怒りの日々「 納得ができません」

2015年11月16日          怒りの日々「 納得ができません」

 私はお金を盗っていないのに、広島地裁・高裁で有罪にされたのは絶対納得ができません。

お金を盗ろうと思う人は、まず、封筒ごと全部盗って、そのまま持って帰ります。また、お金だけを抜いて証拠となる封筒と、誰が忘れたかがすぐにわかる、税金の納付書だけを、記帳台までわざわざ戻って、元あったところに戻したりしません。封筒には指紋もつくし、そんな証拠を残して帰りません。

 実際に封筒や納付書にも私の指紋はついていません。銀行ロビーは狭いロビーで、客も町内会の人が、目と鼻の先という至近距離で店内にいたし、銀行員も十数人いて、こちら向きに仕事をしている人も多く、衆人環視の中で6万6600円ものお金はとれません。さらに、店内には防犯カメラがあちこちについているようで、それがどこについているか分からないし、目立たないところにも防犯カメラはあるだろうと思うので、お金はとれません。しかも防犯カメラの映像には私がお金をとっている映像は、全くありません。

証拠がないのに地裁・高裁で有罪にされたのは絶対納得ができません。日本国憲法の「基本的人権の尊重」を守れない人達に「私の人権を返せ!私の人生を返せ!」と叫びたい毎日です。

 ところで、そんな悔しさ・怒りを背負って、3年前の10月11日より時間は止まったまま、今年も11月2日に誕生日を迎えました。

そういえば30歳前後の事をアラサーとか、40歳前後の事をアラフォーと言っていたのはいつの頃だったか・・・最近は、そんな言葉を聞かなくなりました。アラサー・アラフォーなどと言っていた時代は、私が定年前の還暦まぢかの頃だったような・・・そういえば、その頃「アラサー・アラフォーに負けない。私はアラカン!!嵐寛寿郎ではない。還暦まぢかのアラカンです。」と放送で喋っていました。

今年、誕生日を迎えて、嘘じゃろう69歳、古稀が近い・・・つまり「アラ古稀」?・・・じゃぁ、いまひとつおさまりがよくないかなぁ。

歳はとりたくない。そうだ、私には、誕生日はもう無いと思おう・・・。年に一度の誕生日からは逃げるが勝ち。それよりも、朝、目覚めた時が誕生、そして1日を生きる「一日一生」。 夕べには、今日の日に感謝して酒を酌もう。「一日一升」? いやいや「一日一生」今日の日に感謝。合掌。

 秋深し隣も酒を酌む人ぞ       ひろし   ?どこかで聞いたような 

 覚え無き罪背負はされ神の留守    ひろし

 風に立つ我へ怒涛の鰯雲       ひろし