失ったもののひとつに・・・

2017年8月5日   失ったもののひとつに・・・

今年は、いきなり猛暑が土足で上がり込んできて、夏バテで始まる夏本番となったようです。暑さに身構える余裕も与えられませんでしたから、大変でした。過酷な夏との激闘お見舞い申しあげます。  
 
   老骨へ豪速球の猛暑来ぬ       ひろし
   少女らの「めっちゃ」連発超猛暑   ひろし

 今年の激暑は専ら、クーラーをきかせた部屋にこもって、タニシのように過ごす毎日です。ならばと、涼を求めて、海か山へ出かける決断もつかず・・・。 涼を求めて出かけるといえば、スーパーの食料品売り場を納涼スポットとして、回遊魚のようにめぐり歩いたりしておりますが、滑稽な納涼作戦・・・。というのも恥かしいお話です。

 ところで、最近は夏のレジャーの定番だった海水浴場に人気がないとの事。そういえば、私も、いつの頃からか、温泉に足を向ける事が多くなっても、海水浴場へ行く機会がなくなり、今では、全く縁がなくなっています。しかし、今も住み続けている私のふる里は、埋め立てや開発によって、すっかり変わりましたが、子供のころは、海べりの自然豊かな地で、近くの山にも海にも、たくさんの思い出があります。
 子供の頃から伝馬船が漕げたのが自慢でしたし、夏になると、泳げる海も歩いて数分、真っ黒になって遊び呆けたものです。今は、すっかり埋め立てられ姿を消しましたが、この丹那(広島市南区丹那)沖の広い遠浅の海は、半世紀以上も昔の話になりますが、丹那橋から南は、遠浅の広い干潟が広がる広島湾の一部で、漁場でもありましたが、泳いだり、釣りや潮干狩りなど、磯遊びの場でもありました。

 今でも、廃線となった旧国鉄宇品線の残された土手に佇つと、宝石のようなわんぱく時代の思い出がよみがえってきます。そんなわけで、定年後は、この丹那の土手の跡辺りに残された遊歩道を、ウォーキングコースにしておりました。ところが、そんな愛するふる里の大切な場所が、この度の事件によって逆に、全く悲しいエリアになってしまいました。

 後に埋め立てられた丹那沖の海の、丹那の土手の始め辺りに、広島県警南警察署があったからです。(1964年に完成 私が高校3年生の時、新築移転したもの)私は、その広島県警南警察署の留置場に、証拠もないのに、突然、66600円の窃盗犯にでっち上げられ、不当逮捕されて、28日間も勾留されたからです。そこであった、恐ろしくも忌まわしい、不幸な体験によって、今では、このエリアに少しでも近づくと、気分が悪くなり、身体が拒否反応を起こします。さらに言えば、南警察署の前を通る事は勿論、近づく程に体が凍り付くような嫌悪感を覚えて、近づく事すらできません。私は、子供の頃の、ふる里の美しき思い出が残る麗しき海や干潟の、心の原風景まで失ってしまいました。これには、理不尽を越えるくやしさが込み上げ、怒りの血が沸騰する思いです。
 この冤罪事件で、私は、生まれ育った少年の日のふる里の思い出まで破壊されておりました・・・。

   ふる里の夏少年の日は遠く    ひろし
   叱られて育てられし日雲の峰   ひろし                    煙石 博

2017年8月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien