2022.6.1(旧暦5月3日)「大きな悲しみを…。」独房日記⑪「かわいそうなおじいさん。

2022.6.1(旧暦5月3日)「大きな悲しみを…。」独房日記⑪「かわいそうなおじいさん。

 今月も、旧暦と新暦の日にちのズレは、わずか3日と、新・旧の暦の差が、ほぼ1ヵ月ですが、若葉みずみずしい季節から、日増しに緑を濃くして、青々と生気をみなぎらせる青葉の季節へ移ろって行く月でしょう。

 俳句の季語から拾ってみると、青葉山(あおばやま)・青葉茂る(あおばしげる)・青葉照る(あおばてる)・青葉風(あおばかぜ)と、シルバーエイジの私が、わき立つこの緑に向かう時、気後れしそうな…いや、緑の勢いに負けてはいけない‼。むしろ、青葉のそのエネルギー、元気を、とり込む気力を持たなければ…そんな生気あふれる季節でもありましょうが、一方で、梅雨を迎える月でもあります。

 月初めには、例年、梅雨入りを前に、広島に夏を告げる浴衣の着初め「とうかさん」の祭(今年は、6月3日(金)~5日(日))があります。

稲荷(とうか)さんは、その昔、とうか●●●にシャレてか、8日、9日、10日の3日間で、私の言葉遊びですが、人に呼びかけられた時、その人に向かって、「何か用か(8日)、ここのか(9日)とうかさん(10日さん)!?…」と、ジョークを言っていました。

例年、この「とうかさん」の頃、お天気がぐずつき始めて、気象台の梅雨入り宣言も間近か…と言った感じであった様に思います。
ちなみに昨年の広島の梅雨入りは、3週間程も早く、何と5月15日(九州北部と四国、中国地方)で、過去2番目に早い梅雨入り発表でした。(のちに中国地方の梅雨入りは5月12日とされた様です)

     梅雨冷つゆびえや迷ひし街の地下通路   ひろし

 既に、立葵(たちあおい)が、あちこちで咲いていますが、しばらくは、花の群れが、雨の日々を咲き継ぎ咲き上って行きます。

     咲き継ぎて高き明日へ立葵たちあおい   ひろし

 それにしても、世界も日本も、人災、天災、激災禍のただならぬ事ばかりで、滅入って仕舞いそうですが、「大きな悲しみをかみしめて、小さなよろこびを育てよう…。」
穏やかな月であります様に。

       改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑪「かわいそうなおじいさんの話」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 私が、納得出来ないまま留置場に入れられて何日目かに入って来た、耳の遠い、おじいさんの事が、当時のメモに残っていました。
 私は、鉄格子の中の人で、6部屋か7部屋ある、房の中の人を見て回る訳にはいきませんので、朝の洗面や、火曜日と金曜日に与えられる風呂時間等の、鉄格子を出された時、横目で房の中を見るとは無く…様子をうかがい知る限りですが、そのおじいさんは、人のよさそうな好好爺と言う感じのおじいさんでした。以下は、その時のメモから思い起こします。

 そのおじいさんは、留置場に入って来たその日の夜、「わしは、殺されるぅ~。助けてくれぇ~。痛い!痛い!」(無理矢理、警察官に連行される時、抵抗して暴れたものか?)
 とにかく、「わしは殺されるぅ~。助けてくれぇ~。」を繰り返し、叫び続ける…。
何があって、ここへ入れられたのか分からない。かく言う私も、この留置場に入れられた時、不安に負けて、怖くて、恐ろしくて…気持ちは分からないでも無い。

 「女房に迷惑をかけるぅ~。もう外を歩けん。わしたぁ~(私とは)、離婚してくれた方がええ。わしは(私は)、殺されるぅ~。助けてくれぇ~。」等と、大きな声で訴える。私も、何がどうなのか分からぬまま、かわいそうで、憐れに思いましたが、留置場に入っている皆も、恐らく同じ思いだったと思います。
しかし、その内、うるさくて…騒音公害?。いささか、参ってしまいました。耳が遠いらしく、刑務官の言う事が伝わらず、何度も大きな声で指示されるのですが、伝わりにくい…。

 数日後、次第に静かになって、何度か取り調べもあった様ですが、1週間くらい居たでしょうか…。今朝、11時過ぎに奥さんらしい人が迎えに来て、おとなしく留置場を出て行った。荷物の引き渡しの時、入れ歯を戻してもらったらしく、口に入れて、ホッとしたみたいだった。

 「助けてくれぇ~。殺される~。」の連呼には閉口したが、留置場の忘れられない出来事のひとつでした。「何か気の毒な事情がありそうで、やはり、かわいそうに思った」とメモに残しております。

 以上は、私が留置場に入れられて15日位のち、10月25日のメモでしたが、この日のメモの最後の所に「今回の事で、私のイメージにキズが付いて、これからどう生きて行けばいいのか…。人は口に出して言わないまでも、家族も、世間の冷たい目にさらされて、それを気にしながら生きて行かなければいけないだろう――。私の仕事は、もう来ないだろうし、人生も、これで終わりかも知れん。大変」と書いていました。

 2012年10月25日の、独房でのメモ、10年前…65歳の時でしたか…。多くの皆様のお陰を頂いて、今、75歳です。(感謝)

     露草や脚下照顧きゃっかしょうこ瑠璃るりの色   ひろし

 独房日記…「独房の彫物(ほりもの)の事」等は、次号へ続く…。
 お身体ご大切に、お元気でいらっしゃってください。
煙石 博   

2022年5月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien