2021.11.1 「びったれおどし」。四畳半独房日記・備忘録⑥トイレットペーパーの コヨリ

2021.11.1 「びったれおどし」。四畳半独房日記・備忘録⑥トイレットペーパーの コヨリ

 コロナ・コロナに振り回されて、気が付けば、はや11月。大変だった一年が我々の社会生活には御構い無く、非情な歯車を回し続けて行く様な気がしています。
 そんな思いの中で、色々な事があったこれまでの1年を冷静に振り返ろうとすると…
 それらの事が、混沌と混乱の中に整理がつかない儘、すでに、すっかり色褪せてしまっている様にも見えます。悔しい事に、コロナ戦争は今年も収束せず、感染者数の減少で少しホッとしたものの、相変らず目に見えぬ敵との闘いが続いて、私共は、いやが応でも、ストレスを溜(た)め続ける日々を生きているのでは無いかと思っていますが、皆様の、お元気で健やかな日々を心より願っています。

   待ち人の銀杏いちょう黄葉もみじの中より   ひろし

 これに加えて、相変わらず四季の移ろいが尋常ではない事も気に掛かっています。
 思い返すと、今年の1月2月、例年の様な寒中の寒さも無く、暖冬のまま一気に春へ…。そして、季節は先を急ぎ過ぎる様に移ろい、それが、桜を始め、植物の開花にも影響を与えていたのではと言う事を、これまでのブログでも書いて来ましたが(季節を間違えて、我が家の野菊の一部が、5月に咲きましたが、他のほとんどの野菊は、11月の今、やっと咲き始めています。

 春過ぎてのち、早い梅雨入りと早い梅雨明け、そして、いきなり襲って来た猛烈な激暑の夏は、「危険な暑さ」と表現されて、これまでに経験した事のない猛暑。それが一転して、8月の月遅れのお盆から、盆らしくない長雨が続き、梅雨の様な天気になって、九州や中国地方に豪雨被害まで出しました。
 私は、これまでのブログで、今年は季節が早く移ろっていると指摘して来ましたが、この8月のお盆から1週間以上続いた長雨は、例年9月半ば過ぎから10月初め頃よくある、秋の長雨(秋霖・しゅうりん)の様に思えました。
 その長雨のあと、9月過ぎに再び夏が戻った様な暑さとなり、(10月7日、関東地方で、震度5強の地震。西ノ島近辺では相次ぐ火山活動と、穏やかならぬ事も続いて、太平洋戦争の激戦地、硫黄島は、島全体が隆起しているとか…)10月になっても、何日も真夏日の日が記録される季節外れの異常な暑さが続いている所へ、10月半ば過ぎ、例年は、過ごしやすい季節ですのに、突然寒くなり、各地でいきなり冬の便りを聞く様になりました。

 こうした、ただならぬ出来事と気象の中で突如やってきた寒さは、広島では、10月16日の夕方。強い風を伴って急激に寒くなり、一気に11月中旬~下旬の寒さに震え上がりました。これも、半月以上早いのですが、例年11月初めの初冬に吹く「木枯らし」ではと思いました。こう言う急な寒さの到来を、広島弁で「びったれおどし」と言います。
 広島弁で、無精者、だらしない者を「びったれ」と言い、無精者、だらしない者が、慌てて冬支度をする様な寒波の襲来と言う訳です。 
 この寒さに続いて、10月26日からは、暖かい日に恵まれ、これも、季節が早くなっていると思えば、11月初旬によくある、朝晩は冷えても日中は暖かくて長閑(のどか)な小春日和(こはるびより)がやって来たのだと感じています。
 とに角、四季は移ろっているのですが、四季の移ろいが、ぎくしゃくして、乱暴過ぎ、戸惑うばかりの儘、気が付けば、もう11月。しかも、随分早くから冬の訪れを告げる寒さで、我が家では、毎年、旧暦の「亥の子(いのこ)、炉開き」の日を、暖房器具を使い始める目安にしていますが、今年のその日は、11月11日(木)。…私は、少し早めに、あんか炬燵を使い始めました。
しかし、行楽・グルメ・紅葉の季節…師走までの、しばらく、心を癒したいものです。

     我思ふ故に酒ある夜長かな   ひろし

        改めて・四畳半独房日記・補足・備忘録⑥トイレットペーパーのコヨリ

(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残して置きたいと言う思いから書き綴っています。)
             【 房内で不自由したものあれこれ・・・。】
◎留置場の房内には、一切の私物は持ち込む事が出来ず、勿論、携帯電話は取り上げられ、とても苦しい孤立無援の、孤独な心理状態に追い込まれました。
 自分のスケジュール手帳も、何度かお願いして、鉄格子の外の別室で、刑務官立ち合いのもと、見る事になり、不自由でした。
面会は、1日に15分のみで(弁護士との接見は別)、家族と話をするのに、刑務官立ち合いで、話の内容をチェックされ、事件絡みの内容だったか…? 時に、警告を受け、それ以上話せない事もありました。
 ※私の事を心配してくれて面会したいという知人の要望も、時間が短いので、全てお断りせざるを得ず、申し訳なく思いました。この15分の家族との面会は、唯一の心の支えとなっていましたが、土曜日、日曜日は、終日、面会の時間は与えられず、週末毎に、本当に心細く、辛い思いで、月曜日を待ちました。
※私と面会者の間には、アクリル板の間仕切りがあって(テレビドラマのシーンで見られた事もあると思います…)、透明な間仕切り(パーティション)越しの会話になりますが、厚みのある間仕切りの真ん中辺りに、無数の小さな穴があけてはあっても、声が聞き取りにくく、イライラしました。
◎家族からメモ用紙を差し入れてもらい、出来るだけ記録をとる様にしましたが、朝7時から夜9時までしか、筆記用具を与えられず、夜9時になると、筆記用具のボールペン(凶器に使わない様に、特殊な形をした特製の物を貸与されていた。)と、メモ用紙、それに、メガネも取り上げられて、翌日の7時に戻してくれるまで、メモをとる事ができません。
 夜、あれこれ悩んで思いついた事をメモする事が出来ず、歯痒(はがゆ)い思いをしました。ただ、心細く、辛い心境の中で浮かんだ俳句があり、これだけは何とかと、トイレットペーパーをコヨリにして、鉄格子の隅に、密かにカタカナで文字を作り、あとでメモ用紙に書き取りました。

     13号と呼ばれ時雨るる鉄格子   ひろし

 ただ、悔しかったのは、朝7時に、メガネは戻してくれるのですが、特製のボールペンとメモ用紙は、「食事(弁当)の支度がある」とか、「ちょっと忙しい」と言って、なかなか戻してくれません。独房から、取り調べ室や検察へ行く為に房を出る時も、筆記用具は取り上げられ、留置場に再び戻った時、「筆記用具とメモ用紙を戻して下さい」と頼んでも、「忙しいので、あとで…」等と言って、なかなか戻してくれません。…取り調べの内容等を、少しでも残されたくないという意思が働いているとしか思えませんでした。
 あれから9年もたつのに、留置場に入っていた9月・10月の、冷たい、忌まわしい記憶は、今でも不快に思い出されます。
 ただ、留置場の「弁当」が、「うも~がんした(うまかった)」話は、・・・次号へ続く・・・。

     寒くなりましたので、呉々もお身体ご自愛下さい。    煙石 博

2021年10月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien