2022年2月1日は、旧暦1月1日で、旧正月、春初め。独房日記・備忘録⑧「お風呂はかけ流し」

2022年2月1日は、旧暦1月1日で、旧正月、春初め。独房日記・備忘録⑧「お風呂はかけ流し」
旧正月は、[寒さの中にも春が兆し始める頃で、「迎春」「初春」と言う表現がピッタリ。春の初めの氣が充ち初め、春初め、早春です。]

前回のブログ(12月28日)に書きましたが、昨年12月に、私の家内の母が、ご長寿でお元気だったのですが、11月に体調を崩され、96歳で亡くなりました。
 家内の父が亡くなった後、気丈に、ひとり暮らしを通されましたが、10年前、私の身に、突然、えん罪の悲劇が降りかかり、それから、最高裁、無罪判決までの5年間…長い間、大変なご心痛をおかけした事は、本当に申し訳なく、私のえん罪をつくり上げた関係の人達に対する怒りと、憤りと共に、お詫びのしようもありません。
 えん罪は、当事者だけでなく、いかに多くの人をも苦しめるかと言う事を、体験を通して痛い程知らされました。えん罪は絶対におこしてはいけません!あってはなりません!えん罪は、人災です‼ これは、私だけの事では無いと思いますから、敢えてブログに書かせて頂きました。

 そんな訳で、今年は、新年のブログを、年末(12月28日)のブログにして、年賀を失礼させて頂きました。
 96歳の長寿で、まぁ、歳に不足はないとも言われそうですが、この度、実感した事は、死と言う永遠の別れは、何歳で亡くなっても、辛く悲しく、無情なもので、命の重みが、何と大きなものであるかと言う事を教えられた事でもありました。
 残された私共も「生きている、生かされている」と言う、「今日を、今を」感謝しつつ、生きて行かなければいけないと言う思いです。
 40年余りも昔になりますが、私だけでなく、多くの人達から尊敬されながら逝かれた、私の人生の師であり、俳句の師のおひとりでもありました、人徳のあった名柄大学さんの、お亡くなりになる前の句を、今も思い出し、涙致します。

   覚えなき 善根功徳ぜんこんくどく冬の虹   大学
   先に逝くものの仕合わせ冬の虹   大学

 先に逝く者は辛い…しかし、残される者も辛い…。「大きな悲しみをかみしめて、小さなよろこびを育てよう」。…大学さんの言葉でした。

 ところで、何があろうと、移ろい行くのが世の習い、早くも1月が終わって、2月ですが、今年の2日1日(火)は、珍しく、丁度、旧暦の1月1日になりました。
旧暦とは、月の満ち欠けと、太陽の動きから計算された大陰太陽暦で、明治初め、世界共通の今の暦が日本に採用されてから旧暦とされた暦…等と、敢えて説明しますが、今年の2月1日が、近年、益々、忘れ去られて行く様な、旧暦の正月です。
 この旧正月の頃は、既に、陽射しが伸び始めており、陽の光にも力がこもり始めて、空が明るく、何となく春へと向かっている事に気づかされる頃です。「光の春」と言う嬉しい表現もありました。
 大変なコロナ禍の中ですが、春へ向かう光へ向かって、「一陽来福」を祈ります。

   立春の光に向かふ心かな   阿火
   鳥の来て揺れたる梅の影も香も   ひろし


          改めて・四畳半独房日記・補足・備忘録⑧「お風呂はかけ流し」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 三度・三度、差し入れられる「幕の内弁当」が、大変美味しかったと、昨年12月1日のブログに書きましたが、もうひとつ有難いものは、週2回、火曜日と金曜日に使わせて貰えた風呂でした。
 留置場に入ると、右手側に鉄格子の房が並んでいますが、その前が、少し広めの通路になっていて、この通路を歩かされ、それぞれの房に入れられます。この通路の向こう側の正面に、鉄格子のスペースがあって、その中が風呂場になっていました。風呂場と言っても、鉄格子の中に、シャワーとバスタブ(洋式の浴槽)が置いてある狭いスペースで、腰のあたりだけ見えない様にガード板がつけられていましたが、ほかは、鉄格子ですから、常に看視されている状態になっていました。

 風呂は、刑務官から、房の番号(私は13号)で呼ばれた順に、1人15分の時間制限で使いました。刑務官が決めた順に、朝食後すぐに、風呂時間となります。
初めての風呂時間の時、刑務官から「湯船には浸からず、シャワーと、かけ湯で体を洗う様に」と言われたと思いますが、他の者も、湯に浸かる者は居ませんでした。
 さて、バスタブの前に立った時、「ええっ!」と思った事に、湯船からは、常に湯が溢れ出て流れるままにしてあり…かけ流しの温泉?状態…。風呂を使ったあとで、老婆心ながら、刑務官に「水がもったいない様な気がするんじゃが…」と言うと、刑務官が「病気を持っとる奴がおっちゃぁいけんけぇのぉ~」と話してくれ、「そうか、成る程…」と、納得した事です。その時の私は、理不尽な濡れ衣を着せられて、やり場の無い精神状態にありましたので、湯船から溢れ出ている湯を洗面器いっぱいに汲み上げては、腹立たしい気持ちの捌け口(はけぐち)を求めるかの様に、頭から贅沢にかけ湯を使いまくりました。
 実は、湯船から溢れ出てゆく湯を惜しみなく汲み出して、かけ湯をすると…とても気分よろしく…不思議な満足感に浸れると言う事も知りました。留置場を出てからのち、あの快感を我が家でもと思う事もありますが、水道代の事を思うと…その勇気がありません。
 ところで、「刑務官も…怖い…」と言う話は…次号へ続く…。 

 暖かくなりかけたかと思うと、また寒さが戻って来る事を、冴返る(さえかへる)と言いますが、これからは冴返る日もありましょう。そして、もっと寒さが戻ると、凍て返る(いてかへる)、 さらに、それ以上に寒さが戻ると、これを… ひっくりかえる・・・・・・・?とは…言いません。

 何も彼も世は冴え返りウイルス禍   ひろし

 暦の上では春とは言え、関西では、奈良東大寺のお水取りが終わるまでは(今年は3月12日)…寒さへの油断は出来ません。

春近し 千辛万苦せんしんばんく越へ行かむ   ひろし

 立春大吉、「光の春」は、天からの恵み。 お身体ご自愛ください。
                                 煙石 博

2022年1月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien