思い出せば・怒り! その7四畳半独房記 取り調べではない恐怖の自白の強要

2017年1月27日
    思い出せば・怒り! その7『四畳半独房記』 取り調べではない恐怖の自白の強要   必読!!

    10月14日(日)・15日(月)・16日(火)の取り調べ・・・
     
 不安な気持ちで向かった広島地検での「弁解申し立て(※)」。お金を盗っていない事を正直に話したにも関わらず勾留が言い渡され、南署で取り調べが始まった。以下は強烈に記憶に刻まれた言葉などを綴ったものです。
(※「弁解申し立て」…既に窃盗犯として逮捕されている為、それを反論するもの)

A刑事は100枚くらいの綴じ込みをぺらぺら早めくりしながら、「私は証拠をもっている。」と言ったり、「あなたは、絶対にやっている。防犯カメラの映像にも映っている。」と何度も強調して言ったりした。私はお金を盗っていないので、「それなら、その証拠という映像を見せてくれ。」と再三強く主張したが、「見せるわけにはいかない。」の一点張り。
そしてA刑事は、初めから私を犯人と決めつけて、私がお金を盗っていないのに、刑事が作った『こうしてお金をとったのではないか』という推測・思い込みで強引に話を進めた。私をどうしても犯人にしようとしている強い意志を感じ、すくみ上がる恐怖を覚えた。

「防犯カメラの映像に全部映っとる!!」
「証拠はあるんじゃ!! 防犯カメラの映像には誰が見てもお前が金を盗っているところが映っとる!!」
「お前がやった事を認めなかったら、裁判になって、法廷で防犯カメラの映像をみんなで見て、その防犯カメラの映像がニュースで流されてお前は恥をかくんじゃ!!」
それらに加えて「防犯カメラの映像は、おいおいみんなで見る。」とも言ったので、「じゃあ今すぐ、それなりの者が集まって、防犯カメラの映像を解析すれば、私が盗っていないということがわかるから、裁判の時間も人手もいらないし、こんな取り調べも無駄です。」と言うと「防犯カメラの証拠は最後に見せる。あなたは犯人。」と決めつけて自信たっぷりに言う。
おかしな話だ。私は盗ってもいないのに犯人と決めつけられて、そんな馬鹿な話はない。

そうかと思うと「金を盗ったと認めれば、ここをすぐに出られる。窃盗は大したことではない。初犯だから刑も軽い。人の噂も75日、みんなすぐ忘れる。すぐに社会復帰できる。」と自白を誘導した。
私がお金を盗っていない事を主張すると、「聞くだけ聞いてやる。勝手に言いなさい。」と言って聞き流し、「それだけ言いたいことを言うたら、ちいたあ(少しは)すっきりしたろう。お前はうそを言うとる。(言っている)」と言って調書にその事を全く書いてくれなかった。
さらには、「マスコミが報道したから、世間は、みんなお前を窃盗犯だと思っているんだ!!」「お前は頭がおかしいと思われるよ。」と何度も言ったり、机を叩いたりすごんだりして自白を強要された。
当日の記憶がほとんどない中で、何度も何度も「防犯カメラの映像に映っている」と言われると、変なもので、……まさか映っていたらどうしよう……と不安になり、恐ろしく心配になってくる。妙な心理になっていく。
(後に裁判になって、防犯カメラの映像に、私がお金を盗っている映像はなかった。また、専門の鑑定会社の鑑定で、私が封筒に触れていない事が明らかになり、それが証拠として採用された。)

私は、『お金だけ盗って、書類と封筒だけをわざわざ元の記帳台に戻した』という(刑事の)犯行ストーリーはおかしいので、「私が泥棒だったら、封筒ごと残らず盗んで帰る。」と反論した。更に「私はやっていない。」「私は盗っていない。」と、のどがかれるほど興奮して訴えた。しかしA刑事 は「防犯カメラの映像があるんじゃ!」「証拠があるんじゃ!」などと大声でおどし、強く机を叩き、ぐっと顔を近づけてにらみ、時にはすごみ……。常人では考えられない形相で迫る取り調べが続いた。非常にこわかった。
取り調べのあった夜は、恐怖と不安で辛く、ほとんど眠れなかった。

※机を叩いて自白を強要した事を弁護士に伝えると、「現在はそういった取り調べを行なってはいけない」と言い、多分申し入れて下さったのでしょうか、次の取り調べから机を叩いたりはしなくなったが、大声や態度などで威嚇しながらの自白の強要は続いた。とにかく私からみると、最初から私を犯人と決めつけ、恫喝し、高圧的でこちらの話を聞かない、無茶苦茶で、取り調べとは言えない取り調べだった。
・・・続く・・・                            煙石博

2017年1月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

とんど

2017年1月17日                  とんど

 私を応援して下さってる方から「うちのとんどに来んさい。青竹でわかした縁起のええお酒もあるよ。」と誘われ、参加を約束しました。ところが、1月15日(日)は、深夜から降り始めた雪で、朝は広島市内も珍しい積雪。激しい雪が尚も降り続く中で、参加する事となりました。
 激しく雪が降り続き、雪国のとんどのような景色となりましたが、子どもたちは元気いっぱいです。
とんどの竹組は、歳時記にのっているような華やかな風情あるもので、点火するのは、子どもたちですが、私も点火役の一人に加えてもらいました。会場には、町内会のみなさん手作りのお店が出て、子連れ、孫連れのアットホ-ムな暖かい雰囲気の中、今年の幸せを願う、心ひとつのとんど祭りは、雪も寒さも忘れさせてくれました。

   集いたるとんどに人の輪心の輪           ひろし

   雪冤(せつえん)を焔(ほのお)と雪の大とんど      ひろし
    (※雪冤・・・無実の罪をすすぎ、潔白であることを明らかにすること)

 左利き(酒のみ)に嬉しいのが、大人気のとんどのお酒。お酒を入れた真竹をとんどにくべて、燗をしたお酒を青竹のぐい飲みでいただきました。

   残り火のとんど仕合わせ来るような         ひろし

 会場にも子どもたちが大はしゃぎでつくった雪だるまがありました。

   雪冤(せつえん)を総身(そうしん)に我(われ)雪だるま  ひろし

 祭りの最後に子どもたちが思っている言葉を叫ぶ大声大会がありましたが、子どもたちは、ステージの上のマイクに向かって「雪、サイコー!!」とか「お酒を飲むおかあさん、いいかげんにしてー!!」などなど叫んで、寒さをふきとばしてくれました。そばにいた方が、「孫に毎年参加させるようにしています。人前で恥ずかしがったり、引っ込み思案ではいけない。子どもの時から人前でも堂々と話せるようになってほしいと思って、毎年参加させているんです。」その方のお孫さんは、かわいいお嬢ちゃんで、マイクに向かって堂々と「おかあさん大好きー!!」と叫びました。その方がぽつりとひとこと、「おじいちゃん大好き、言うてくれんかったのう・・・。」

 とんどの火が燃え盛って、青竹でわかしたお酒を酌み交わし始めた頃、雪もやんで青空がのぞき、穏やかな陽射しが・・・よい兆しがあるような・・・ほのぼの盛大なとんど祭りでした。
帰り道、酒屋さんの前にも雪だるまがありました。ちょっぴり傾いた、傾き加減がどこかおかしく、茶目っ気を感じるかわいい雪だるまでした。

   酒屋にも少し傾(かし)げる雪だるま         ひろし

煙石 博

2017年1月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

思い出せば・・・怒り! その6四畳半独房記 長い一日

2017年1月15日  思い出せば・・・怒り! その6四畳半独房記 長い一日  必読!!

 

2012年10月13日(土)
※土日は面会がない為、筆記用具が届いていなかったので、以下の事は、月曜日に届いたメモ帳に、午後、思い出しながらメモしたものです。

前日の12日(金)の夕方、明日、広島地検での取り調べの為に南署を出る時の恰好(顔を隠す布と手錠を隠す布)をどうするか決めておくように言われ、テレビでよく見るシーンが思い浮かびました。やってもないのに犯罪者の様に報道される事が不安で、一晩中あれこれ考えましたが、朝になっても結論が出ませんでした。
朝9時前、広島地検へ護送される数人が鉄格子の前に並んだ時、ふと「私はお金を盗っていないのだから、顔や手錠を隠すのはかえっておかしいのではないか。」と我に返り、「顔や手錠を隠さないで堂々と出た方がいい。」と、その時、決断しました。
しばらくすると、看守が隠す布をどうするかと聞いたので、「いりません。」と答えて、留置場を出て護送車へ向かいました。ところが予想に反して、マスコミは一社もいませんでした。不安で一晩眠れないほど悩んだのは何だったんだろう・・・と奇妙な安堵をしました。しかし、これから向かう広島地検の前で、マスコミのフラッシュ攻撃にあうのだろうかと、さらに心配になりました。
南署から朝9時に護送車に乗せられ、上八丁堀の広島地検に向かいましたが、広島地検の前にもマスコミは一社もいませんでした。

護送車は広島地検の裏手の地下へ車ごと入り、5部屋くらいある鉄格子の待合室の一番奥の部屋に手錠を外されて入れられました。待合室は4人がけの椅子と、トイレがあるだけの部屋でした。
そこで随分待たされ、他の人は次々呼ばれていくのに、私はお昼の弁当が配られても、いつまで待っても呼ばれませんでした。いつ呼ばれても良いように弁当を食べずにいましたが、1時を過ぎた頃、食べるのを控えていた弁当を食べかけた時、やっと「13号」と私の番号が呼ばれました。

再び手錠をかけられ、上階のMという女性担当官の部屋に連れて行かれ、「自分の窃盗罪について反論せよ」という“弁解申し立て”をしました。
「逮捕に来た刑事から、私は広銀大河支店で、前の人が記帳台に置き忘れた封筒から、現金を抜いて盗ったと言われましたが、お金を盗ってはいません。ただ、私には見せてくれないのですが、刑事に何回も防犯カメラの映像に盗っている証拠がある、と言われましたので、ひょっとしたら封筒を見たかもしれませんが、その記憶はありません。しかし、私は絶対にお金を盗ってはいません。」などと答えたように思います。

女性担当官への弁解申し立てが終わってからも、随分待たされました。夕方5時頃になり再び護送車に乗せられ、今度は広島地検の隣にある裁判所へ連れて行かれ、一階の部屋で、またしばらく待たされました。その後、F裁判官がやって来て、「被害者への反論はこれでいいですか。」と確認され、拇印を押しました。それから、勾留の注意が書いてある部屋でまたしばらく待たされた後、10日間の勾留を言い渡されました。
私は女性担当官へお金を盗っていない事を正直に話したのですが、私の言い分が全く聞いてもらえなかった事に納得がいかず、大きなショックを受けました。

連日の不眠と、朝から広島地検に行き、重苦しい緊張と不安の中で、長時間待たされた上、正直に申し立てをしたのに、それが伝わらないという結果、心身ともにくたくたになりました。南署へ戻ってきたのは確か夜8時頃。5時に渡される弁当を差し出され、箸をのばしましたが、お金を盗んでもいないのに、窃盗の濡れ衣をわかってもらえない悔しさと、これからの不安が一杯で、食事はのどを通りませんでした。
長く・・・とても長く感じた一日でした。   ・・・続く・・・

煙石 博

2017年1月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

明けましておめでとうございます

2017年1月1日      明けましておめでとうございます

皆様のご支援のお陰で、最高裁で2月17日に弁護士による弁論のチャンスを頂きました。
年賀状では、多くの方から励ましの添え書きを頂き、心強く思っております。
年賀状の添え書きの一部をご紹介します。

〇冤罪と闘う君に最高裁が弁論期日を指定しました。無罪を勝ちとる為、僕にも「挑む年」となりそうです。
〇この世には神も佛もおいでになりました。正義は勝つ。朗報を待っています。
〇私の母がニュースを見て連絡くれました。最高裁から弁論の通知が来て本当に良かったです。こんなに待たせるんですね。無罪になると信じています!!
〇光が差してきて、嬉しいです。でも、まだまだ、お体を大切にして大事な日に備えて下さい。応援しています。
〇やっとやっとのお知らせですね。Nさんといつも「煙石さんと美味しいお酒を飲みましょう」と話しています。今年こそは!!
〇あともう一歩。頑張ってください!
〇雪冤の年。頑張りましょう。
〇あなたにはまだ「おめでとう」が言える時ではないと思い、賀状は控えます。春になって本当に「おめでとう」が言える時が来るよう切に祈っています。
〇早く『冤罪の晴れて輝く初御空』となりますように。
その他にも多くの皆様から、励ましのお言葉を頂き、ありがとうございました。

今年は酉年。4年にわたる辛い日々を耐えてきましたが、早く冤罪という辛い鳥籠から解き放ってほしいと願うばかりです。今後の展開を期待して下さっている言葉をいくつか頂いてますが、無罪が確定された訳ではありません。無罪を勝ちとるまで頑張りますので、ご支援下さいますようお願いします。

   雪冤をただ一心に初詣     ひろし
   心願を胸にごくりと寒の水   ひろし    

煙石 博

2017年1月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien