2023.4.1(旧暦2月11日)秘話…演歌「比治山慕情」は、この茶店から…。

2023.4.1(旧暦2月11日)秘話…演歌「比治山慕情」は、この茶店から…。
 春爛漫となる4月。百花繚乱花開く季節を代表する花のひとつが、日本人の感性を呼び覚ます桜でしょうが、桜に出逢うと、いつもながら、「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」を実感するところです。
 桜と言えば花見…。忘れる事が出来ない花見は…6年前の2017年3月10日、最高裁で、滅多に出さない無罪判決を勝ち取れ、冤罪が晴れた、その4月。TV局の取材に応じ、広島の花見どころ比治山の、市街を一望出来る富士見展望台での花見です。
 その時の拙句ですが…。

     雪冤せつえんの空を気儘きままに花吹雪く    ひろし
     雪冤の落花は眩ししみなく   ひろし

 思えば、私に冤罪が降り掛かって来たのは、2012年10月11日の朝、広島県警南警察署の2人の刑事に、突然、不当逮捕された事でした。その後、南署の留置場に、28日間勾留され、自白を強要されましたが、無実を訴えて、広島地裁で1年、広島高裁で1年の法廷闘争を闘うも、多くの皆様のご支援を頂きながら、確たる証拠も無いのに、懲役1年、執行猶予3年の、よもやの有罪判決を受けました。
 さらに、最高裁での2年5ヵ月の苦しい日々は、支援して下さった皆様のお蔭で、繁華街でのマイクを通しての無実の訴えや、ビラ配り、また、署名活動にも、ご協力頂き、署名は短期間に1万人にも及びました。それも、これも、改めて皆様のご支援に心からお礼を申し上げるばかりです。
 ところで、広島の桜の名所でもある比治山公園には、東側の段原側から、スカイウォークで上る事が出来ますが、そのエスカレーターで上がった所に、「ウグイス茶屋」が(長く閉店したままになっていましたが)取り壊されて、さら地にされました。

 そこから石段を少し上がった広場(トイレと駐車場がある場所)にあった「ひかり茶屋」も、お店のお婆さんが亡くなられたあと、長らくそのままになっていましたが、そこも取り壊され、さら地にされて、すっかり様子が変わってしまいました。

 この比治山には、私の家から近い事もあって、若い頃から、四季を問わず、心の安らぎを求めて訪ねておりましたが、帰り道には、よく茶店によって、お酒をいただきながら、風流を愉しんでいました。その「ひかり茶屋」のお婆さんにも親しくして頂きましたが(その昔は、お爺さんも店を手伝っていらっしゃいました)。
実は、私が作詞をした演歌の「比治山慕情」(作曲は佐伯金次郎さん。歌手は新宅美奈子さん)の詩は、この茶店から生まれたものなんです。
そのお婆さんの「ひかり茶屋」は、スカイウォークのエスカレーターを上り切った所にあった「うぐいす茶屋」の上にありましたので、「ひかり茶屋」の外テーブルの奥まった席からは、下の「うぐいす茶屋」に幾つかある外テーブルを見下ろす事が出来ました。
花吹雪く頃は、時々、この下を見下ろせる席で、こちらから散った花びらが、下の広場へ吹雪いてゆく風情に、ひとりとて、「一杯(いっぱい)一杯、復(また)一杯…。」

その日は、花の時季を少し過ぎたウイークデーで、花見客が少なく、落花盛りの昼下がりでした。
静かに一杯やろうと、下の茶店を見下ろすテーブルに座って…花吹雪の行く先を見ると…目に留まったのが、訳ありげな、語り合うカップル。娘さんと、格好良さそうな中年の男性の様でしたが、2人の間には、微妙な歳の差…。何を話しているのか判りませんが、やっかみたくなる様な、羨ましい雰囲気は伝わって来るのです。
 散りゆく桜は、時を惜しむ様に、下の広場の方へ花吹雪いて止みません。桜吹雪は、この2人を、まるで宝塚の主役の如く演出しているかにも見えましたが、しばらくして…この2人は、桜が吹雪く中を、手を繋いで消えて行きました。
 その時、この2人のシーンから浮かんで来たのが、比治山慕情の一番にある「♪しのび逢うほど、別れがつらい、すすり泣くよな花吹雪~♪」
 セリフ「あんたとうちゃ~(わしゃ~)、橋の欄干みたいなもんじゃ。なんぼー待っても1つにゃぁなれんのよねぇ(のんじゃ)」
 …今でも甘い記憶として焼き付いているのですが、あの2人は、どういう関係だったのか、時の流れは、この2人の行く末をどうしたものか、知る由もありません。
 茶店もなくなってしまいましたが、遠霞みながらも、甘い記憶に残っているワンシーンです。

 のちに、広島の川と橋を絵に残された絵描きさんが、「広島の川と橋のある風景で、一番絵になる場所は、比治山を借景にした京橋川ではないか」と、話していらっしゃいましたが、京橋川に架かる京橋は、その昔は、京の都へ、のちに、江戸時代は西国街道の広島城下の出入り口…その下流に架かっているのは、柳橋(うなぎ料理店「こだに」さんのところに架かっている橋)で、この橋は、車は走れない、人だけ通れる小さな粋な橋です。そして、さらにその下流には、江戸時代に、鶴番小屋があったらしいので名付けられた「鶴見橋」。
 それぞれ、橋の名にも風情がありますが、それらが、演歌「比治山慕情」の舞台です。
「比治山慕情」は、「JOY SOUND」等のカラオケに入っていますので、歌われなくとも、リクエストして頂ければ、私に、2円か、3円の、ささやかな印税が入ります。宜しくリクエストをお願い致します。

 広島は水の都…比治山の展望台より生まれた句です。

     広島の百橋見ゆる花の山   ひろし

 ※四畳半独房日記は、次号にて…。
 お体ご自愛ください。                     煙石 博

2023年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien