寒さ極まる1月半ば過ぎからで、忠臣蔵の舞台に似合うのは、この時期の寒さと、雪でしょう。

 忠臣蔵で思い出しますのは、三波春夫さんの「忠臣蔵・俵星玄蕃(たわらぼしげんば)」の、語り、名調子…。

一部記憶に残っているのは、
♪♪ときに元禄15年12月14日。江戸の夜風を震わせて、響くは、山鹿流儀(やまがりゅうぎ)の陣太鼓。しかも、ひと打ち、に打ち、さん流れ…。~耳を澄ませて太鼓を数え、お~まさしく赤穂浪士の討入りじゃ。助太刀(すけだち)するは、この時ぞ。…九尺の手槍を右の手に、切戸を開けて表にでれば、天は幽暗、地は凱凱(がいがい)たる白雪を蹴(け)立てて、行く手は松阪町。~一人の浪士が雪を蹴立てて、サック、サック、サック、サック、サック、サック。「先生!」「おう、そば屋か!」~。♪♪

 先だっては、泣かされた、大変な大雪だったのに、私の勝手な連想で、忠臣蔵・俵星玄蕃のセリフを持ち出して、申し訳ありません。若い頃、カラオケでよく唄っておりました。

 ところで、如月の2月は、4日が立春。10日は、旧暦の一月一日で、旧正月です。寒さは、まだまだ油断出来ませんが、夜明けも、わずかずつ早くなり、日暮れも遅くなり始めています。そして、よく観察して頂くと、晴れた日の日差しにも、わずかながら力が込もり始めていると思います。
 弥生3月へ向かって、春の兆しが、心を和ませてくれる月であります様に…。

     春近し千辛万苦(せんしんばんく)越へ行かむ     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録㉓「房での不自由…」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 留置場の体験で、いきなり自由を奪われた苦痛を知りましたが、当時、房内で残したメモを見ると、<不自由な事>として、房の中には、机も無く、丸いトイレットペーパーひと巻き、毛布一枚だけしか与えられず、風呂あがりでも、タオルは持ち込めない(自殺防止の為らしい…)。また、昼も夜も、枕を与えられず、それも不自由だとメモしています。

 お茶は、出がらしの、味の無いものだったので、皆も、ほとんど、白湯(さゆ)を頼んで飲んでいましたが、白湯が意外にうまい、おいしいと言う事を知りました。
それと、私は、食後、必ず楊枝(ようじ)が要りますが、楊枝は与えられず、大変、難儀をしました。ただ、これは、刑事の、取り調べでは無い、取り調べと言うのは表向きで、実際は、異常な、自白を迫るだけのものでしたが、そんな取り調べの前に、刑事の「何か欲しいものがあるか?」と言う問いかけに、毎回「濃いお茶と楊枝が欲しい」と頼みましたら、優しげに、お茶と楊枝は与えてくれました。(そのあと、机を敲いたり、押したり、恐ろしい形相で、恫喝したりした時も…)
 また、房のトイレは、しゃがんでする昔のトイレで、夜9時から翌朝7時まで、筆記用具とメモ帳、メガネも取り上げられる事も不自由だと、メモに残してあります。

 とに角、それも、これも、盗っていないのに盗ったと言わせる、自白に追い込む為に…、作られているのが、留置場でしょう。私は、房のナンバーで「13号」と呼ばれました。

     鳥の来て揺れたる梅の影も香も     ひろし

煙石 博

2024年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2024.1.1 「辰年来福、祈・諸難消除」。四畳半独房記・備忘録㉒「社会と断絶の不安」

2024.1.1 「辰年来福、祈・諸難消除」。四畳半独房記・備忘録㉒「社会と断絶の不安」

 謹賀新年。良き年であります様願うばかりですが、何があろうと、…無かろうと、月日は川の流れの様に流れ流れて行くばかり。例えは悪いのですが、歳月には後ろ髪は無い…只々、過ぎ去る月日は、引き留める事も出来ず、私共は、時の流れに身をまかせ、迎えた辰年を、前に向かって歩かせて頂くばかりです。
 このブログも、私が66,600円の窃盗の濡れ衣を着せられて、無実の主張を法廷で闘う為に、状況のご報告と、私の思いの丈を発信すべく書き始め、無罪を勝ちとれた後も今日まで続いて来ましたが、気が付くと、これまで随分な量となりました。いつも、皆様のお忙しいお時間を頂き、お読み頂く事を申し訳なく思ってもおります。

 思えば、私のえん罪も、皆様の大きなご支援を頂いたお陰で、無罪を勝ちとる事が出来ましたが、時が経つにつれて、無罪が勝ちとれて本当に良かったと言う思いが深まって来ます。ご支援下さり、ありがとう御座いました。
 もし、無実の罪を着せられたままであったら…と想像したくは無いのですが、時々思いを馳せると、どう考えても、死んでも死にきれないと言う思いに至り…その度に、背筋が凍り付き、ゾッとするところです。
 それにしても、私が確たる証拠も無いのに、全く身に覚えが無い理不尽な濡れ衣を着せられ、えん罪を体験してみて知らされた事は、日本がいかにえん罪大国?えん罪に泣かされるケースが多いかと言う事です。検察も裁判所も助けてはくれず、えん罪被害者がいかに多いか…逮捕・起訴されると有罪率99%以上と言う数字がある事も知りました。
 えん罪は他人事ではありません。今のままでは、誰の身にも起こりうる事だと思えます。「えん罪は凶器無き殺人です。」絶対にあってはなりません。私のように濡れ衣を着せられて苦しむ方が出ない事を強く願っています。留置場での拙句ですが…
     秋深く晴れぬ容疑の苦の枕     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録㉒「社会と断絶の不安」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)
 私が、広島県警の旧南警察署(丹那町)の留置場に入れられていたのは、10月11日から28日間で、11月7日まで居たと思いますが、冷暖房は無かった様に思います。初めは季節が良かったので助かりましたが、11月にもなると、夜が冷えるものですから、家内に、ウインドブレーカーを差し入れてもらい、寒さをしのぎました。今思えば、冬でなくて、まだ良かったと思います。
また、留置場に入れられる時、すべての手荷物は取り上げられ、勿論、携帯電話は没収されて、外界と一切遮断された時の、精神的な不安と孤独感は、恐怖と隣り合わせで、大変なものでした。ただ、助けられたのは、弁護士との接見は別として、一日一回15分位の家族との面会が許された事でしたが、警務官立ち合いのチェックを受けながらの、分厚いプラスチックの遮へい板越しの会話は、もどかしいものがありました。しかも、面会は、土曜、日曜と、確か祝日も、面会がなくて、憂鬱な一日だった事を思い出します。新しい南警察署は、同じ南区の出汐町に庁舎を移して、どうなのか分かりませんが、年末そして、新年の面会がどうだったのか、知るところではありません。どうなんでしょう…。
———————良い年である事を祈ります。

     老ひて尚ねばって生きむおらが春     ひろし        煙石博

2024年1月9日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.12.1 「拘置所にゃ~入っとらん!」 四畳半独房記・備忘録㉑「留置場裏の…

2023.12.1 「拘置所にゃ~入っとらん!」 四畳半独房記・備忘録㉑「留置場裏の…

 友人から電話があり、いきなり
友人「あんたぁ(あなたは)、広島拘置所に行ったんかぁ」。
私 「…いいや(いやいや)、ワシャー(私は)、拘置所には入れられとらんよ。ワシが入れられたんは、丹那町にあった、元の南警察署の留置場じゃあ」。
友人「いやいや、拘置所に入ったか…じゃなしに、拘置所の塀(へい)に画いてある絵を見に行ったんか…と聞いとるんよ」
私 「…はぁ、はぁ、広島拘置所の外塀(そとべい)に画いてある絵を見に行ったか、と言う事かぁ…」
友人「ほおよ(そうです)。あんたぁテレビのニュースでも、チラッと映っとったが、新聞の写真に写っとるんは、あんたじゃろう。

と言われ、事の次第が理解出来ました。10月30日(日)の事でした。

 新聞をよく確かめてみると、確かに、多くの参加者の中に、白髪の私が、塀(へい)に画いてある壁画を見ているのが確認できました。そう言えば、その2日前に、たまたまある知人から「煙石さんもご存知の広島拘置所の外塀に画いてある壁画を何人かで見るんですが、良かったら来られませんか…?」とお誘いを受け、その時は、行くとも行かないともお答えしませんでしたが、実は、あの絵を画かれた入野忠芳先生は、私が若い頃、(私の独身時代から、勿論、先生も若く、ご活躍でした)或る居酒屋で、時々お会いし、酒席を共にさせて頂いていました。

 そのお店は、カウンターひとつを囲む様に、10人余り座れば満席の小さなお店でしたが、お客さんは、多士済済(たしさいさい)。新聞社の論説委員、大学教授や学校の先生、俳句の主宰、俳人、詩人、市や県のお役人や、会社の社長さん等、お馴染みがよくお見えになるお店で、それぞれ、良き趣味を持った方々の文化サロン的な異業種間交流の場であった様なお店でしたが、それよりも何よりも、カウンターの中の温厚な人柄のご主人は、当時、広島で600人の会員を擁した大きな俳句会の顧問同人で、書も絵も達者、謡(うたい)も小唄も出来、お客さんからも尊敬される存在で、何と言っても、大変な人格者でした。若くして父を亡くした私も、俳句だけでなく、人生のカウンセリングや、人生勉強もさせて頂き、尊敬をしておりました。
 そんな居酒屋でのご縁があった入野先生が、のちに、広島市からの依頼を受けられ、広島拘置所外塀の壁画に挑戦され、苦労されて画かれたもので、この度、拘置所の建て替えが決定して、壁画のある外塀も取り壊されるらしいと、ニュースで聞いては居ました…。そんな訳で、外塀の絵を観に参りましたが、見学者は10数人位だろうと思っていましたら、何と250人もの見学者の1人となりました。
当日頂いた案内文から下記を抜粋します。

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 広島拘置所外塀の壁画は「広島城築城四百年記念事業」の一環として、広島市からの依頼を受け、故入野忠芳画伯が「江山一覧図絵巻」を元に江戸時代の広島城下の風景や風俗を描いたものです。この壁画は1989年の完成以来、市民の皆さまに親しまれてきたばかりでなく、被爆によって歴史的資料が乏しい広島市において、江戸時代の情景に触れることができる文化的な価値をもつ芸術作品でもあります。見学会を通して壁画の保存へのご理解を頂きますよう、願っております。

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 私の下手なスマホ写真ですが、壁画のほんの一部を添付します。


上の写真は、画家入野氏がある所へ寄贈された絵の一作品です。
下の写真は壁画の一部です。

拘置所があるところは、その昔、広島城内の北の郭(くるわ・土と石のかこい・砦)があったところだそうで、その少し西側の、裁判所の裏手には、大きな楠(クスノキ)が逞ましく枝葉を広げているところですが、江戸の昔をしのばせるかの様に土塁の一部が、人知れず残されており、江戸、明治、大正、昭和…の、時の流れを感じさせられます。
本当に、この壁画をなくすのは残念過ぎます。「元拘置所跡の外塀壁画」とか…。何とか、この絵のある外塀(そとべい)だけ残せないものでしょうか…。
ご都合つく方は、是非ご覧頂き、壁画保存にご理解頂ければと、私も思います。

     銀杏いちょう散る空の気嫌のよろしき日     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録㉑「留置場の裏…
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

留置場裏から撮った写真を見て頂くと、2階のベランダの3分の2くらいに、小さな丸い穴を開けたガード板が確認できると思いますが、土日祝日以外の平日の朝…ここは、留置場に入れられた者の娑婆(しゃば)の空気が吸える、唯一の有難い場所になっていました。房内では普通のカミソリが使えない為(凶器になるから)、ここでは、許された共用の電気カミソリで(1人1人、交代ごうたいに洗って使う)ヒゲ剃りが出来るのと、距離は15m位、30歩位しかありませんが、人2人がすれ違いながら行ったり来たり出来る小さなウォーキングスペースにもなっていて、朝の、1人20分位ですが、交代ごうたいに娑婆の空とつながり、外の空気が吸えるホッとする恵の場所でもありました。只、たまに、ウォーキングの先の椅子に、立派な入れ墨を入れた方が座っている時があり、その時は、ウォーキングは休んで、深呼吸をさせて頂くだけにして房に戻りました。
 それにしても、南署に、渡り廊下でつながれた、こんな留置場があろうとは…そこでは、憤り(いきどおり)と、怒りで涙も出ない程くやしい日を過ごした人が随分いたであろうと思う事です。

     「施錠よし」と房の復唱鉄の冷え     ひろし

迎える年が、良い年であります様に。

     我思ふ故に酒ある夜長かな     ひろし             煙石 博

2023年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.11.1「今年の冬の到来は・・・」四畳半独房記・備忘録⑳鉄格子、また鉄格子…

2023.11.1「今年の冬の到来は・・・」四畳半独房記・備忘録⑳鉄格子、また鉄格子…

 今年は、これまで以上に異常気象を意識する中で季節が移って行く様な気がしますが、気候が、まるで、暴れ馬の様・・・。乱暴で優しさを失った季節は、時に私共に牙をむいている様に思えます。

 私なりに日記帳から振り返ってみますと、今年は全国的に桜の開花が早く、東京では観測以来最も早い3月14日で、平年より10日も早い開花。又、大阪府枚方市では、3月11日、府内の観測史上最も早い夏日となり、近隣の市でも、各地で、5月は、例年だと快適なシーズンである筈ですが、月の半ばから真夏日の暑さに見舞われ、昼夜の大きな温度差にも、閉口しました。

 さらに、梅雨の前には、天気がぐずつき始めて、走り梅雨とされる現象があるものですが、今年は、それがなく、いきなりの梅雨入りで、特に九州、中四国、近畿、東海地方では、例年より一週間も早く、5月29日。

 7月になると、各地で35℃を超える猛暑日に悩まされるかと思うと、九州では、線状降水帯とやらで、記録的豪雨に見舞われ、各地で、土砂崩れや河川の氾濫が相次ぎ、続いて、関東、東北でも大雨・・・。さんざんな梅雨が例年より早く明けると、7月の終わりから、いきなり35℃を超える猛暑日が襲って来たと言う感じで、熱中症多発。結局、7月の気温は過去最高。

 8月は、連日、暑い・暑い・熱い超猛暑に、クタクタになった事を思い出されませんか・・・。
 そして、9月になっても、しつこい暑さは去らず、よもや今年は秋が来ないのでは・・・と不安を抱き始めた頃、「暑さ寒さも彼岸まで」と言う言葉通り、彼岸を境に、一気に暑さが去って秋がやって来たものの、急激な温度差に震える秋の到来でした。思い返してみると、今年は、これまで、本当に大変な気候に身を預けて来た様です。

 そう言えば、今年の9月は、熊による死傷者が多く、過去最悪だったとか。熊が人里に餌を求めてやって来るのが早かったと言う事は・・・熊の行動から、今年は寒さの到来が早く、冬も厳しいのかも知れないと、思ってみたりします。
     様変わりするも故郷ふるさと銀杏いちょう散る     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑳「鉄格子、また鉄格子・・・」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 人間は、嫌な事は早く忘れようとする自己防衛本能があるそうですが、それに逆らう様に、こうして嫌な体験を思い出しながら書こうとすると、気分が沈み始め、筆にも重い抵抗を感じるところです。しかし、さらば尚、勇気を出して書こうと思います。

 2012年10月11日(木)朝9時半頃、突然やって来た刑事2人に、広島銀行大河支店(私の家の近所)で、客が置き忘れたとする金を盗んだと決めつけられて、当然、盗ってないと主張する私・・・。2時間にわたる、激しい口論の末、有無を言わせず、逮捕状の呈示もなく、強引にも連行されたのが、家の近くの丹那町にあった(今は、出汐町に移庁していますので、~であった)広島県警南警察署でした。これは他人事ではありません。いつ、あなたの身にも・・・。私は定年後も、天地に恥じる事ない様に、余生を過ごしておりました。「怒り。」

 南署に着いて車を下ろされる前に手錠をかけられたと思いますが、手錠をかけられて、さらに気分が動転している私を、警察官が多勢いる部屋を歩いて通らされ・・・。この時の恥ずかしさ、屈辱感は相当なものでしたが・・・これは、手錠をかけられて、人前にさらされてみなければ理解して頂けない事かも知れないと思ったりします。
 ちなみに、重いだろうと思っていた手錠は、鉄かと思っていましたが、何と軽くて(軽くて丈夫な、セラミックみたいなものでしょうか)、肌触りは良く、ここだけの話ですが、装着感は、そんなに悪いものではなかった様に思います。ただ、恥かしく、屈辱的・・・。

 鉄格子の中以外は、たいがい、この手錠と、気になるのが、今も時代劇や歌舞伎で、罪人役がつけられているのを見る事がありますが、腰縄(こしなわ)をつけられて、検察や、裁判所へ連行されます。

 手錠をつけられた屈辱的な格好で、警察官が多勢居る部屋を歩いて通らされ、とりあえず、留置場手前の取り調べ室へ入れられました。が、そのあとは、鉄扉の様な扉の錠があけられて、渡り廊下(留置場は南署の隣の別棟ですから)を歩かされて(5m位でしょうか)、さらに廊下の出口の扉の錠を開けて、渡り廊下から出され、こんどは、いかにも牢獄と思わせるような鉄格子の扉の錠を開けて、そこで、署員が号令をかけ合い、敬礼をして、私は留置場へ引き渡されました。その向こうに、鉄格子の並ぶ房がある訳ですが、そこから数歩歩いて、13号の鉄格子の錠が開けられ、うす暗い4畳半位の長方形の独房に押し込まれました。
 よもや、それから28日間も勾留されようとは・・・。

     13号と呼ばれ時雨るる鉄格子     ひろし

 ところで、前号で、いずれ取り壊されると思いますが、今や空き家となった丹那町の南警察署の小さな留置場の事を、写真と刷り合わせて、少し書きました。
 下の写真は、大通りに面した反対側(丹那橋、山側の方)から写した遠景と近景です。

 この2階に、何か丸い穴がたくさんあけてあるガード板がついていますが、ここがベランダになっていて、ここは、ケージで囲われており、勾留されている者の、ささやかな、ウオーキング・スペースだったのです。その事は、次号にて―――。

 冬の電気あんか、炬燵等を出す目安となる炉開き、旧は、今年は11月13日(日)です。寒さに向かいますが、ご自愛ください。

煙石博

2023年10月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.10.1 「私の10月は、今でも嫌な月」四畳半独房記・備忘録⑲ 私の名前は13号

2023.10.1 「私の10月は、今でも嫌な月」四畳半独房記・備忘録⑲ 私の名前は13号

 広島県警南警察署が、9月19日(火)に出汐町の旧陸軍被服支廠の北側に新築移転する事については、前回のブログでふれましたが、新聞によりますと、鉄筋5階建て(地下あり)で、総工費約29億円、延床面積は8300平方メートル、丹那町の旧庁舎の3.3倍だそうです。又、留置施設の収容定員が増加する為、留置管理課の人員を、11人から16人に増やすとありました。私が不当逮捕されて、28日間留置され、自白を強要された丹那町の旧庁舎には、鉄格子の房は、7つか8つしかなかった様ですが、房の数が増えると言う事の様です。

 留置房の中で、唯一、少しほっとするのは、火曜日と金曜日の風呂時間。小さなバスタブが鉄格子の中にあって、かけ流しの1人風呂…。ただ、衆人環視状態、1人20分、しかも、バスタブに入って浸かってはいけません。病気があってはいけないからと、勿体無いけど、湯船の水は、ザーザーとあふれるままにしてあり、それを汲み出して、かけ湯として使う訳ですが、理不尽な留置への憤り、怒りをぶちまける様に、バサバサ荒っぽく湯を使ったものでした。

 そう言えば、私が突然、不当逮捕されたのは2012年10月11日(木)朝…あの時やって来た刑事2人、今頃どうしているのやら…。私の人生を壊された怒りは消えません。

     天高し地に我が疑惑晴らすべく     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑲「私の名前は13号」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 消す事の出来ない嫌な記憶が残った丹那町の旧南警察署、その後、あの近くを通る事も、近付く事も、具合が悪くなりそうで、長い間避けて来ましたが、閉庁となった今では…と、勇気を出して、ガランと気の抜けた建物に近づいてみると、老朽化も激しい様で、その内、壊されるだろうと思い、写真に残しました。1枚目の写真は、旧南警察署正門あたりよりの写真。左奥が留置施設のある建物。

 2枚目は、その旧南警察署の北の留置施設のズームアップ。2階によろい戸が見えますが、あの窓側に刑務官の机が並んでいて、その向こうに通路があり、朝は点呼の為、そこに一列に並ばされて、1号、2号…と、番号で呼ばれて返事をします。
私は13号で、何故か、私の前にえん罪被害者となり無罪を勝ちとられた、元厚生労働省の村木厚子さんと同じ、13と言う数字でした。

 さらに、その通路の向こうに鉄格子があって、うなぎの寝床の様な長方形の狭い房が並んでいました。

     番号で呼び開錠かいじょうの鉄の冷え     ひろし

 薄暗い房の一番奥がトイレ(下半身の辺りだけ遮へいしてある)で、しゃがんで用を足す便器が、薄暗い、ナメクジでも這っていそうな中にありました。
 そんなトイレでしたが、極度なストレスの為でしょう、便秘が続き、最後まで便秘薬を使って用を足すと言う塩梅でした。尾籠(びろう)な話で申し訳ありません。
 ―――色々、思い出されて、今でも、気分が良くありませんので…このあたりで…。

     蠅取蜘蛛はえとりぐも房のかわやの釈迦如来     ひろし

お身体ご自愛、お元気でいらっしゃって下さい。           煙石 博

2023年9月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.9.1(旧暦7月17日)広島県警南警察署が広島市南区出汐町に転署・開庁

2023.9.1(旧暦7月17日)広島県警南警察署が広島市南区出汐町に転署・開庁

 今年は、猛暑、いや、激暑極まる夏でしたが、この稿を書いているのは8月半ば過ぎ。まだまだ、とんでもない暑さの中にあります。

 そうは言っても、おそらく、9月1日(金)あたりには、さすがの激暑も過去形となって、暑さも少しはおさまっているだろう…と思います。そうでなければ、大変な異常気象。

 それにしても、今年の夏は、月遅れの盆になっても、これでもか、これでもかの暑さがおさまらず、中々涼しくなってくれませんで、各地の盆踊り行事も、危険な猛暑の中で行われた様子が、テレビニュースで伝えられました。

 今では定着している月遅れの盆について考えてみると、これは、明治になって、世界共通の今の暦を生活暦とした時、盆が、そのまま7月の初めでは、まだ梅雨の終わり頃にもあたる為、盆行事に不具合もあり、便宜上、1ヶ月遅らせて、今の暦の8月15日を、月遅れの盆としたものですが、ちなみに暦を見ると、東京の盆は、今の暦の7月15日となっている様です。

     身を削り越ゆる猛暑の峠かな     ひろし

 そもそも、元々のお盆、旧歴7月15日頃の季節感は、暑い夏も衰えを見せ始め、朝晩も涼しくなって、秋が近付いて来る事を肌で感じ始めていた季節実感にあったと思います。
 また、その旧暦の盆は、必ず満月にあたり、先祖の供養の為の盆踊りは、満月に見守られての行事でもあった筈です。

 何はともあれ、昔の日本人は、旧暦の盆が過ぎると、間もなく、秋の収穫時期の大変な農作業も始まると言うライフスタイルの中に組み込まれていたものだったでしょう。
 そんな旧暦の盆ですが、今年は8月30日(水)。近づく秋の気配は…いかがでしょうか…。

 俳句の季語に、長い夏に疲れた日々、ふと、涼風や涼気が、肌に爽やかさをもたらして、秋を感じさせてくれると言う…新たに涼し…新涼(しんりょう)と言う季語があります。

     新涼しんりょうや恩師のふみの慈愛満ち     ひろし

 ところで、この程、広島県警南警察署の新庁舎が、広島市南区出汐町に完成し、9月19日転署・開庁となっています。
 1枚目の写真は、新しい広島南警察署の北側を横から写したもの。
左の道は、県立広島工業高校と県立広島皆実高校の専用通学路で、奥に見える木は、大きなクスノキです。その向こうに学校があります。

 2枚目・3枚目は、進徳女子高校側から撮った南署の正面と、斜めの角度から写したものです。右の奥に見える屋根は、レンガ造りの、旧陸軍被服支廠の建物です。

 何となく警察のイメージが湧いてこない、まだ周囲の景観に馴染まない大きな庁舎で、これまでの警察署とは違った感じの建物…建物の北側の左上に小さく「POLICE STATION」とあります。

 この庁舎の中の何処かに、留置場もあるのでしょう…。

     秋の蚊を打つや心を鬼として     ひろし

 下記の句は、2012年秋、丹那町の元の南署、独居房にての句。房の掃除は自分でする事になっています。しかし、掃き採るゴミは、私の抜けた髪の毛、がみばかりでした…。

     ぼう狭き掃きるは皆木の葉髪     ひろし

煙石博

2023年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.8.1(旧暦6.1)ラブピースのネコジャラシ。8月2日は満月〇。3日は厳島管弦祭

2023.8.1(旧暦6.1)ラブピースのネコジャラシ。8月2日は満月〇。3日は厳島管弦祭

 先月のブログ「気になる異常気象」の中で、暦の「半夏生(はんげしょう)」や、要注意の「半夏雨(はんげあめ)」に触れました。
 この「半夏生」と言う暦日(れきじつ)は、天気予報が報じられなかった明治以前の日本人にとっては、やはり、7月初めのこの頃…梅雨の後半にも入る時期でもあり、大雨も降り、梅雨末期の「送り梅雨」と言う言葉(俳句の季語にもなっています。)も、ある様に、梅雨最後の強い雨が降りつのる事があるので、注意をうながす意味が込められたものだと納得出来そうな気がします。

 先月の「半夏生」の事を書いたのは、6月の穏やかな梅雨の中で書いたものでしたが、今年の梅雨は、たまたま、それまでの、おとなしい梅雨が、7月初めの「半夏生」の頃より表情を変えて、とんだ暴れ梅雨となり、山陰地方を含め、九州北部・南部、さらに、東北地方にまで、線状降水帯を伴って、各地に大雨による大変な被害をもたらし、本当に憎々しい、心の痛む梅雨となって仕舞いました。

 それにしても、近年の気候現象は、異常を越えて、私共の生活に影響を及ぼし過ぎる気候変動にもなりつつある様な…。大変心配です。

     天災の多く悲嘆の虹とひ     ひろし

 思えば、「これでもか、これでもか」と言わんばかりの度重なる大雨、大水、大風、竜巻…死と隣り合わせの様な大変な猛暑の襲来は、そうとは思いたくありませんが、これ迄の、人間勝手、自分勝手な私共の社会活動や経済活動への、神仏の怒りの様にも思えて来ます。
 とは言え、ここは、言われております様に、地球的規模の温暖化現象を、科学的、合理的に考えて、良い方向に舵を取って行くのがいいのかと思えます。

 考えてみると、今の現状があると言う事は、必ず、その原因がある筈です。
 ああしたから、こうなって、さらにその前には、あれがあって、それが連鎖と言うもので繋(つな)がって来たから、今のこの結果がある…と、科学的、合理的に考えて、答えを見つけたいものです。

 これは、表現が的確でないと思いますが、日本のことわざに「風が吹けば桶屋が儲(もう)かる」の様な…理屈をさぐると、それはそれで、成る程と…。

 そう言えば、若い頃覚えた、都々逸(どどいつ)なんてのにも、「こおして、こおすりゃ、こおなる事と、知りつつ、こおしてぇ~、こおなったぁ~」♪ トトン、ツン、シャンと…。そんな文句を思い出します。

     炎天の影も仏となりにけり     ひろし

 所で、下の写真は、お馴染みの雑草、狗尾草(えのころぐさ)。別名、ネコジャラシですが、1枚目は普通のもの、2枚目は、めずらしい、ピースをしているもの。滅多にありませんが、よく見ていると、たま~に見つかります。これも、異常気象の影響か…。

 この、ピースのネコジャラシは、四つ葉のクローバーの様に、以前からありましたが、最近、割りと見つかります。と言っても、仲々、見つかりません。
 ともあれ、「ラブピース」です。皆さんにも良き事があります様に…。

     蟬しぐれ泣けぬ男の昭和あり     ひろし
     八月や殊に命をたっとびぬ        ひろし

 お身体、大切になさって下さい。             煙石 博

2023年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

 暦は早くも、今年の半分を越えて、一年の後半の日々を数える事となりましたが、7月前半の日本列島、九州・四国・本州地方は、梅雨末期の雨を覚悟の時期を越えなければなりません。特に最近は、降り出す雨が線状降水帯とやらで、度々、水禍をもたらしますので、そんな事にならない事を祈ります。

 旧暦の暦に、立春、啓蟄、立夏、等の二十四節気に加えて、節分、八十八夜、入梅、彼岸、等の雑節(七十二候)と言われる暦日(れきじつ)が記されていますが、その中のひとつに、半夏生(はんげしょう)と言うのがあります。
 語源は、半夏(はんげ)・カラスビシャクと言う、畑等に生える多年草の雑草(漢方にも使われる様ですが)が盛んに生える時期から来ているもので、今年は7月2日(日)です。

ハンゲショウ(『山野草たちの歳時記』より)

 この時期は、梅雨の末期に入り、雨に用心という意味が込められた暦日で、この日の雨は、半夏雨(はんげあめ)と言われ、大雨になると言われておりました。この時期の雨は、大水をもたらすので、注意もしなさいと言う、昔の知恵が込められているのが、この半夏生だと思います。

 ところで異常気象と言われる様になって随分になりますが、異常ならば、その内正常な気象へ少しずつ戻るかと言えば、どうも、その景色には程遠くなり続けて、むしろ、私共の常識を越える様な異常気象が起き続け、その被害が出ることも度々・・・異常気象が居座り、自然災害への不安が高まったままの昨今となって仕舞った様な感じすらします。

     憂ひ事あるやにバナナ湾曲す     ひろし

 そもそも、このままならない異常気象の始まりを振り返ってみると、数年前に私のこのブログでも書いた記憶がありますが、10数年前、2011年3月11日の、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だと思います。
 と言いますのは、長い間、俳人としても生きて来たつもりの私の自然観察メモを見直してみると、2009年までのメモには、自然による大災害は、時折り発生する程度で、大きな異常気象を意識する程のメモは残しておりませんが、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年と言う年は、大変異常な気候を体験した年だった事を敢えて記入しておりました。
その2010年の私のメモを見ると、「気候不順の一年・・・残暑がいつまでも続き、秋が無く、一度に冬が来た様な気候・・・」と敢えてメモしています。そして、「2010年は、秋の無い年・・・。12月に入っても奇妙に暖かい日が続く」とも記しています。

 又、俳誌でも目にとまった様で、当時、まだ、ご存命だった俳句結社ホトトギスの名誉主宰、稲畑汀子先生が、2011年の1月号の誌面最後の消息欄に、「新年明けましておめでとうございます。平成二十三年一月号をお届け致します。~昨年(2010年)は、思いがけなく大事な方々が亡くなるという事があり、また気候の不順な年でございました。残暑の厳しかった日々が過ぎると、忽ち(たちまち)秋を通り越して一度に冬がやって来たような状態で、体調がそれに付いていけないような方も多かったようでございます。~。」と、気候の異常を特筆されていた文面を、私の俳句メモに記録しておりました。

 思い返してみると、こんな異常気象の始まりは、あの東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だった・・・ように思えます。

 とに角、この2010年から今に至るまで、異常気象は進み続け、それが日常の様にもなって仕舞っている様です。

 ふと、思いますに、「春夏秋冬」の優しい季節の移ろいの中で暮らして来た私共ですから、今の、自然の怒りの様な過酷な気候に晒(さら)され続けている事は、知らないうちに、何らかの精神的ストレスが溜(た)まり続けているのでは・・・と、心配したりも致します。呉々も、お体ご自愛下さいます様にと思います。

     老骨へ豪速球の猛暑来ぬ     ひろし

 最後に、私も時々自転車で通りますが、新しい広島県警南警察署(広島市南区出汐町に移る)が、ほぼ出来上がりつつあります。(旧陸軍被服支廠の北側、県立広島工業高校、県立皆実高校の近くです。)
新築工事の完了は、7月31日となっている様です。写真を添えます。

煙石博     

2023年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

 何はともあれ、G7広島サミットが、何事もなく、無事終わって良かったと安堵していますが、サミットの前から、思わぬところで、その影響を受けた方も多かったと思います。
 実は私、サミット2日目の5月20日(土)の朝、所用あって、バスで、広島市内の中心部へ向かいましたら、街のいたるところで、大勢の警察官や、特殊車両・護送車の様な車が列をなして配備されていて、警察官のチョッキの背中には、各県の表示。車のナンバープレートを見ても、ほとんど、県外のものでした。それもそう、何しろ、2万4000人規模の警察官が広島に配置された厳戒体制と言う事でしたから…。
 私が乗ったバスは、道の両側に、パイプ状のバリケード柵が長くつなげてある中を、八丁堀から紙屋町へと、何とか走れていましたが、紙屋町の交差点を右折しようとした時、急に警察官の停車合図が出されて、バスの横を走っていた市内電車と一緒に停められました。これは、サミット参加の要人の車が、宿泊しているホテルから宇品島のサミット会場に向かう為、一般の通行が停められたものでしたが、20分位のちに、警察官の指示によって、やっと右折を許されて…冗談ながら、G7サミットを肌で身近に感じた時間ではありました。

 それと、市民生活への影響も色々あった中で、休みと決めた会社もあって、飲み処も昼も夜も、休みのところが多かったので、私も毎日、自宅待機状態…テレビのサミット関連の番組を見ておりましたが、要人が、着いた出発したと言う事は、中継レポートでわかりましても、会議の様子は、数カット伝えられるのみで、内容については…。記者や、ゲストの説明がありますが、私が思う事と違って、納得出来ない話や…恥ずかしながら、私の理解力が及ばないのも…理解しようと思うのですが…「いたしい(むつかしい)話じゃのぉ~」と思って、自分をなぐさめ…「ほこ」を納める事多し――。

 ま、とにかく、何事も無くサミットが終わって良かったのですが、それにしても、市街地には、警察官が至る所に…警備の車も数珠つなぎの様に。中心市街地や関連地域は、例えば「石を投げれば警察官にあたる?」。落ちている1円玉も拾えない感じの、何が何だか、うっすらと疲れる緊張感の日々だった様な…。
 そもそも、海外からの多くの要人を迎え、無事にお帰り頂く事は、大変だろうと思ってはいましたが、想像以上に、ものものしく、大変だったと言う所でしょうか。夜中も、警戒のヘリコプターの音が、毎夜、遠くに聞こえておりました。

 ところで、これは、個人的な話で申し訳ありませんが、G7サミットの重要な会議が行われた宇品島の、グランドプリンスホテル高階の、円卓テーブルが置かれたあのスペースは、多分そうだろうと思いますが(あれでも階が違うかも知れませんが?)、実は、私がアナウンサー時代、気に入っていたスペースで、会社が休みで天気が良ければ、時々行っては、食事とお酒を頂きながら、静かなひとりの午後を過ごしていた所です。
 個人的な事と混同して申し訳ないと思いつつ、「私の爺1サミット」の場…嬉しい様な…何と言っていいものか…。そこより眼下に広がる景色は、広島湾の、出船、入船…さらに、その遥かには、遠く霞む瀬戸の島々も一望出来、ひそかなパワースポットでもありました。

 そこからの夕日も綺麗です。たまたま、昔、スマホに残した写真がありました。これは、私が定年退職した翌年、2008年1月のものと、2008年4月のものです。

2008年1月撮影
2008/01/09 17:04
2008年4月撮影
2008/04/04 18:26

 又、この場所で詠んだ拙い句も残していました。

     あふれゐる旅愁港の秋夕焼ゆやけ     ひろし
     冬入陽ふゆいりひ瀬戸へ一太刀ひとたち金のほこ     ひろし
     今日の日よらば冬陽ふゆひへ明日を酌む     ひろし

 何はともあれ、サミットは無事終わりましたが…お疲れ様でした。
 お身体ご自愛ください。                    煙石博

2023年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.5.1(旧暦3.12)今年の5月は・・・ちょっぴり緊張する月・・・?

2023.5.1(旧暦3.12)今年の5月は・・・ちょっぴり緊張する月・・・?

 風薫る5月ですが、今年は様子が違い、青葉若葉が燃える開放的な行楽シーズンに加えて、今年は5月19日(金)~21日(日)に、広島の元宇品町で、G7サミット(主要国首脳会議)が開かれますので、ちょっぴり緊張感のある日々が加わりそうです。

 そう言えば、広島でG7サミットが開かれると言う事で、教育関係では、早くから登園自粛や、臨時休校等が決められたり、他にも色々と、サミットの安全の為の協力体制がシフトされている様です。

 その直接の影響では無いにしても、4月あたりから、平和公園から広島市中心部のメインストリート、本通りの人波の中に、外国からの旅行者がかなり増えていて、G7サミットが広島で開かれると言う事が、或いは、広島へ足を運ぶ、かすかな遠因になっては・・・いないだろう・・・なぁ~等と、思いを遊ばせてみたりするところです。

 メイン会場となる向宇品(むこううじな)は、広島っ子にも、島と言う意識は薄い身近な海辺の海浜ですが、さかのぼると、1893年、明治26年に、眼鏡橋(現在は、よく注意しないと気付かない様な、暁橋・あかつきばし)で、宇品と陸続きになった周囲約3キロ、標高52mの小さな島です。

今では、港、釣場、磯遊びの行楽の場、そして、ロマンあふれる燈台もあって、夕日のベストスポットでもありますが、安芸小富士や、世界文化遺産の地、宮島の弥山等の、瀬戸を望める憩いの場で、日がな潮騒に包まれた景観豊かなアイランドです。
昔、今時分の元宇品で詠んだ拙句ですが・・・。

     山藤の湾一望の高さかな     ひろし

 ところで、この宇品島の由来は、牛がうずくまった姿にも見えるところから、牛の島、牛奈島・・・うじなと言われる様になったと伝えられていますが、薄田(すすきだ)太郎さんの「続々がんす横丁(昭和48年1973年発行)」の中でも、『元宇品は、またの名を向宇品というが、昔は、うっそうとした熱帯植物が茂っていた離れ島であった。

元和5年(1619年)に描かれた安南郡絵図には「牛奈島」と書いてあったという。
・・・広島市史の編者は、次のように書いている・・・想ふに、元和5年の絵図に「牛の島」と書いてあるが、その表現を思うに、この島の形が、あたかも、臥した牛に似ていたために「牛の島」といわれ、それが、転訛して「牛子島」といわれ、さらに「宇治奈島、氏名島、宇品島と文字が変化したものであろう。

・・・ふした牛に似ていたために「牛の島」といわれたのは、比治山の姿が、あたかも虎のふした形に似て、「臥虎山(がこざん)といわれたのと同じタグイである。

・・・元宇品は全島老樹におおわれ、山中に繁茂している熱帯植物は、明治42~3年頃、本多静六博士が発見して、一躍、古代原始林として脚光を浴びたものである。
筆者たちも小学生時代、先生に引率されて、この原始林をたずねた事を思い出す。』とあります。

今でも、この島は、ほとんどが海べりの広葉樹の原生林の森で、全国でもめずらしい、都心近くの国立公園地域に指定されている貴重な地域でもあり、昭和40年頃まで、桟敷が並ぶ「別世界(べっせかい)海水浴場(小さな水族館には、スナメリクジラもいた事があった)」としても、賑わっていた時もありました。

 又、この島の歴史を探って行くと、縄文時代の海食崖(かいしょくがい)や、戦国時代の落ち武者伝説や、秘仏伝説等、興味深い話も残されているところです。

 それにしても、毛利輝元が、広島城を築城し、そのあとの福島正則が、その南に、今の本通りとなった西国街道を作って、城下を発展させる町の基をつくった頃、その南を望んでみると、今の比治山も波に洗われる島で、向宇品となる「牛名島」や「仁保島(黄金山)」も、はるか海の中に霞んで見えていた事でしょう。

 その後、入城した浅野の藩政時代に、海を埋め立てては、土地をひろげ、幕末には、今の宇品の県立広島病院あたりまで埋め立てられて、現在の県病院前の大通りが、水路と土手として残され、弧を描く様に丹那橋の方へ続いていた様です。その土手の桜並木は、桜土手として、多くの人に親しまれていたと聞いています。

 さらに、明治になって、当時の広島県令(県知事)でもあった千田貞暁氏が、さらに南へ埋立地を広げ、そこが、ほぼ、今の宇品町と言われる事となりました。

 そうしてみると、広島は、本当に南へ南へと海を埋立てて発展して来た事をうかがう事も出来ます。

 何はともあれ、広島サミットの成功を祈りますが、今年はG7サミットの為に、例年なら春本番の花の祭りフラワーフェスティバルが、例年より、1ヶ月余り後の6月10日(土)と11日(日)の二日間となっています。
1ヶ月遅れのフラワーステージ、花の顔ぶれが、多少違った祭りとなるかも・・・。

 今回のブログは、G7広島サミットによせて書きましたが、貴重な時間を頂き、ありがとうございました。

 異常気象の為に、本来、穏やかな日本の四季が、ままならぬ状況になっている事も心配するところで、それだけでも、ストレスを感じますが、これに加えて、世の中は、あれや、これや、ただならぬ事ばかりの大変な世の中・・・。何とか、平穏な日々への光が見えて欲しいと願います。お身体ご自愛下さい。

     つ国の戦禍寂しき豆の飯     ひろし

煙石 博

2023年4月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien