難を転じて・・・花南天

2015年5月19日   難を転じて・・・花南天

 最高裁に上告して答えを待つばかりですが、広島地裁・高裁では、証拠も無いのに(防犯ビデオにお金を盗っているところも無いし、持ったと決めつけられた封筒に私の指紋も全くついていないのに・・・)懲役1年・執行猶予3年という、信じられない不当判決を受けておりますので、最高裁での良識ある判断を祈るばかりの辛い日々が続いています。
 皆様には、これまで無罪を勝ちとる会を中心に、全国的に私の真実を訴えて頂いて来ましたが、先日、私が生まれ育った町内会の総会の席で、初めて、私の身に起こっている大変な真実を説明することができ、街頭でお配りしている冤罪チラシもお渡しすることができました。早速に幾人もの方より、その場で、励ましの言葉を頂きましたが、その中に、「煙石さんの冤罪の事は、〇〇さんから(無罪を勝ちとる会の署名活動やクチコミで、真実を耳にされていたようです)よく聞いていて、よくわかっています。頑張ってください。」と力強く励まして下さった方がありました。その方は、私の亡くなった父を知っているようでもあり、私の後ろ姿が、お父さんにそっくりですとも言われました。
 気分の重い日々の中、早朝目覚める事が多く、物音のしない猫額の裏庭にしばらく立っていますと、そこには無造作に並べられたままの花の小鉢や、手入れをして欲しげな草木が、静かにゆったりと大きな緑の息をし続けているような気配が・・・小さな草木が夜を込めて吐き出した緑の氣を漂わせていて、そこがまるで、小さな緑の湖か、緑の海にでもなっているかの如き気配を感じ、・・・大きな深呼吸・・・また深呼吸。
 我が家の入口の南天にも、白い花が沢山ついて、穢れなき純白の花屑を散らしています。

     身に穢(けが)れなし南天の花も白   ひろし

2015年5月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : toshihiro

比治山慕情

 

2015年5月5日   比治山慕情

 前々回のブログで、冤罪の話ばかりではと思い、広島の花の名所・比治山について触れましたので、その余談として続けますが、この比治山の幾つかの展望台のうち、市内を一望できる観光スポットになっているのが富士見台の展望台です。この「富士見台」という名前は、広島湾の似島、別称「安芸の小富士」が望める事からつけられたものですが、その富士見台の展望台入口に、あの明治の俳人、正岡子規の句碑があります。

 鶯の口のさきなり三萬戸   子規

この句は、子規が日清戦争の従軍記者として大陸に赴く前に、郷里の松山にも帰っておりますが、広島に1ケ月余り滞在して、20句余り残している中の一句です。比治山から眼下に拡がる、のどかな明治の広島市街の様子を俯瞰して(当時は3万戸位の平和な暮らしがあり、比治山には今でもそうですが、鶯の鳴き声しきり…この山には、うぐいす谷と名付けられた谷もあります。)平和な広島のたたずまいを表現した一句だと思います。
 その富士見台の展望台からは、広島市街が見事に一望できますが、市街には幾本もの川が筋をなして流れており、水の都、広島の風情を感じとる事が出来ます。そして比治山の眼下を流れる京橋川は、この比治山に来て優美な曲線を描きながらしなやかに弧をなし、はるか広島湾へと流れて行きます。また、この京橋川には、その昔、西国街道(山陽道)の、京に向かう人たちの出発点との意を込めて名付けられた京橋が架かっており、その少し下流には、柳橋、鶴見橋と、粋な名を持つ橋も架かっています。広島は川も多く、その分、橋の多い街でもあります。

広島の百橋見ゆる花の山  ひろし

これは、誠に蛇足ながら、比治山…桜…京橋川…柳…と言うと、思い出して頂きたい歌があります。

♪♪春はそぞろに比治山桜 川の朧が二人を包む
しのび逢うほど別れがつらい すすり泣くよな花吹雪♪♪

という「比治山慕情」が、近年カラオケでよく・・・私が・・・歌っています。
この歌は、実は私の作詞した歌なので、よろしかったらかけてやってください。
 今年のお花見に恵まれなかった方に、この歌をリクエストして頂くと、映像は桜のシーンですから、カラオケのリクエストでお花見の雰囲気も味わえます。
 季節は今年も、桜からつつじ、若葉青葉の季節へと移っていますが、辛い日々が続きます。真実はひとつ。私はお金をとっていません。無実です。こんなひどい事はありません。あってはならない事です。

  散りて尚しんじつ白き椿かな   ひろし
  蒲公英(たんぽぽ)の群るるは強し陽を浴びて  ひろし

2015年5月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : toshihiro