2021.4.1 ふるいけや・・・「銀輪は父の形見や楠若葉」

2021.4.1 ふるいけや・・・「銀輪は父の形見や楠若葉」

 世の中は相変わらずコロナ禍の混乱の中にあって、昔の様に、何とか穏やかな日常のライフスタイルを取り戻せないものかという、いらだちや、不安が募る日々が続いている様です。

 こんな中で、私事の66,600円の冤罪事件の事は、もう過去の出来事といいますか、風に吹かれた一本の毛の様な…。その昔、松尾芭蕉が詠んだ「古池や蛙飛び込む水の音」と言う俳句がありましたが、私の頭の中では「古い毛や風に吹かれて飛んでった」…、嗚呼…むなしい寂しいと言う思いです。

 そんな思いの中で、先日、家内と二人で、お昼にタクシーに乗りました。
 私が「近い所で申し訳ないのですが〇〇までお願いします。」と言うと、運転手さんは「いえいえ、どんなに近くても乗って頂けるだけで有り難いです。」と即答されました。「…あっ、そうか。長いコロナ禍の中で、タクシー業界も乗客が激減して、苦しい状態なんだ。」と、ハッとした事です。
 しばらく間があって「煙石さんでしょ?」「はい、そうです。」と答えると、「煙石さんの放送、いつも愉しませてもらっていました。」と言う話から…「それにしても、煙石さんは、本当にひどい目にあわれましたね。」という話の流れになって、私は、たまたま乗った乗客ではなく、あってはいけない66,600円の冤罪窃盗事件の真実を訴える語り部と相成りました。

 本当に、今思い起こしても、許せない出来事で、これは、私だけの問題ではない。他人事(ひとごと)にしてはいけない。明日、誰の身にでも降りかかって来る、とんでもない事だったんだと、改めて思います。

 思えば、私が、銀行の小さなローカル支店の狭いロビーで、封筒の中に入っていたとされた66,600円を盗ったとされた時、取り調べもされていないのに、テレビは、当日夕方と翌日、新聞は翌日。マスコミ各社は、警察発表をそのまま報じ、あえて『私達』、としますが、家族も親族も…私の知人、友人も、大変な人権被害や迷惑をこうむりました。のちに、当時の新聞記事を見ると、大きな見出しで、「中国放送元アナ銀行で置き引き」「元中国放送アナ置引容疑で逮捕」「中国放送元アナ 置き引き容疑」等と、記事にされており、「置き引き」と言う、何か妙な懐かしさを覚える用語と言うか、時代がかった用語に出合って、改めて辞書を開いてみました。

  置き引き → 待合室などで、置いてある他人の荷物を盗み去る事。
         置いてある他人の荷物をこっそりと、持ち逃げする事。

とあります。

 えらい体験をした私の気持ちから言えば、信用と信頼は充分あったつもりの私であっても、ひと度、マスコミに報じられると、もうダメです。
 マスコミにお願いするとしたら、事件報道の際には、警察発表をそのまま報じるのではなく、自らの足で取材を重ね、ウラを取り、出来る限り真実に近づいた内容を報じて欲しいと思います。特に私のような事件に関しては、その後の取材結果を伝え、裁判になれば、その裁判の経過を正しく伝えていく事も必要であるとも思います。
 そして、万が一、その報道が冤罪であれば、その被害者の人権回復に責任をもって頂く事も必要ではないかと、お願いを込めて…思っております。

 ところで、私の過去のブログ「2020.12.1 出汐町、比治山 そして旧陸軍被服支廠の事など…(記事はこちら→クリック)」や「2021.2.1 あの楠は歴史の語り部だった事(記事はこちら→クリック)」で取り上げた、楠と被服支廠をウオーキングの途中、写真に撮りました。



■1枚目の写真は、戦後残った旧陸軍被服支廠です。
 県立広島工業高校正門の右横より撮影。

◎写真の奥、向こうまで3棟、さらに、そこより、東へ2棟あります。
◎被服支廠の正門は、写真の建物手前、こちら側の右横あたりでした。




■2枚目の写真は、奥は県立広島工業高校の正門です。
 県立広島皆実高校正門へ向かう共同通学路の入り口より撮影。

◎写真の奥、突き当りに県工の正門とキャンパスがあって、そこから更に左に向かうと、皆実高校の正門とキャンパスがあります。
◎ここに写っている残された大きな楠は、戦後しばらく3本あって、今は向こう側の一本が伐られて、2本になっていますが、この楠の辺りに被爆前、皆実神社、伊勢神宮の分祠があって、その境内にあった神木の楠の様です。

※楠の左下に停めてある銀輪は、私の愛車(自転車)です。私の父の形見の自転車です。
◎右手奥に旧陸軍被服支廠の屋根が見えます。そして、右の白いフェンスの右向こう(表通りに面した位置)が、新しい広島県警南警察署となる用地です。

 フェンスに取り付けてあった建築計画のお知らせ表示板には「着工予定・令和3年11月。完了予定・令和5年7月31日」とあって「地上5階、地下1階 新築その他工事」とありました。ふと思うに、新しい署庁にも、勿論、私が28日不当勾留されていた、嫌だった留置場も、何処かにつくられると言う事でしょう…。

 思い出したくもない留置場での記憶は、以前『2016.11.15 思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記  孤独と恐怖の留置場』のブログから、『2017.4.13 思い出せば怒り!その10 四畳半独房記 続 驚きの信じられない検察の対応』まで、として、7回にわたって書き留めておりますが、他にも、その時の非日常の世界の、おかしな体験を、近いうちに、もう少し書き残したいと思っております。

↓ ↓ ↓ 四畳半独房記 その4~その10はコチラです。 ↓ ↓ ↓

2016.11.15 思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記
http://enseki.noor.jp/?p=2794 ← をクリック

2016年12月1日  思い出せば・・・怒り!その5 四畳半独房記 不安は増すばかり!!
http://enseki.noor.jp/?p=2809 ← をクリック

2017年1月15日  思い出せば・・・怒り! その6四畳半独房記 長い一日
http://enseki.noor.jp/?p=2934 ← をクリック

2017年1月27日  思い出せば・怒り! その7『四畳半独房記』 取り調べではない恐怖の自白の強要
http://enseki.noor.jp/?p=2945 ← をクリック

2017年4月3日 思い出せば・怒り! その8四畳半独房記 続:恐怖の取り調べ
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2017年4月8日 思い出せば・怒り! その9四畳半独房記 驚きの信じられない検察の対応
http://enseki.noor.jp/?p=3328 ← をクリック

2017.4.13 思い出せば怒り!その10 四畳半独房記
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 ところで、こちら西日本では、この冬は暖冬で、2月半ば頃からの早春よりこれまで、早くから暖かい日が多く、例年の様な季節の移ろいが急ぎ足で春本番へ向かった様な気がします。

   ウイルスの不安の空を燕來る   ひろし

 長い間、俳人の目で季節の移ろいを観察して来た私も、これらの事に、いささか、とまどっておりますが、桜の開花も随分早く、広島が3月11日と、全国で一番早く、観測史上2番目に早い開花となりました。そんな、急ぎ足の季節の移ろいのせいかどうか、春先からの、水仙、梅、椿、白木蓮、桃、馬酔木(あせび)、桜、山吹、等々…例年なら、それぞれ、咲く順番が何となくあって、それに従う様に咲いて、季節が進んで行くのが見えていましたが、今年は、ほとんどの花々が、例年の様な開花の順ではなく、そんな順とは関係なく、それぞれが、懸命に、「早く咲き始め、あわただしく花を散らして仕舞ったような」異様な感じすらしました。
 これは、私の、一人よがりの観察結果であれば…申し訳ありませんが…。
 とに角、「咲き急ぎ、散り急いで来た」様な気がしています。

 そんな、季節の移ろいの中にあって、私共人間も、知らない内に、心身共にバランスを崩していく事もありうるのではないかと憂慮しています。
 終息の見えないコロナ禍の不安や、イライラ、ストレスも重なっています。呉々も、お身体ご自愛、ご大切になさって下さい。

※今年も、広島市南区の花の山比治山と、桜吹雪の中の冨士見展望台にある正岡子規の「鶯の口の先なり三萬戸」の句碑を訪ね、毎年、立ち寄るのですが、陸軍墓地にお参りさせて頂きました
拙句ですが、

   花の冷え散りし兵士の墓数多あまた   ひろし
   花万朶はなばんだ五濁ごじょく悪世あくせの淵へ喝     ひろし

煙石 博

2021年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien