煙石博のブログ

煙石博さんはある日突然に謂われなき罪に問われ、苦しんでいます
この苦しみは彼一人だけではなく、家族の皆さんも地獄の苦しみを
味わっています
このブログでは、その時々の彼の思いを綴っています

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2023.9.1(旧暦7月17日)広島県警南警察署が広島市南区出汐町に転署・開庁

2023.9.1(旧暦7月17日)広島県警南警察署が広島市南区出汐町に転署・開庁

 今年は、猛暑、いや、激暑極まる夏でしたが、この稿を書いているのは8月半ば過ぎ。まだまだ、とんでもない暑さの中にあります。

 そうは言っても、おそらく、9月1日(金)あたりには、さすがの激暑も過去形となって、暑さも少しはおさまっているだろう…と思います。そうでなければ、大変な異常気象。

 それにしても、今年の夏は、月遅れの盆になっても、これでもか、これでもかの暑さがおさまらず、中々涼しくなってくれませんで、各地の盆踊り行事も、危険な猛暑の中で行われた様子が、テレビニュースで伝えられました。

 今では定着している月遅れの盆について考えてみると、これは、明治になって、世界共通の今の暦を生活暦とした時、盆が、そのまま7月の初めでは、まだ梅雨の終わり頃にもあたる為、盆行事に不具合もあり、便宜上、1ヶ月遅らせて、今の暦の8月15日を、月遅れの盆としたものですが、ちなみに暦を見ると、東京の盆は、今の暦の7月15日となっている様です。

     身を削り越ゆる猛暑の峠かな     ひろし

 そもそも、元々のお盆、旧歴7月15日頃の季節感は、暑い夏も衰えを見せ始め、朝晩も涼しくなって、秋が近付いて来る事を肌で感じ始めていた季節実感にあったと思います。
 また、その旧暦の盆は、必ず満月にあたり、先祖の供養の為の盆踊りは、満月に見守られての行事でもあった筈です。

 何はともあれ、昔の日本人は、旧暦の盆が過ぎると、間もなく、秋の収穫時期の大変な農作業も始まると言うライフスタイルの中に組み込まれていたものだったでしょう。
 そんな旧暦の盆ですが、今年は8月30日(水)。近づく秋の気配は…いかがでしょうか…。

 俳句の季語に、長い夏に疲れた日々、ふと、涼風や涼気が、肌に爽やかさをもたらして、秋を感じさせてくれると言う…新たに涼し…新涼(しんりょう)と言う季語があります。

     新涼しんりょうや恩師のふみの慈愛満ち     ひろし

 ところで、この程、広島県警南警察署の新庁舎が、広島市南区出汐町に完成し、9月19日転署・開庁となっています。
 1枚目の写真は、新しい広島南警察署の北側を横から写したもの。
左の道は、県立広島工業高校と県立広島皆実高校の専用通学路で、奥に見える木は、大きなクスノキです。その向こうに学校があります。

 2枚目・3枚目は、進徳女子高校側から撮った南署の正面と、斜めの角度から写したものです。右の奥に見える屋根は、レンガ造りの、旧陸軍被服支廠の建物です。

 何となく警察のイメージが湧いてこない、まだ周囲の景観に馴染まない大きな庁舎で、これまでの警察署とは違った感じの建物…建物の北側の左上に小さく「POLICE STATION」とあります。

 この庁舎の中の何処かに、留置場もあるのでしょう…。

     秋の蚊を打つや心を鬼として     ひろし

 下記の句は、2012年秋、丹那町の元の南署、独居房にての句。房の掃除は自分でする事になっています。しかし、掃き採るゴミは、私の抜けた髪の毛、がみばかりでした…。

     ぼう狭き掃きるは皆木の葉髪     ひろし

煙石博

2023年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.8.1(旧暦6.1)ラブピースのネコジャラシ。8月2日は満月〇。3日は厳島管弦祭

2023.8.1(旧暦6.1)ラブピースのネコジャラシ。8月2日は満月〇。3日は厳島管弦祭

 先月のブログ「気になる異常気象」の中で、暦の「半夏生(はんげしょう)」や、要注意の「半夏雨(はんげあめ)」に触れました。
 この「半夏生」と言う暦日(れきじつ)は、天気予報が報じられなかった明治以前の日本人にとっては、やはり、7月初めのこの頃…梅雨の後半にも入る時期でもあり、大雨も降り、梅雨末期の「送り梅雨」と言う言葉(俳句の季語にもなっています。)も、ある様に、梅雨最後の強い雨が降りつのる事があるので、注意をうながす意味が込められたものだと納得出来そうな気がします。

 先月の「半夏生」の事を書いたのは、6月の穏やかな梅雨の中で書いたものでしたが、今年の梅雨は、たまたま、それまでの、おとなしい梅雨が、7月初めの「半夏生」の頃より表情を変えて、とんだ暴れ梅雨となり、山陰地方を含め、九州北部・南部、さらに、東北地方にまで、線状降水帯を伴って、各地に大雨による大変な被害をもたらし、本当に憎々しい、心の痛む梅雨となって仕舞いました。

 それにしても、近年の気候現象は、異常を越えて、私共の生活に影響を及ぼし過ぎる気候変動にもなりつつある様な…。大変心配です。

     天災の多く悲嘆の虹とひ     ひろし

 思えば、「これでもか、これでもか」と言わんばかりの度重なる大雨、大水、大風、竜巻…死と隣り合わせの様な大変な猛暑の襲来は、そうとは思いたくありませんが、これ迄の、人間勝手、自分勝手な私共の社会活動や経済活動への、神仏の怒りの様にも思えて来ます。
 とは言え、ここは、言われております様に、地球的規模の温暖化現象を、科学的、合理的に考えて、良い方向に舵を取って行くのがいいのかと思えます。

 考えてみると、今の現状があると言う事は、必ず、その原因がある筈です。
 ああしたから、こうなって、さらにその前には、あれがあって、それが連鎖と言うもので繋(つな)がって来たから、今のこの結果がある…と、科学的、合理的に考えて、答えを見つけたいものです。

 これは、表現が的確でないと思いますが、日本のことわざに「風が吹けば桶屋が儲(もう)かる」の様な…理屈をさぐると、それはそれで、成る程と…。

 そう言えば、若い頃覚えた、都々逸(どどいつ)なんてのにも、「こおして、こおすりゃ、こおなる事と、知りつつ、こおしてぇ~、こおなったぁ~」♪ トトン、ツン、シャンと…。そんな文句を思い出します。

     炎天の影も仏となりにけり     ひろし

 所で、下の写真は、お馴染みの雑草、狗尾草(えのころぐさ)。別名、ネコジャラシですが、1枚目は普通のもの、2枚目は、めずらしい、ピースをしているもの。滅多にありませんが、よく見ていると、たま~に見つかります。これも、異常気象の影響か…。

 この、ピースのネコジャラシは、四つ葉のクローバーの様に、以前からありましたが、最近、割りと見つかります。と言っても、仲々、見つかりません。
 ともあれ、「ラブピース」です。皆さんにも良き事があります様に…。

     蟬しぐれ泣けぬ男の昭和あり     ひろし
     八月や殊に命をたっとびぬ        ひろし

 お身体、大切になさって下さい。             煙石 博

2023年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

 暦は早くも、今年の半分を越えて、一年の後半の日々を数える事となりましたが、7月前半の日本列島、九州・四国・本州地方は、梅雨末期の雨を覚悟の時期を越えなければなりません。特に最近は、降り出す雨が線状降水帯とやらで、度々、水禍をもたらしますので、そんな事にならない事を祈ります。

 旧暦の暦に、立春、啓蟄、立夏、等の二十四節気に加えて、節分、八十八夜、入梅、彼岸、等の雑節(七十二候)と言われる暦日(れきじつ)が記されていますが、その中のひとつに、半夏生(はんげしょう)と言うのがあります。
 語源は、半夏(はんげ)・カラスビシャクと言う、畑等に生える多年草の雑草(漢方にも使われる様ですが)が盛んに生える時期から来ているもので、今年は7月2日(日)です。

ハンゲショウ(『山野草たちの歳時記』より)

 この時期は、梅雨の末期に入り、雨に用心という意味が込められた暦日で、この日の雨は、半夏雨(はんげあめ)と言われ、大雨になると言われておりました。この時期の雨は、大水をもたらすので、注意もしなさいと言う、昔の知恵が込められているのが、この半夏生だと思います。

 ところで異常気象と言われる様になって随分になりますが、異常ならば、その内正常な気象へ少しずつ戻るかと言えば、どうも、その景色には程遠くなり続けて、むしろ、私共の常識を越える様な異常気象が起き続け、その被害が出ることも度々・・・異常気象が居座り、自然災害への不安が高まったままの昨今となって仕舞った様な感じすらします。

     憂ひ事あるやにバナナ湾曲す     ひろし

 そもそも、このままならない異常気象の始まりを振り返ってみると、数年前に私のこのブログでも書いた記憶がありますが、10数年前、2011年3月11日の、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だと思います。
 と言いますのは、長い間、俳人としても生きて来たつもりの私の自然観察メモを見直してみると、2009年までのメモには、自然による大災害は、時折り発生する程度で、大きな異常気象を意識する程のメモは残しておりませんが、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年と言う年は、大変異常な気候を体験した年だった事を敢えて記入しておりました。
その2010年の私のメモを見ると、「気候不順の一年・・・残暑がいつまでも続き、秋が無く、一度に冬が来た様な気候・・・」と敢えてメモしています。そして、「2010年は、秋の無い年・・・。12月に入っても奇妙に暖かい日が続く」とも記しています。

 又、俳誌でも目にとまった様で、当時、まだ、ご存命だった俳句結社ホトトギスの名誉主宰、稲畑汀子先生が、2011年の1月号の誌面最後の消息欄に、「新年明けましておめでとうございます。平成二十三年一月号をお届け致します。~昨年(2010年)は、思いがけなく大事な方々が亡くなるという事があり、また気候の不順な年でございました。残暑の厳しかった日々が過ぎると、忽ち(たちまち)秋を通り越して一度に冬がやって来たような状態で、体調がそれに付いていけないような方も多かったようでございます。~。」と、気候の異常を特筆されていた文面を、私の俳句メモに記録しておりました。

 思い返してみると、こんな異常気象の始まりは、あの東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だった・・・ように思えます。

 とに角、この2010年から今に至るまで、異常気象は進み続け、それが日常の様にもなって仕舞っている様です。

 ふと、思いますに、「春夏秋冬」の優しい季節の移ろいの中で暮らして来た私共ですから、今の、自然の怒りの様な過酷な気候に晒(さら)され続けている事は、知らないうちに、何らかの精神的ストレスが溜(た)まり続けているのでは・・・と、心配したりも致します。呉々も、お体ご自愛下さいます様にと思います。

     老骨へ豪速球の猛暑来ぬ     ひろし

 最後に、私も時々自転車で通りますが、新しい広島県警南警察署(広島市南区出汐町に移る)が、ほぼ出来上がりつつあります。(旧陸軍被服支廠の北側、県立広島工業高校、県立皆実高校の近くです。)
新築工事の完了は、7月31日となっている様です。写真を添えます。

煙石博     

2023年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

 何はともあれ、G7広島サミットが、何事もなく、無事終わって良かったと安堵していますが、サミットの前から、思わぬところで、その影響を受けた方も多かったと思います。
 実は私、サミット2日目の5月20日(土)の朝、所用あって、バスで、広島市内の中心部へ向かいましたら、街のいたるところで、大勢の警察官や、特殊車両・護送車の様な車が列をなして配備されていて、警察官のチョッキの背中には、各県の表示。車のナンバープレートを見ても、ほとんど、県外のものでした。それもそう、何しろ、2万4000人規模の警察官が広島に配置された厳戒体制と言う事でしたから…。
 私が乗ったバスは、道の両側に、パイプ状のバリケード柵が長くつなげてある中を、八丁堀から紙屋町へと、何とか走れていましたが、紙屋町の交差点を右折しようとした時、急に警察官の停車合図が出されて、バスの横を走っていた市内電車と一緒に停められました。これは、サミット参加の要人の車が、宿泊しているホテルから宇品島のサミット会場に向かう為、一般の通行が停められたものでしたが、20分位のちに、警察官の指示によって、やっと右折を許されて…冗談ながら、G7サミットを肌で身近に感じた時間ではありました。

 それと、市民生活への影響も色々あった中で、休みと決めた会社もあって、飲み処も昼も夜も、休みのところが多かったので、私も毎日、自宅待機状態…テレビのサミット関連の番組を見ておりましたが、要人が、着いた出発したと言う事は、中継レポートでわかりましても、会議の様子は、数カット伝えられるのみで、内容については…。記者や、ゲストの説明がありますが、私が思う事と違って、納得出来ない話や…恥ずかしながら、私の理解力が及ばないのも…理解しようと思うのですが…「いたしい(むつかしい)話じゃのぉ~」と思って、自分をなぐさめ…「ほこ」を納める事多し――。

 ま、とにかく、何事も無くサミットが終わって良かったのですが、それにしても、市街地には、警察官が至る所に…警備の車も数珠つなぎの様に。中心市街地や関連地域は、例えば「石を投げれば警察官にあたる?」。落ちている1円玉も拾えない感じの、何が何だか、うっすらと疲れる緊張感の日々だった様な…。
 そもそも、海外からの多くの要人を迎え、無事にお帰り頂く事は、大変だろうと思ってはいましたが、想像以上に、ものものしく、大変だったと言う所でしょうか。夜中も、警戒のヘリコプターの音が、毎夜、遠くに聞こえておりました。

 ところで、これは、個人的な話で申し訳ありませんが、G7サミットの重要な会議が行われた宇品島の、グランドプリンスホテル高階の、円卓テーブルが置かれたあのスペースは、多分そうだろうと思いますが(あれでも階が違うかも知れませんが?)、実は、私がアナウンサー時代、気に入っていたスペースで、会社が休みで天気が良ければ、時々行っては、食事とお酒を頂きながら、静かなひとりの午後を過ごしていた所です。
 個人的な事と混同して申し訳ないと思いつつ、「私の爺1サミット」の場…嬉しい様な…何と言っていいものか…。そこより眼下に広がる景色は、広島湾の、出船、入船…さらに、その遥かには、遠く霞む瀬戸の島々も一望出来、ひそかなパワースポットでもありました。

 そこからの夕日も綺麗です。たまたま、昔、スマホに残した写真がありました。これは、私が定年退職した翌年、2008年1月のものと、2008年4月のものです。

2008年1月撮影
2008/01/09 17:04
2008年4月撮影
2008/04/04 18:26

 又、この場所で詠んだ拙い句も残していました。

     あふれゐる旅愁港の秋夕焼ゆやけ     ひろし
     冬入陽ふゆいりひ瀬戸へ一太刀ひとたち金のほこ     ひろし
     今日の日よらば冬陽ふゆひへ明日を酌む     ひろし

 何はともあれ、サミットは無事終わりましたが…お疲れ様でした。
 お身体ご自愛ください。                    煙石博

2023年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.5.1(旧暦3.12)今年の5月は・・・ちょっぴり緊張する月・・・?

2023.5.1(旧暦3.12)今年の5月は・・・ちょっぴり緊張する月・・・?

 風薫る5月ですが、今年は様子が違い、青葉若葉が燃える開放的な行楽シーズンに加えて、今年は5月19日(金)~21日(日)に、広島の元宇品町で、G7サミット(主要国首脳会議)が開かれますので、ちょっぴり緊張感のある日々が加わりそうです。

 そう言えば、広島でG7サミットが開かれると言う事で、教育関係では、早くから登園自粛や、臨時休校等が決められたり、他にも色々と、サミットの安全の為の協力体制がシフトされている様です。

 その直接の影響では無いにしても、4月あたりから、平和公園から広島市中心部のメインストリート、本通りの人波の中に、外国からの旅行者がかなり増えていて、G7サミットが広島で開かれると言う事が、或いは、広島へ足を運ぶ、かすかな遠因になっては・・・いないだろう・・・なぁ~等と、思いを遊ばせてみたりするところです。

 メイン会場となる向宇品(むこううじな)は、広島っ子にも、島と言う意識は薄い身近な海辺の海浜ですが、さかのぼると、1893年、明治26年に、眼鏡橋(現在は、よく注意しないと気付かない様な、暁橋・あかつきばし)で、宇品と陸続きになった周囲約3キロ、標高52mの小さな島です。

今では、港、釣場、磯遊びの行楽の場、そして、ロマンあふれる燈台もあって、夕日のベストスポットでもありますが、安芸小富士や、世界文化遺産の地、宮島の弥山等の、瀬戸を望める憩いの場で、日がな潮騒に包まれた景観豊かなアイランドです。
昔、今時分の元宇品で詠んだ拙句ですが・・・。

     山藤の湾一望の高さかな     ひろし

 ところで、この宇品島の由来は、牛がうずくまった姿にも見えるところから、牛の島、牛奈島・・・うじなと言われる様になったと伝えられていますが、薄田(すすきだ)太郎さんの「続々がんす横丁(昭和48年1973年発行)」の中でも、『元宇品は、またの名を向宇品というが、昔は、うっそうとした熱帯植物が茂っていた離れ島であった。

元和5年(1619年)に描かれた安南郡絵図には「牛奈島」と書いてあったという。
・・・広島市史の編者は、次のように書いている・・・想ふに、元和5年の絵図に「牛の島」と書いてあるが、その表現を思うに、この島の形が、あたかも、臥した牛に似ていたために「牛の島」といわれ、それが、転訛して「牛子島」といわれ、さらに「宇治奈島、氏名島、宇品島と文字が変化したものであろう。

・・・ふした牛に似ていたために「牛の島」といわれたのは、比治山の姿が、あたかも虎のふした形に似て、「臥虎山(がこざん)といわれたのと同じタグイである。

・・・元宇品は全島老樹におおわれ、山中に繁茂している熱帯植物は、明治42~3年頃、本多静六博士が発見して、一躍、古代原始林として脚光を浴びたものである。
筆者たちも小学生時代、先生に引率されて、この原始林をたずねた事を思い出す。』とあります。

今でも、この島は、ほとんどが海べりの広葉樹の原生林の森で、全国でもめずらしい、都心近くの国立公園地域に指定されている貴重な地域でもあり、昭和40年頃まで、桟敷が並ぶ「別世界(べっせかい)海水浴場(小さな水族館には、スナメリクジラもいた事があった)」としても、賑わっていた時もありました。

 又、この島の歴史を探って行くと、縄文時代の海食崖(かいしょくがい)や、戦国時代の落ち武者伝説や、秘仏伝説等、興味深い話も残されているところです。

 それにしても、毛利輝元が、広島城を築城し、そのあとの福島正則が、その南に、今の本通りとなった西国街道を作って、城下を発展させる町の基をつくった頃、その南を望んでみると、今の比治山も波に洗われる島で、向宇品となる「牛名島」や「仁保島(黄金山)」も、はるか海の中に霞んで見えていた事でしょう。

 その後、入城した浅野の藩政時代に、海を埋め立てては、土地をひろげ、幕末には、今の宇品の県立広島病院あたりまで埋め立てられて、現在の県病院前の大通りが、水路と土手として残され、弧を描く様に丹那橋の方へ続いていた様です。その土手の桜並木は、桜土手として、多くの人に親しまれていたと聞いています。

 さらに、明治になって、当時の広島県令(県知事)でもあった千田貞暁氏が、さらに南へ埋立地を広げ、そこが、ほぼ、今の宇品町と言われる事となりました。

 そうしてみると、広島は、本当に南へ南へと海を埋立てて発展して来た事をうかがう事も出来ます。

 何はともあれ、広島サミットの成功を祈りますが、今年はG7サミットの為に、例年なら春本番の花の祭りフラワーフェスティバルが、例年より、1ヶ月余り後の6月10日(土)と11日(日)の二日間となっています。
1ヶ月遅れのフラワーステージ、花の顔ぶれが、多少違った祭りとなるかも・・・。

 今回のブログは、G7広島サミットによせて書きましたが、貴重な時間を頂き、ありがとうございました。

 異常気象の為に、本来、穏やかな日本の四季が、ままならぬ状況になっている事も心配するところで、それだけでも、ストレスを感じますが、これに加えて、世の中は、あれや、これや、ただならぬ事ばかりの大変な世の中・・・。何とか、平穏な日々への光が見えて欲しいと願います。お身体ご自愛下さい。

     つ国の戦禍寂しき豆の飯     ひろし

煙石 博

2023年4月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien