2021.12.1 死なない病気…。四畳半独房日記・備忘録⑦ 留置場の弁当は…

2021.12.1 死なない病気…。四畳半独房日記・備忘録⑦ 留置場の弁当は…

【速報】 私の冤罪体験が、月刊「紙の爆弾」の2022年1月号(2021年12月7日鹿砦社より発売)の取材を受けました。
※冤罪は、他人事ではありません。誰の身にも…。冤罪を出さない、市民の監視と良識のある社会を――。

 今年は本当に異常気象の1年で、春には広島の桜(広島市基町の縮景園内の標準木)が、日本で一番早く3月10日に開花して驚かされましたが、この時、梅も、桃も、ほぼ時期を同じく咲いていた様な記憶があります。草木も、花の時期を間違えて、早まったり、遅れたり、生物時計(体内時計)を狂わされたものが多くあった様に思いますが、近い所でも、10月終わり頃、広島市の中心部、中区基町のハンコ屋さんの見馴れた花壇に、梅雨時に咲き香る梔子(くちなし)が、2輪ほど花を咲かせ、香りを放っていました。
 さらに、その少し前には、金木犀(例年なら9月中旬から10月初め頃に咲く)が、今年は、遅くて、10月下旬に咲き、しかも、例年より花を沢山つけ、よく香ったと、これは、多くの人からも耳にした所です。

 そんな、金木犀の花の香がまだ残っていた11月11日(木)、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、9日に、亡くなられた事を知らされました。ご長命でしたが、大変残念で、淋しい思いです
 私は、昔、RCC中国放送本社の近くですが、紙屋町そごうの並びにあった、NTTクレド6階の、ラジオのサテライトスタジオで、「なんでもジョッキー」と言う番組を担当していました。そこで、毎日、歌手やタレントさんをお迎えしてお話を伺っておりましたが、今から20年余り前、1998年10月27日(火)、寂聴先生を(75歳?くらいの時)ゲストにお迎えした、忘れる事が出来ない、あの日、あのひと時が、思い起こされます
 10月は秋晴れの日が多いのに、その日は朝から雨で、午後の放送時間には上がるだろうと思っていましたら、午後になっても雨が上がるどころか、季節を間違えた様な大雨になって仕舞いました。
 ガラス張りのサテライトスタジオから、昼でも暗い外の様子が見えて、テラスには、風に吹かれた雨が降り込んでいました。寂聴先生をお迎えして…。

煙石「寂聴先生、こんな雨の日に、足もとが悪い中、お越し頂いて、本当に申し訳ありません。ありがとうございます。」と申しますと、それを、すぐさま打ち返す様に「いえいえ、ご心配されなくていいですよ。私は飛行機で来ましたから、足もとは、ご心配には及びませんよ。ありがとうございます。」と、明るくお答えになりました。

 話題の中心は、「源氏物語」の新たな現代語訳出版のキャンペーンでのご来広でしたので、その話が主でしたが、70代半ばには思えない、信じられないお元気さで、氣があふれていて、私共が元気を頂きました。著書の話を伺ったあと、

煙石「寂聴先生は、本当にお元気でいらっしゃいますね。」と言うと、
寂聴さん「ええ、ええ、私は、お医者さんから、いつも、元気が病気ですねと、言われているんです。」
煙石「元気が病気…ですか?はっ・はっ・はっ。これ、私のジョークで使わせて頂いていいですか。」  …そして、最後に
煙石「先生、これからも、お元気で、ご長命でいらっしゃって頂きたいと思います。」と言うと、
寂聴さん「煙石さん。大丈夫です。私は、死なない病気ですから。」
煙石「ええっ!死なない病気‼…私も死なない病気に…なりたいです。」

 とにかく、愉しく、お茶目で、元気で一生懸命なお話しぶりに、すっかり魅了され、寂聴ワールドに引き込まれていました。寂聴先生は、周囲の我々にも、元気を分けて下さり、生きるエネルギーを頂いた様な気がしました。
 サテライトスタジオの外は暗く、雨が降り続いていましたが、寂聴先生が、まるで太陽の様で…ありがたい慈悲に包まれた、ひとときであった事を、今も忘れる事が出来ません。
 あれから、20年余り…死なない病気の寂聴先生…これからも、私共の心の中に生き続けて下さると思います。死なない病気に…なりたい。     合掌、感謝。

     寂庵の石蕗つわなほ慈悲の花明かり    ひろし

 改めて・四畳半独房日記・補足・備忘録⑦ 留置場の弁当…
 (これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいという思いから書き綴っています。)

 留置場での28日間、ひとつだけ、ほっとしたのは、朝・昼・夕の弁当でした。注文して、会社へ配達してもらう、あの「幕の内弁当」(20cm?位の正方形のもの)が、大変おいしかったのです。唯一、自分が取り戻せた時間だったから、そう感じたのかも知れませんが…。
 鉄格子の左下の隅に、猫の出入口の様な小さな差し入れ扉があって、刑務官が、それを開けて、弁当を差し入れてくれるのです。最初の頃、刑務官が「ありがとう思え、この弁当は、ワシらが注文して署で食べる弁当と、ほとんど同じもんじゃ。お前が食べるぶんは、ワシらと、おかずが、ひと品か、ふた品少ないだけじゃ。ありがとう思うて食え」

 弁当は、朝は7時、昼は12時、そして、夕食は5時に差し入れられますが、5時に食べてしまうと、房の消灯が午後9時…。余り早いので、あとで食べようとすると、外から声をかけられ、「はよぅ(早く)食え、片付けにゃならんけぇ、すぐに食え」と命じました。これは、刑務官の勤務の退署時間の都合でしょう。
 弁当は、白御飯の真ん中に、小さな梅干がある「日の丸弁当」で、周りの数か所に、おかずの仕切りがあるものでしたが、メニューは、1週間以上、毎食違い、弁当屋さんの企業努力に感じ入った事です。
 ハンバーグや、小さいが、ヒレ肉も…。魚は骨抜きしてあるか、骨のない魚。おかずも多彩でしたが、時に、子を持っていないオスのシシャモが入っていて、それから、しばらくして、再びシシャモが入っていると、10日間?と言う、メニューのローテーションの様なものがあるのかなと思ったりした事を思い出します。
 とにかく、日頃、1日きっちり3食べていなかったのに、留置場では、三度の弁当がおいしく、28日間、3度の食事を残さず食べました。ところが、留置場を出る時、体重を計らされ、太ったかなと思いましたら、何と、3キロも減って、痩せていました。運動不足なのに…、やはり、心労のせいだったのでしょう。 朝・昼・夕の弁当は…「うも~がんした(おいしゅうございました)」

 そして、「お風呂は、かけ流し」という話は…次号へ続く…。

   カレンダー一枚あとの無き師走   ひろし

 来年が佳き年であります様に。お身体ご大切になさってください。     煙石 博

2021年11月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien