2021年1月1日 牛根性・モウ根性 黎明の富士に始まる初暦 ひろし
新しき年の始めに…、と書き始めて、ふと思うのですが、考えてみると、何が新しいのか、昨日も今日も、そして明日も、同じ毎日が続いて行くだけの事であり、それを人が作った暦で『新年』と押し付けられても、新しくも何とも無い…とは思いますが、1日の始まりは、お天道様が昇る処から始まって、その日を無事過ごさせて頂き、そのお天道様が、必ず沈む事によって、とりあえず1日の終わりを教えられる訳です。
それがなければ、それこそ、ひとりの人間が眠る事無く、ず~っと起き続け…働かされるとなると、これは、たまらない。日が昇り、日が沈むと言う、大きな自然の摂理の中に日々生かされていると言うお陰を感じ、その日々の積み重ねの先にある365日と言う1年の括りは、生きている限り、前に向かって歩いて行く為の一里塚の様なものか…。
しばしば、引用されますが、時代変わっても、今の私共に思いが伝わって来る、一休禅師の狂歌と、高浜虚子の俳句が思い出されます。
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 一休
何はともあれ、新しい年を迎え、明けましておめでとうございます。
昨年は、本当に、コロナに振り回された1年でしたが、今年は、何とか早くこれを乗り越えて、平穏な日常が戻って来る事を望むばかりです。
昔、若い人達が、「あけましておめでとうございます」を「あけおめ」と、つづめて使って、その言葉が一時とびかった事があったのも…遠い昔の話になりますが、定着しなかった様で…。 私は、昔、逢う人ごとに「あけましておめでとうございます」と言うお決まりの挨拶に疲れ…「あけましておめでとうございます」と挨拶された方へ、その人の気を引こうと、「あけたら…閉めてください」と返して、相手の冷たいリアクションを、ひとり楽しんでいた事もありました。
ところで、今年は丑年。今では「子・丑・寅…」の、十二支を言えない若者も多くなっている様でもあり、丑年だからどうと言うものではありませんが、この十二支の干支が、毎年変わるので、変わり映えのしない新年が「今年は丑年かぁ…。」と、何となく、心新たに迎える一年の始まりを意識させられるようでもあります。
只、干支は社会生活に関係ないので、すぐに、今年の干支が何だったか忘れてしまって、「今年の干支は何でしたかねぇ。」と聞かれて、
余談ですが、昔々、街角の易者の、「丑年生まれの人は~、辛抱強く、根気よく、言葉少なく、信用もあり、スローに過ぎるが玉にキズなり。牛根性、モウ根性、テコでも動かないのが丑年生まれの人~」という口上を思い出す私は、やはり、「古いヤツ…ですなぁ~」
それにしても大変な正月になったもんで、色々、自粛要請に従ったコロナ禍の正月ではありますが、考えてみますと、正月も時代と共に姿を変えて来ました。
昭和21年(1946年)生まれの私が子供の頃は、戦後の貧しい時代でしたから、日々の食事も本当に貧しいもので、ご馳走を食べるのは、盆と正月くらいなものでした。
ですから、正月は、おふくろが作った質素なおせちでしたが、それは、非日常の、晴れの大ご馳走…。のちに、それを経験しているお年寄り…は、「今頃は、毎日、盆と正月が来た様なご馳走を食うとる」と言っていました。また、正月の3日、肉の少ないスキヤキでしたが、『スキヤキ』が出た時には、飛び上らんばかりのご馳走でした。
又、正月がレジャー化し始めたのは、のちの高度成長期からだった様な…。それまでは、家か近場で、静かに過ごす正月で、たまに、1月3日に映画に連れて行ってもらった記憶があります。
ともかくも、今年は、コロナを意識しての不自由な正月ではありますが、ふと『寝正月』という言葉を思い出しました。思い返してみると、昔の新年は、自らをリセットして、心新たに「1年の計は、元旦にあり!」と、年ごとに、再出発を心掛けようとする正月でもあったような。しかし、時代変わって、長らくレジャー化し、慌ただしく賑やかな正月に慣れてきましたので、ここで「寝正月」と言うと、懐かしく古めかしい正月スタイルの様にも感じる処です。 「地獄極楽は心にあり」…心の持ち方ひとつ…心の持ちようで、古典的な?『寝正月』もまた、至福の新年。佳き一年のはじめとしたいものです。 「1年の計は、元旦にあり!」何か懐かしい言葉、と思う方は、いらっしゃいませんか。今や「1年の計は…簡単である!?」
酔余の句です。
酒あらば鬼に金棒寝正月 ひろし
父母も猫も祖父母も寝正月 ひろし
朝酒の
※「食べてすぐ寝ると牛になるよ~(笑)」と、子供の頃、よく言われませんでしたか?
丑年で思い出しましたが、こんな狂歌もあったような…。
この世をば
ニュース
●『日刊ゲンダイ』の紙面で、私の冤罪事件が、今のところ予定ですが、1月9日(土)と、翌週1月16日(土)、前・後2回にわたって記事になる予定です。(ひょっとすると、少し後になるかも知れませんが)
●私の冤罪を、記事で支援して下さった『冤罪File』、しばらく店頭に出てなくて、心配していましたが、昨年の年末に、本屋さんで、よく調べて頂きましたところ、1月末に、次号が出る予定と分かりました。ペンの力を期待しています。
最後になりますが、新年の私の年賀状を掲載いたします。
今年は、人類の叡智を集め、何としてもコロナを乗り越え、平穏な世界が戻って欲しいと祈るばかりです。

今年は、人類の叡智を集め、何としてもコロナを乗り越え、平穏な世界が戻って欲しいと祈るばかりです。