2020年7月1日 6月を振り返って…

2020年7月1日 6月を振り返って…すでに夏バテ、コロナバテ…

 相変わらず、コロナと対う日々を強いられていますが、右を向いても左を向いても、マスク・マスクの、目だけの顔・顔・顔で、それこそ、宗教法人、大日本マスク教団でも出来たかの様な、奇妙な景色です。時に、マスクを忘れて外出すると、マスクの群れの不気味な視線を浴びて、何か後ろめたい気分になったり不安を覚えたりする時もあります。思い返せば、コロナ騒ぎの始め、普段使って来た使い捨てのマスクが店頭から消えて、日本中が大騒ぎになりました。しかし、太平洋戦争後の昭和に生まれた、ベビーブームの一期生と言いますか、(団塊世代と、異人類扱いされたものでしたが…)古い昭和生まれの私がすぐに思った事は、私共は、子供の頃から、自分のマスクを洗って何度も使うのが普通でしたから、冷静な目で受け止める事が出来、使い捨てマスクが無ければ、自分で作れば済むことなのにと思って、慌てる事もありませんでした。使い捨てのマスクを買って使う様になったのは、私共の世代にとっては最近の事で…ふと、時代を感じた事でした。

     バナナ熟れ団塊世代高齢化     ひろし

 ところで、数年前、花が咲いている鉢植えの 仙人掌サボテンを頂きましたが、その後、花を咲かす事が無く、育て方が悪いんだろうと諦めておりましたら、嬉しい事に、先月、6月10日に、一花だけ見事な花を咲かせてくれました。


      仙人掌さぼてんや心に咲ける故人あり     ひろし

 歳と共に…鬼籍に入って仕舞った知人、友人へ手を合わせる事も多くあり、私の寂しい胸の内へ何かを語りかけ、再会の喜びを交わしてくれている様な…、生きさせて頂いている事に、感謝・感謝・感謝。
 さて、このブログ原稿を書いている今日は、6月25日(木)ですが、旧暦の暦に、旧五月五日、旧端午の節句とありました。昔の様に菖蒲と蓬を括って軒に いたりしなくなりましたが、 ちまきや柏餅を食べたり、菖蒲と蓬を括って風呂に入れ、菖蒲湯を愉しむ習慣等は、辛うじて(スーパー銭湯等で)残っている様に思います。
 我が家では、菖蒲(花菖蒲では無い、香りのよいサトイモ科の植物の菖蒲)が手に入りにくいので、毎年、道端に生えている蓬を少し刈ってきて湯船に浸し、蓬風呂として昔の端午の節句の季節感を愉しんでいます。私の若い時の拙句…蓬のほのかな緑の香の中で…

     菖蒲湯の湯船たっぷりとっぷりと     ひろし

 今年は、今の暦の6月25日が、旧端午の節句でしたが、遡ってみると、今年は、過去10年間で最も遅い旧暦の端午の節句だった事を知りました。旧暦は、草木の成長の目安になる自然暦でもありますから、この旧端午の節句も、蓬や菖蒲の丈が整う頃だと言う訳です。時々、旧暦の暦で行事をチェックしてみると、私共の先人の知恵や、思いの丈が込められている事に気付き、考えさせられる事も色々ある様です。

 そんなこんなで、コロナの不安に振り回されているうち、早くも半年が過ぎてしまい、間もなく、梅雨も明ける事でしょう。ただ、梅雨の終わり頃には、送り梅雨と言われもして、激しい雨に見舞われたりする事があります。今年は、大きな水禍が出る事なく、梅雨が明けてくれる事を祈るばかりです。

     逆らはぬ ままなる風の 夏暖簾なつのれん     ひろし

 過酷な気候の折柄、おん身ご大切になさって下さい。

                                            煙石博

2020年6月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien