2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

2023.7.1(旧暦5月14日)「気になる異常気象」。

 暦は早くも、今年の半分を越えて、一年の後半の日々を数える事となりましたが、7月前半の日本列島、九州・四国・本州地方は、梅雨末期の雨を覚悟の時期を越えなければなりません。特に最近は、降り出す雨が線状降水帯とやらで、度々、水禍をもたらしますので、そんな事にならない事を祈ります。

 旧暦の暦に、立春、啓蟄、立夏、等の二十四節気に加えて、節分、八十八夜、入梅、彼岸、等の雑節(七十二候)と言われる暦日(れきじつ)が記されていますが、その中のひとつに、半夏生(はんげしょう)と言うのがあります。
 語源は、半夏(はんげ)・カラスビシャクと言う、畑等に生える多年草の雑草(漢方にも使われる様ですが)が盛んに生える時期から来ているもので、今年は7月2日(日)です。

ハンゲショウ(『山野草たちの歳時記』より)

 この時期は、梅雨の末期に入り、雨に用心という意味が込められた暦日で、この日の雨は、半夏雨(はんげあめ)と言われ、大雨になると言われておりました。この時期の雨は、大水をもたらすので、注意もしなさいと言う、昔の知恵が込められているのが、この半夏生だと思います。

 ところで異常気象と言われる様になって随分になりますが、異常ならば、その内正常な気象へ少しずつ戻るかと言えば、どうも、その景色には程遠くなり続けて、むしろ、私共の常識を越える様な異常気象が起き続け、その被害が出ることも度々・・・異常気象が居座り、自然災害への不安が高まったままの昨今となって仕舞った様な感じすらします。

     憂ひ事あるやにバナナ湾曲す     ひろし

 そもそも、このままならない異常気象の始まりを振り返ってみると、数年前に私のこのブログでも書いた記憶がありますが、10数年前、2011年3月11日の、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だと思います。
 と言いますのは、長い間、俳人としても生きて来たつもりの私の自然観察メモを見直してみると、2009年までのメモには、自然による大災害は、時折り発生する程度で、大きな異常気象を意識する程のメモは残しておりませんが、東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年と言う年は、大変異常な気候を体験した年だった事を敢えて記入しておりました。
その2010年の私のメモを見ると、「気候不順の一年・・・残暑がいつまでも続き、秋が無く、一度に冬が来た様な気候・・・」と敢えてメモしています。そして、「2010年は、秋の無い年・・・。12月に入っても奇妙に暖かい日が続く」とも記しています。

 又、俳誌でも目にとまった様で、当時、まだ、ご存命だった俳句結社ホトトギスの名誉主宰、稲畑汀子先生が、2011年の1月号の誌面最後の消息欄に、「新年明けましておめでとうございます。平成二十三年一月号をお届け致します。~昨年(2010年)は、思いがけなく大事な方々が亡くなるという事があり、また気候の不順な年でございました。残暑の厳しかった日々が過ぎると、忽ち(たちまち)秋を通り越して一度に冬がやって来たような状態で、体調がそれに付いていけないような方も多かったようでございます。~。」と、気候の異常を特筆されていた文面を、私の俳句メモに記録しておりました。

 思い返してみると、こんな異常気象の始まりは、あの東日本大地震・津波が起きた前の年、2010年だった・・・ように思えます。

 とに角、この2010年から今に至るまで、異常気象は進み続け、それが日常の様にもなって仕舞っている様です。

 ふと、思いますに、「春夏秋冬」の優しい季節の移ろいの中で暮らして来た私共ですから、今の、自然の怒りの様な過酷な気候に晒(さら)され続けている事は、知らないうちに、何らかの精神的ストレスが溜(た)まり続けているのでは・・・と、心配したりも致します。呉々も、お体ご自愛下さいます様にと思います。

     老骨へ豪速球の猛暑来ぬ     ひろし

 最後に、私も時々自転車で通りますが、新しい広島県警南警察署(広島市南区出汐町に移る)が、ほぼ出来上がりつつあります。(旧陸軍被服支廠の北側、県立広島工業高校、県立皆実高校の近くです。)
新築工事の完了は、7月31日となっている様です。写真を添えます。

煙石博     

2023年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

2023.6.1(旧暦4月13日) お疲れ、「G7広島サミット」と、「私の爺1サミット」…。

 何はともあれ、G7広島サミットが、何事もなく、無事終わって良かったと安堵していますが、サミットの前から、思わぬところで、その影響を受けた方も多かったと思います。
 実は私、サミット2日目の5月20日(土)の朝、所用あって、バスで、広島市内の中心部へ向かいましたら、街のいたるところで、大勢の警察官や、特殊車両・護送車の様な車が列をなして配備されていて、警察官のチョッキの背中には、各県の表示。車のナンバープレートを見ても、ほとんど、県外のものでした。それもそう、何しろ、2万4000人規模の警察官が広島に配置された厳戒体制と言う事でしたから…。
 私が乗ったバスは、道の両側に、パイプ状のバリケード柵が長くつなげてある中を、八丁堀から紙屋町へと、何とか走れていましたが、紙屋町の交差点を右折しようとした時、急に警察官の停車合図が出されて、バスの横を走っていた市内電車と一緒に停められました。これは、サミット参加の要人の車が、宿泊しているホテルから宇品島のサミット会場に向かう為、一般の通行が停められたものでしたが、20分位のちに、警察官の指示によって、やっと右折を許されて…冗談ながら、G7サミットを肌で身近に感じた時間ではありました。

 それと、市民生活への影響も色々あった中で、休みと決めた会社もあって、飲み処も昼も夜も、休みのところが多かったので、私も毎日、自宅待機状態…テレビのサミット関連の番組を見ておりましたが、要人が、着いた出発したと言う事は、中継レポートでわかりましても、会議の様子は、数カット伝えられるのみで、内容については…。記者や、ゲストの説明がありますが、私が思う事と違って、納得出来ない話や…恥ずかしながら、私の理解力が及ばないのも…理解しようと思うのですが…「いたしい(むつかしい)話じゃのぉ~」と思って、自分をなぐさめ…「ほこ」を納める事多し――。

 ま、とにかく、何事も無くサミットが終わって良かったのですが、それにしても、市街地には、警察官が至る所に…警備の車も数珠つなぎの様に。中心市街地や関連地域は、例えば「石を投げれば警察官にあたる?」。落ちている1円玉も拾えない感じの、何が何だか、うっすらと疲れる緊張感の日々だった様な…。
 そもそも、海外からの多くの要人を迎え、無事にお帰り頂く事は、大変だろうと思ってはいましたが、想像以上に、ものものしく、大変だったと言う所でしょうか。夜中も、警戒のヘリコプターの音が、毎夜、遠くに聞こえておりました。

 ところで、これは、個人的な話で申し訳ありませんが、G7サミットの重要な会議が行われた宇品島の、グランドプリンスホテル高階の、円卓テーブルが置かれたあのスペースは、多分そうだろうと思いますが(あれでも階が違うかも知れませんが?)、実は、私がアナウンサー時代、気に入っていたスペースで、会社が休みで天気が良ければ、時々行っては、食事とお酒を頂きながら、静かなひとりの午後を過ごしていた所です。
 個人的な事と混同して申し訳ないと思いつつ、「私の爺1サミット」の場…嬉しい様な…何と言っていいものか…。そこより眼下に広がる景色は、広島湾の、出船、入船…さらに、その遥かには、遠く霞む瀬戸の島々も一望出来、ひそかなパワースポットでもありました。

 そこからの夕日も綺麗です。たまたま、昔、スマホに残した写真がありました。これは、私が定年退職した翌年、2008年1月のものと、2008年4月のものです。

2008年1月撮影
2008/01/09 17:04
2008年4月撮影
2008/04/04 18:26

 又、この場所で詠んだ拙い句も残していました。

     あふれゐる旅愁港の秋夕焼ゆやけ     ひろし
     冬入陽ふゆいりひ瀬戸へ一太刀ひとたち金のほこ     ひろし
     今日の日よらば冬陽ふゆひへ明日を酌む     ひろし

 何はともあれ、サミットは無事終わりましたが…お疲れ様でした。
 お身体ご自愛ください。                    煙石博

2023年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien