2021.10.1  あれから9年…。改めて四畳半独房日記・備忘録 ⑤ 爪楊枝

2021.10.1  あれから9年…。改めて四畳半独房日記・備忘録 ⑤ 爪楊枝

 あれから9年になりますが、9月、10月は、私にとって、又、家族にとっても…私が何も悪い事はしてないのに、何が何だか、信じられない理不尽なえん罪に引きずり込まれた、あの日、あの時の、大きな傷跡が残っている月です。晴天の霹靂の如く振り掛かって来たぬれ衣…。
 あの日(2012.10.11)から、無実を晴らす為に闘った4年5ヵ月の地獄の日々を忘れる事が出来ない事と、煙石に振りかかっているえん罪の不条理を目の当たりにして、「見て見ぬふりはできない!他人事(ひとごと)ではない。明日は我が身、絶対に許せない!と立ち上がって闘い、ご支援下さった多くの皆様の、勇気とエネルギーに、改めて生きて行く光と力を頂いた事も忘れる事は出来ません。 本当に有り難う御座居ました。――感謝――

限りあるよわい感謝の十三夜  ひろし(今年の十三夜・のちの月は、10月18日)

 ところで、俳句を趣味として来た私が、どうも気になっている事の1つに、季節の移ろいが、今年の春先から、何かにせかされているかの如く、身の周りの花々が、「咲き急ぎ、散り急いで」来ている事と、季節の折り目、節目も、先へ先へと急ぎ、早くなっている事に気を掛けています。
 これを、これまでのブログで振り返ってみると、4月1日の「ふるいけや…」のブログから9月1日のブログより抜き出してみます。

 ①暖冬ののち、例年より早く2月半ば頃の早春から、早くより暖かくなって、急ぎ足で、一気に春本番へ向かった。
 ②水仙、梅、椿、桃、馬酔木(あせび)…等、ほとんどの花々が、例年の様な開花の順では無く、あわてて咲き、皆、あわただしく花を散らして仕舞った。
 ③桜の開花が随分早く、広島は全国一早くて、3月11日だった。
 ④今年の梅雨入りは、異常に早く、広島の場合、広島に夏を告げる、浴衣の着初め祭「とうかさん」(毎年、6月初めの行事)の声も聞かない3週間も早い5月1日だった。
※穏やかならぬ気候が続き、麗しく美しい日本の気候を忘れて仕舞いそうです…とあり。
 ⑤例年、10月過ぎに咲いている、私が育てている野菊(野紺菊・のこんぎく)の数株が、5月初めに蕾を付け、5月半ば頃から咲き始めて、夏の昼顔と一緒に咲いた(6月終わりまで咲く…)
 ⑥同じく、私が育てている大待宵草(月見草)が、例年より異常に早く、6月16日から咲き始め、9月初めには、これも例年より早く花期を終えようとしていた。
 ⑦梅雨入りが早くて、7月初め。そして、ご記憶でしょうか、早い梅雨明けとなり、いきなりやってきた夏本番の超激暑。そのまま焼き尽くされて仕舞うのではないかと思われる様な…、天気予報でも「危険な暑さ」と表現される程の、過激な暑さの日々が続いた。その後、お盆前の8月10日頃、広島・呉を通過した、小さな台風9号が、置き土産の様に残した感じの梅雨前線や秋雨前線の様な前線が、(この時期には、これまでにも無かったと思いますが…)1週間以上にわたって日本列島に横たわり、西日本を中心に記録的な大雨をもたらし、各地に大きな被害が出た。

 本当に大変な夏でしたが、お盆は連日雨の異常な日々…。この雨を境に、激暑、猛暑も、急激にエネルギーを使い果たしたかの如く、誰かが、突然、激暑のスイッチを切って、舞台を秋に切り替えたかの様な…急発進に戸惑わされた、そんな秋の始まりを感じました。

 よく観察していると、今年は、季節の移ろいが、先へ先へと急いでいて、半月以上は、早くなっている様な気がしています。
 そして、9月7日には、例年より25日も早い富士山の初冠雪が報じられました。
TVニュースで、しっかり雪を戴いた、美しい富士山を見ましたが、約半月後、気温が急に高くなり、雪が消えて仕舞ったとか…。消えたとは言え、異常に早い富士山の冠雪には違い無い様です。
これから先、麗しく深まり行く秋であります様に…。日本の四季が、早く、ノーマルな優しい移ろいを取り戻して欲しいと願うばかりです。

     秋の空生きてしみじみ昼の酒   ひろし


改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録⑤

(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残して置きたいと言う思いから書き綴っています。)

 やむなく飲む事となって、結局、食後、食後に飲んだ白湯が、飲んでみると、結構おいしいものであると知った事を、前号で書きましたが、ブログをお読み頂いた方からも、白湯は体に良いと言う事をご返事で頂きました。 ありがとうご座居いました。
 よろしければ「白湯(さゆ)満タン!」試しに飲んでみられても良ろしいかと思います。 私も、最近、白湯を作っておいて、時々、飲んでおりますが…私の場合、歯痒はがゆい事に、どうも白湯を飲むと、薄気味悪い狭い長方形の独房と、ネチャネチャする感じのビニール畳、そして、ぬれ衣を着せられた悔しさと怒りに燃える私の前に、冷たく非情に立ちはだかって居た鉄格子が、まぶたの裏に、残像として浮かび上がって来るようで…まだまだ、少し苦(にが)く感じ、残念で淋しいと言うところが本音の思いでもあります。
 食後の白湯で思い出したのですが、朝の洗顔と歯磨きは順番に1人ずつ出来ますが、私は、歳のせいで、食後に、どうしても歯の間の汚れを取り除く為に、歯間ブラシと爪楊枝を使っていましたが、これらは絶対に房内には持ち込む事が出来ない様で…凶器となるからだろうと思います。 それで思い付いたのが、取り調べ室で接見する嫌な刑事に、取り調べ前、「何か飲むか?」「お茶か、コーヒーか?」と聞かれた時、事情を説明して、「楊枝を使わせて欲しい」と頼みましたら、楊枝を持って来て手渡され、刑事の看視の前で、楊枝を使う事が出来ました。外にも、房内で使う事ができず、不自由したものが、いくつかありましたが…。              ――次号へ続く――

 ※これまで、広島市南区丹那町にあった広島県警南警察署の新築工事が、10月から、広島市南区出汐町の旧陸軍被服支廠跡の北の一区画で始まる予定です。私が不当逮捕され、28日間留置されていた忌(いま)わしき思い出が残った留置場も、新しいものになる…と言う訳です。

   秋の空うそ偽りの無き高さ   ひろし(2012年10月、留置場にて)

 ※朝20分だけ、外の狭いベランダで外気を吸わせてもらえます。

   昨日今日さらに明日へ鰯雲   ひろし

  お身体ご自愛下さい。 煙石 博 

2021年9月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.9.1 夏のはて、改めて四畳半独房日記・備忘録④「お茶にしますか?白湯さゆにしますか?

2021.9.1 夏のはて、改めて四畳半独房日記・備忘録④「お茶にしますか?白湯さゆにしますか?
 
今年の梅雨明けは例年より早く、7月初めに思い切りよく?と言いますか、スッキリ明けたのは良かったのですが、いきなり30℃を越える激暑の日々が始まり、肌を射られるような陽射しに加えて、大変不快で異常な蒸し暑さに、心身共にへばってしまいましたが、天気予報で連発される「危険な暑さ」という表現を恨めしく思いました。

さらに、記録的な暑さと、ひでりの為に、大地も灼けてカラカラ状態が続いた後、お盆前から降り始めた雨は、時ならぬ長雨となり、九州、そして、こちら広島県、さらには、日本列島に居座って、各地で大きな被害をもたらしました。        

 それにしても、すごい雨量で、数年前の西日本豪雨の時の雨量をはるかに超えての、激しく、長い大雨…。まるで、天地自然が何かに怒っているかの様な気象現象…人間の仕業しわざの傲慢さを叱るかの如くにも思えました。
我が家も、家の前の路地裏の通路の一部が川の様になって、予め用意していた小さな土嚢を置いて床下浸水をしのぎ、まんじりともせず、一夜を明かした事もありました。 

それらに加えて、コロナウイルスは、尚も私共の身に危険を及ぼし続け、それぞれ、我が身を守る事で精一杯の様な日々が続いている大変な時に、私ごときの「えん罪ブログ」を皆様に読んで頂きたい等とは…申し訳無いと言う思いがしております

考えてみますと、近年の、この異常気象等は、随分前より言われてきた事で、最近は、それが、より顕著になって、さまざまな被害が拡大して来たものだろうと思います。

以前のブログで触れた、数か月前から季節を間違えて咲いた野菊の事や、毎年咲かせていた月見草が例年よりかなり早く咲き始め、いつも9月末頃まで咲き続けているのに、今年は8月半ば過ぎには、ほぼ咲き終わろうとしています。季節が早く進みすぎ…。

又、我が家のすぐ近くのお宅の、庭の古い松の木の中の2本と、生け垣の一部が、7月の「危険な暑さ」と、水不足だったせいでしょうか、枝葉が枯れて仕舞っています。そして、朝のウォーキング中にも、暑さにやられて、枯れ尽くした様な草々をよく見かけます。

     草々も萎へし我が身も夏のはて   ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録④

(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残して置きたいと言う思いから書き綴っています。)

 ところで、前号で触れましたが、留置場では(検察も、そうだったのですが)、食事のあと、刑務官が、「お茶にしますか?白湯にしますか?」と、1人1人注文を聞いて回って、差し入れてくれるのですが…聞いていると、たいがい「白湯」を注文している様でした。

私は、日本茶が好きで、最初は、お茶を何回か頼んで飲みました。しかし、房の中は薄暗くて、お茶の色も確認できませんが、とにかく、薄い番茶?で、ほとんどお茶の味はしない様なものでした。 そんな訳で、白湯を飲むことにした訳ですが、(後に気がつきましたが、中に、留置場馴れ?した人でしょう、たまにコーヒーを頼む人が居たような…。これは、実費を払えば(ツケ●●で)飲めたのではないかと思います。)白湯と言っても、飲んでみると、これが仲々…大変おいしいと言う事を知りました。

それと、たまたまでしょうが、朝10時からの刑事の取り調べ(お金を盗っていないのに盗った事にしろと言う、ひたすら自白させる為のもの)の初めに、刑事が「お茶かコーヒー…飲むか?」と聞くので、嫌な刑事に、悔しくも躊躇しながら、「すみませんがお茶を飲みたいです。」と言うと、自販機で買ってくるのでしょうか?おいしいお茶(玉露?)を差し入れて飲ませてくれ、格別おいしく感じたものでした、取り調べの内容は別にして…。
 ※特上にぎりか、カツ丼?でも頼めば良かった…。    次号へ続く

夏の疲れがこれから出ます。くれぐれもお体ご自愛下さい。  煙石 博

2021年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.08.01   「華麗なる一家?」 ◇改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録③◇

2021.08.01   「華麗なる一家?」 ◇改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録③◇

 前号(7月1日)「季節外れの野菊が咲きました。」で、例年だと、10月、11月に咲く筈の、私が育てている野菊の2株が、5月半ばから咲き始め、今もまだ咲き残っていますが…咲き急いだのは、よもや、そのあとの、例年にない梅雨のありようや、さらに、過激すぎる夏の到来…、そして、そのあとの猛烈な激暑の夏の事を予知していたのかも…、と思ったりするところです。この後の季節がどうなって行くのか…。

 ところで、新型コロナの為に、私もそうですが、長い間、外で飲んだり、外食の回数が減っていましたが、だからと言って、その分、お金が残っているかと言うと、そうでは無い…のは?…。そういえば、お金の事を『御足(おあし)』とも言って、足が付いておりました。…しかし、足が付いているだけでは無く、私には、羽根も付いていると思えてなりません。
 外食について思い返してみますと、私共、戦後昭和生まれにとって、昔々の外食は、家族に目出度い事があったり、給料やボーナスが入った時の、一家団欒の晴れの行事。
 しかし、飽食の時代となった今では、外食は日常的なものとなって、それはそれで有難く仕合わせな事だと思いますが、新型コロナの影響で、そんな生活スタイルが変わり、我が家でも、家での食事が多くなりました。特に、夕食のメニューは、焼き飯、焼き肉、焼きそば、カップ麺等に加えて、時々、テイクアウトのものが食卓に…。そして、これらに、レトルトカレーもメニューに加えると、有名ホテルのカレーや、銀座や新宿や神田のカレー、北海道の札幌スープカレー、青森のリンゴカレー、お肉屋さんのカレー、老舗洋食カレー、松阪牛や飛騨牛カレー等と、色々あって、カレーも、強力なメニューとなってきました。「インド人は、毎日でもカレーを食べているんだ」と、しょっちゅう、おいしくいただいて、愉しんでおります。

 そんなカレーメニューが多くなった我が家の食卓で、私が家族に言った言葉が「我が家は『華麗なる一族』ならぬ『カレーなる一家』だね」。…対して、「古いねぇ~」と言う家族のリアクション。コロナのお陰で、カレーライスを食べる事が増え、『華麗なる一族』を思い出すと言うのも、(鶴田浩二風に)「私も、古い奴でございます。」そして、加齢なる男でもありましょうか…。 思い出せば、昔々、1970年代初め、高度経済成長を背景に、大富豪の銀行一族の華麗なる姿を描いた、山崎豊子の「華麗なる一族」と言う長編経済小説がベストセラーとなり、ドラマ化、映画化もされて、大ヒットした事もありましたが、昭和は、遠くなりにけり…です。 ところで、今年は、借りた狭い空き地に、秘かに育てて来た大待宵草(月見草)が、超激暑に耐え、とてもよく咲き続けてくれています。
 夜9時頃咲いて、翌日昼前に、一夜の命を終わります。7月下旬、朝7時の写真です。

   夜遊びの星を仰ぎし月見草    ひろし

        改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録③

これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。


  さて、広島検察庁(広島市中区基町)の地下留置場は、泊まれる部屋は無さそうで、上階に居る検事の取り調べを待つ待機場でした。
 市内の留置場に入っている容疑者は、朝10時に、ここに護送されて、いつ取り調べがあるのか、何の説明も無いまま、不安のうちに、自分の番号を呼ばれるのを、イライラしながら待たされ続ける場所でした。5時間以上待たされた事もありました。
 仕切りの壁が無い、鉄格子だけで仕切られた各ブースには、少しのシートスペースがありますが、6人か7人が、一緒の鉄格子に入れられるものですから、対面状態になって、私の顔を知っている人が居たらどうしようと、陰鬱な気分になりました。
出来るだけ隅っこで目立たない様にしていましたが、中のひとり、20歳位の若い兄ちゃんが、私に、「おじさんは、何でここに連れて来られたん?」と、問いかけてきました。他の者も居て、私に視線が集まってもいる様だし、どう答えていいか困りながら、仕方なく、「金を盗っとらんのに、盗ったと言われとるんじゃが、あんたに説明する必要は無い。」臆する事は無いのですが、その場から逃げ出したい思いでいっぱいでした。
 又、この検察庁は、近年、新築された建物なので、南署と違い、トイレは洋式だったと思いますが、トイレットペーパーは、その都度頼んで受け取り、用を足せば返却を求められました。勿論、注文する時も返却する時も、私の声は、他の人にも聞こえる訳で…、注文したのは一度だけでしたが、とても恥ずかしい思いでした。(用を足している様子は、上半身が、外からも見えます。)
 そして、弁当の食事を済ませた後など、刑務官?が、各鉄格子内へ「お茶にしますか?白湯(さゆ)にしますか?」と、声を掛けて回ります。私は、いつもの様に「白湯をお願いします。」と、白湯を頼みますが(何故、白湯にするかは、次の号で説明します。)他の者も、たいがい、白湯を頼んでおりました。)、私の隣の鉄格子の兄ちゃん(ここに来る事には慣れた風な、中年前のお兄さん)が、刑務官に「お茶にしますか?白湯にしますか?」と、問われて、少し声高に「白湯‼。満タン‼」…上級者?ベテラン?恐れ入りました。

 それから、これは、留置場を出て、かなり後になって判った事ですが、ものものしい護送車は、容疑者の私共を乗せて街中を走ります。(各警察署の留置場と検察庁間を護送。)当然、他の一般車と並んで走りますが、車高の高いトラックや、通勤バスとも、隣り合わせになったり、信号待ちで並んで停車します。すると、私の方から、向こうの車の運転手や、通勤バスの乗客が全部見えます。…こちらから見えると言う事は、向こうからも、こちらの私が見られていると思って、護送車の中では、精一杯身を縮め、顔を伏せ、人目を避ける様にして、辛い体勢で乗っていました。
 ところが、後で、その心配は全く必要がない事を知りました。
 と言いますのは、後に、日常生活に戻った時、時折り、見覚えのある警察の護送車を見かけると、複雑で辛い思いに駆られますが、よく見ると、こちら側からは、プライバシー保護の為の特殊フィルムが貼ってあるのか、外から、車内が全く見えない様になっていました。ヤレヤレ…。そんな訳ですから、あってはなりませんが、皆さんが、万が一にでも護送車に乗る様な事があった時、堂々と乗って、護送されて下さい?   ――続く―― 

   バナナ熟れ団塊世代高齢化    ひろし
   八月や殊に命をたっとびぬ      ひろし

 地獄の釜の蓋が(私も見た事はありませんが)壊れた様な激暑、炎熱地獄、… 呉々も、お身体ご自愛なさって下さい。
                            煙石 博

2021年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.7.1 季節外れの野菊が咲きました。改めて、四畳半独房日記・その補足・備忘録②

 数年にわたって、苛酷で厳しい気候不順が続いていますが、俳句を趣味にしている私としても、最近は、とにかく穏やかで優しい日本の美しい四季の姿が戻ってきて欲しいと願うばかりです。 荒々しい天候不順の中で、時折、季節を間違えて咲く花を見たりしますと、草花が戸惑いながらも、懸命に生きている姿を垣間見る思いがしたりします。

 実は、私は、家のまわり等の狭い余地で、今は、余り見かける事が少なくなった野紺菊(のこんぎく)・野菊や、大待宵草(月見草)等を育てて?密かに愉しんでいますが、例年、10月過ぎに咲いている野菊の数株が、今年は、5月の初めに蕾を付け、5月半ば頃から咲き始めて、夏の昼顔と一緒に咲きました。(このブログ原稿を書いている6月25日、昼顔の花は、盛りを過ぎたようですが、この野菊は、まだまだ咲き続けています。)  
下記の写真は、6月半ば頃の昼顔と小菊の写真です。

花には、それぞれに、春夏秋冬の四季という、ほぼ決まったお座敷があるのに、例年、秋に咲いている小菊の一部が、季節を違(たが)えて、昼顔と一緒に咲こうとは…。
例えれば、お座敷を間違えた小菊姐さん(こぎくねえさん)か…。
   昼顔の座敷とられて菊の酒?   冗句ジョーク
   (朝顔に釣瓶つるべとられてもらひ水  千代女)
   昼顔の恋は短き花の宴   ひろし

改めて、四畳半独房日記・その補足・備忘録②

これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。

 留置場を出されて検察等に移送される時は、勿論、手錠、腰縄を付けられて、朝、何人かが、物々しい感じの護送車(小型のマイクロバス)に乗せられて移送されます。

 南区宇品の南警察署から中区基町の検察庁まで、途中、富士見町の東警察署(現在は、広島駅の北へ移転しており、跡地には、ヒルトンホテルの新築工事が行われています。)や、中央警察署等に立ち寄って、検察庁に向かいます。
 身に覚えが無いのに、突然、逮捕されて 留置場に入れられた私は、二晩一睡も出来ませんでしたが、三日目の朝、検察、裁判所に送られました。

 前の日の夕方に、刑務官から「明日は、検察庁と裁判所に行ってもらうが、手錠をかけた部分を隠す布と、顔を隠す布があるので、明日の朝までに、いるか、いらないか、考えておく様に」と言われました。 
…テレビでよく見る、留置場から出て来る容疑者の姿が、何度も思い起こされて、恐ろしくもなるし、一晩中悩み続けて…迷いに迷い…いくら考えても結論が出ませんでした。
 翌朝、9時前に、鉄格子から出される時にも、まだ決断がつきません。手錠をかけられた数人が、鉄格子の外で等間隔に並ばされた時…、「そうか!私はお金を盗っていないのだから、卑屈になる事も、臆する事も無い。堂々と署を出て、護送車に乗ってやろう!と…一大決断をして「手錠を隠す布も、顔を隠す布もいりません‼」と、刑務官に伝えました。

 ところが、ところが、南警察署を出て、護送車に乗る時も、護送車が南警察署を出る時も、私が想像して恐れたマスコミのカメラは、一台もありません。しかも、途中、立ち寄った東警察署、そして、中央署を経由して、最後に基町の検察庁に到着するのですが、マスコミの取材に会う事も無く、護送車は、検察庁の裏側にある地下へのスロープを下って庁内に入り、何事も無く?鉄格子が幾つもある留置場に入れられました。
   ―続く―

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

 ところで、これは、本当に思いがけない事だったのですが、少し嬉しく驚いた事でしたので、ご報告までに書かせて頂きます。
 我が家では、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」を、よく見ますが、6月18日(金)の夜(翌朝、再放送されました)の放送を見ていると、25分位の所で、「裁判で、勝訴や無罪の紙を持って走っている人って誰?」というテーマになって、その時使われた映像3例のうち、その最後の所で、「世間の注目度が高い裁判」という見出しが出て、私共が、2017年3月10日、最高裁での逆転無罪判決を勝ちとった直後、私の無罪を勝ちとって下さった久保豊年弁護士と、「煙石博の無罪を勝ちとる会」の会長、そして私が、最高裁判所前で「無罪」の布を持った、あのシーンが放映されました。わずか5秒でしたが、本当に思いがけない映像を見せられ、…一瞬、嬉しく驚きました。
あれから4年になりますが、当時の事が鮮明によみがえります。
私共が、皆様のご支援を頂いて闘った冤罪裁判の逆転無罪は、私の後に、私のような被害者を出さない為にも、大変に意義ある事だと思うところです。改めて、皆様のご支援にお礼を申し上げます。有難うございました。深謝。

※上の写真は、幕末の黒船騒動の頃に渡来したと言われる、北米原産の大待宵草(オオマツヨイグサ)。一般では、月見草とも呼ばれて親しまれていますが、竹久夢二の「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ~」と歌われた宵待草は、この花。
又、太宰治宵待草と書いたのも、このオオマツヨイグサだったのでしょう。
この花も、今年の開花が早く、最初の花が咲いたのは、6月16日朝、一株だけ、雨の中で咲いていました。この株は、今も咲き続けています。
ちなみに、この花は、夜の8時過ぎに咲き初め、10時頃咲き揃って夜を咲き続けますが、花の命は、翌日の昼過ぎ…。
     一夜ひとよさの夢見心地の月見草   ひろし

皆様のご健康をお祈りしています。    煙石 博 

2021年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.6.1   改めて、四畳半独房日記・その補足・プロローグに続く備忘録①

2021.6.1   改めて、四畳半独房日記・その補足・プロローグに続く備忘録①
 
 人間と言うのは、善いにつけ悪いにつけ、自分あっての自分だと思いますが、今のご時世、多くの人が、我が身の事だけで精一杯。それが既に危険水域を越えているのではないかと思えて来そうな…。

 すべてが疫病コロナ禍の嵐の中で、とても過去の平穏な社会の時とは違い、私共は心の余裕がないまま、社会のありようや、さまざまな出来事に対して、仲々、心が及ばない心理状態にもなっているのではないかと思え、…憂慮したりもしています。
世の中、早く心穏やかな日々へ向かってくれないものかと願うばかりです。

 ところで、異常気象と言うのも今さらと思われそうな程、病いでいえば、現代は慢性化した異常気象の中にある様な…。
 今年も、4月1日の「ふるいけや…」のブログに書きましたが、春先から季節は先を急ぎ、何に急かされているのか、何かの意思でもあるかの如く、急ぎ足の移ろいの中にある様な気がしています。
 思い出せば桜の開花も随分早く、広島が全国一早くて3月11日でした。
 また身の周りの花々は、「咲き急ぎ、散り急いで」来ている様です。

 更に、今年の梅雨入りは異常に早く、広島は5月11日で3週間くらい早く、広島に夏を告げる祭(毎年、6月初めの行事で、浴衣着初めの祭「とうかさん」の声も聞かないのに、梅雨入りした様な塩梅です。
 穏やかならぬ気候が続き、麗しく、優しい日本の気候を忘れてしまいそうです。

   疫病蔓延古色蒼然梅雨にる  ひろし 

 さて、思い出したくない私の留置場での記憶ですが、忘れてしまう前に補足の備忘録として、書かせて頂きます。

 私の場合、冷静に振り返ってみると、刑事は、私が窃盗犯ではあり得ない無実の証拠や事実があるにも関わらず、それをあえて無視したかのような無茶苦茶な犯行ストーリーを作っていました。 それは、一般の常識では理解できない、窃盗犯に仕立て上げる為の犯行ストーリーでした。

 その上で、突然の逮捕となった事になりますが、何故、そんな犯罪にも等しい事をやったのか、私には全く理解出来ません。
 それにしても、七度ななたび生まれ変わっても許せない事です。

 私は、突然の逮捕に気が動転したまま、何が何だか理解出来ない状態で、広島県警南警察署に連行されましたが、手錠をかけられて、南署員の前を歩かされた屈辱感の中…気が付けば、鉄格子の中に押し込まれていました。
とに角、何も悪い事をしていないのに、身に覚えが無いのに、頭の中は理不尽に逮捕・連行された「怒り」と、社会からいきなり引き剝がされて「孤立した」という不安が加わって、真暗闇の混乱状態…。

 孤独と恐怖に震えながら、勿論、私は、お金を盗っていませんから、この時も、私が濡れ衣を着せられて、あってはならない悲劇の冤罪に巻き込まれているとは思ってもおらず、「何かの間違いだから、よく説明すれば、判ってもらえるだろう」と思っておりました。

 私は13号の独房に入れられて、勾留28日間、名前を呼ばれる事は無く「13号」と呼ばれる事となりました。(2012.10.11(木)~2012.11.7(水))

   13号と呼ばれ時雨しぐるる鉄格子   ひろし
   「開錠」と房の復唱冬隣ふゆどなり     ひろし

 「13号」については、奇妙な共通点を発見をしました。それは、私と同じ冤罪被害者、元厚生労働省次官の村木厚子さんも、大阪拘置所で、13番(こちらは“号”ではなく“番”でしたが…)という番号が与えられたそうです。

 南署の留置場での房は、6つか7つ位あって、私が入れられていた房は、入口の方から、1号、2号、そして3号があったのかどうか定かでありませんが、4号は無くて(“4”の数字は避けてあるのか…)、その次に、私が入れられた13号の独房があり、その向こうに5号、6号…、7号があったかどうか…。
これらの事は、囚われの身の私がチェックする訳にもいきませんので、この程度しか書けません。

 ところで、留置場から連行される容疑者が、やつれ顔で無精髭を伸ばしたまま連行されるのを、TVニュースで見る事がありますが、体験者の私は、そんなシーンにとても複雑な思いが広がって、悲しくなってしまいます。

 少々話が逸れるかも知れませんが、やつれ顔については、房の中では、眠れる環境や状況でないのが理由だと、ほとんどの方が思われると思います。
 無精髭については、髭を剃る余裕がない事もありますが、私の場合はそれだけが理由ではありませんでした。

 房の中に持ち込めるのは、原則として、全ての物が制限されており、ひと巻きのトイレットペーパーと、毛布1枚だけが与えられます。夜はこの毛布に敷布団一枚を与えられて、寝ていました。 枕やタオルも与えられず、枕に顔をうずめて窒息や、タオルで首をくくるといった事が無いように…ではないかと思ったりします。

 髭を剃ろうにも、当然の事、カミソリは凶器になるとして、使わせてもらう事はできません。
 電気カミソリを使えなくもないのですが、凶器にならない指定されたものを購入するか、共同使用できる、1つの電気カミソリを借りて使うかのどちらかでした。
 共同使用のものは、狭いベランダ通路の出入り口辺りに置かれているもので、毎朝、順に与えられる「ベランダ通路のウオーキング」(20分位)の時しか使えません。
しかも、それを使う前には消毒液を使って、自分でカミソリ部分などを消毒して使わないといけないので、何となくそれが嫌で、電気カミソリを使う事を諦めて、髭をそのまま伸ばす事に決めました。

28日間の拘留を終えて、髭が伸びたまま保釈され、我が家に帰った時の、私のスナップ写真です。久しぶりの我が家は、やはりホッとするものでした。

【写真】

 私は中学・高校時代から、(故)森繫久彌さんが好きで、特に高校の放送部時代は、NHKラジオの、森繫さんの「日曜名作座」を必死で聞いて、勉強させて頂きました。

そんな訳で、晩年の森繫久彌さんの髭に雰囲気的にも似ている気がして、そのままでいようかと思いましたが、家族から「お父さんの髭は、胡散臭そうに見えるから」と言われ、28日間の怒りと苦しみを共にした、涙の髭をそり落としました…。

 皆様のご健康と、コロナの終息を願うばかりです。

   ひと夜さの星を我がもの立葵   ひろし
   広島の白さも白き夾竹桃     ひろし

煙石 博

2021年5月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
            ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
                 ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

 3月の終わり頃でしたか、新聞の小さな記事で「村木元次官が講演」と言う見出しが目に入りました。
 元厚生労働省次官の村木厚子さんが、北海道札幌市で講演されたと言う記事でしたが、村木さんと言えば、検事の証拠改ざんによって冤罪事件に巻き込まれ、数少ない無罪判決を勝ちとった冤罪の被害者。数年前に、広島弁護士会館で、村木さんの講演を聞かせて頂きましたが、お元気のご様子でした。
 又、先日、4月10日には、NHKのEテレで、村木さんと、警察小説の第一人者、今野敏さんとの対談特集では、冤罪事件の体験談を話していらっしゃるのも見て、改めて怒りを覚えました。(番組サイトはコチラ

 そして、その約1週間後、日本テレビ系列「NNNドキュメント」という番組で、「濡れ衣・闘い続ける余命1年」という、茨城県利根町布川で起きた布川ふかわ事件の冤罪被害者の1人、桜井昌司さんの苦難の道のりを見ました。(番組サイトはコチラ) …憤りと共に、無罪となったあとの闘いや、彼の勇気にも敬服し、冤罪を少しでも少なくする為に、闘い続けて欲しいと思いました。

 ところで、私も、忌まわしい体験の真実を残しておきたいと、このブログを綴って来ましたが、冤罪の濡れ衣を着せられたのは、2012年10月11日(木)で、8年余り前の話になります。

 人間には、嫌な事は早く忘れて仕舞いたいとする自己防衛本能があるらしく、その忘れて仕舞いたいとする本能に抵抗する事は、心が重く、辛い事だと自覚しているところです。

 しかし、時と共に忘れて仕舞う前に、もう少し、備忘録として残しておきたい事も…と言う思いもあり「四畳半独房日記」の補足をもう少し…と言いながら、思い出して書こうとする度、気が重くなって、仲々、筆が進みませんでした。

               改めて、四畳半独房日記の補足・備忘録

 まずは、そのプロローグです。

 2012年10月11日(木)、朝9時過ぎ、突然やって来た刑事2人の1人、T刑事と、置き忘れられたと決めつけた金を、盗った盗らないで、2時間にも渉る激しい口論の末、もう1人のM刑事が、大きなリュックサックのチャックを開け、「逮捕状」と手書きされた茶封筒(A4サイズ位)の文字を見せて、逮捕状の呈示もなく、手錠をかけ「11時30分!煙石博を逮捕する!」と言って、広島南警察署に連行しようとしました。

 私には全く身に覚えの無い事で、斯くなる上は、署に行って盗ってない事を説明・主張すれば判ってもらえるだろうと覚悟を決め、仕方なくワゴン車に乗りました。妻も同行させて下さいと言ったのですが、「奥さんは乗せる訳にはいかない」と、拒否されました。
 南署は家の近くですから、妻には自転車で付いて来る様に頼み南署に向かったですが…。
 私は、ワゴン車の中で手錠をかけられた様に記憶していますが、手錠姿の私は、そのまま署の留置場に入れられて、妻と引き離されて会わせてもらえませんでした。
 私は最初から、起訴される事が約束された被疑者として、留置場に入れられる段取りとなっていたのです。

 ワゴン車で南署に連行された私は、刑事に引っ張られる様にして、留置場に続いている南署の取り調べ室らしき所に連行されるのですが、そこに行く途中、強烈に脳裏に焼き付いている記憶があります。
 それは、突然、有無を言わせず、強引に手錠をかけられて、何が何だか気が動転している私を、多くの署員(?)が見ている職場(執務室?)の前を歩かされました。
 私は、定年までRCCのアナウンサーとして働いていたので、RCCの煙石さんだと気づく署員も多いのではないか…手錠をかけられた私の姿を見られている…どうしよう…どうしようと思っても、どうしようも無い恥辱。目から火の出る様な思いに、頭も混乱し、気も動転して、これまでに経験した事も無い絶望感と屈辱…。
 今思いますのに、江戸時代、罪人を、まちなかを引き回して、さらし者にした「市中、引き回しの上…」と言うくだりを読んだ事がありますが、それは、手錠をかけられた姿を人前に晒す事によって、心理的な打撃、ダメージを与える為に計算された事だったのでは無いかと思えてなりません。

 取り調べ室に入れられた時の事は、何が何だか判らぬままで、記憶も、かなり飛んでしまっています。私の盗っていない説明等、全く聞かれる事も無く、調書の様なものをとられて、手錠をかけられたまま、すぐ近くの鉄格子の扉が開けられ、数メートル位の廊下を連行されました。
 そして、その先にある、またもう一つの鉄格子が開けられて、留置場に入り、さらに、少し歩かされて、13号の鉄格子の中へ、押し込まれる様に入れられました。

 今、思い出しても、いや、思い出したくも無い事ですが、思い出しても辛く…苦しい…具合が悪くなりそうな…絶望の淵へ突き落された様な精神状態でした。私は、まだ取り調べもされていないのに、南警察署の留置場(のちに、刑務官から、聞きもしないのに「ここは、代用監獄と言うんです」と、ご丁寧な説明を受けた。)に…、金を盗っていないのに、28日も留置される事になりました。


            あってはならない、信じられない刑事のウソとデッチ上げ

◎最初から、防犯カメラの映像に証拠が映っていると言って逮捕したのに、裁判になって…広島高裁での裁判では、私の方が、専門の鑑定業者に映像鑑定してもらうと、私が封筒に触れていない事が判った。

◎置き忘れられたとする封筒を手にして、場所を変え、金を抜き盗ったと決めつけていながら、封筒にも、封筒の中に残されていた所有者の住所、氏名が書いてある税金の納入書にも、私の指紋は全く付いていない事が判っていた筈なのに…逮捕した

◎「左手で左胸のポケットに、盗った金をねじ込んだ」と言って逮捕したのに、銀行に着て行ったシャツは、珍しくポケットの無い、半そで、アロハタイプの開襟シャツであった。

◎私は、盗っていないので、いくら金が入っていたかは全く知りませんから「なくなった金は、いくらですか」と聞くと、「言う訳にはいかない」と教えてくれず、いくら金が入っていたのかは、何回目かの取り調べの合間に、ポリグラフ(ウソ発見器のようなもので、事件に関する内容についての質問に、全て「いいえ」と答えるテスト)の検査の時、66,600円の、現金の内訳に関する質問で、金額を知る事になる。
◎取り調べは、全く取り調べではなく、私がいくら盗ってない事を説明しても、すべて聞き入れてくれず、「お前は、ウソばかり言っている!マスコミが報道したから、世間の人はお前を窃盗犯だと思っているんだ!!」等と言ったりして、私の無実の説明を調書に書いてもくれない。とにかく、最初から、刑事は、辻褄の合わない、私の窃盗ストーリを作文していて、何が何でも、強引に、それを認めさせ様とする有罪結論ありきのものだった。
◎最後に、私がお金を盗っていなかった事を証明したのに、刑事らは、なぜ真犯人を捜そうともしないのか?何故、事件を解決しようとしないのか…。

 以上、再び、憤りながら、今後も、私の様な冤罪被害者を出さない為にも、勇気を出して、真実を綴らせて頂きました。私の思いがミミズのたわごととならず、ご支援下されば幸いだと思います。そして、もうひとつ、私の事件に関わった警察、刑事らは、私が失った、さまざまなものや、失った人権などに対して、謝罪もなく、反省の言葉もないのは、無責任で、今後の為にも、あってはならない事ではないかと思っていますが…納得出来ないところです。

 この続きは次号で綴ります。

   越へ行かむ辛苦の坂を青嵐あおあらし   ひろし
   憂ひ事あるやにバナナ湾曲す   ひろし

 くれぐれもお体ご自愛下さい。

煙石 博

2021年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.4.1 ふるいけや・・・「銀輪は父の形見や楠若葉」

2021.4.1 ふるいけや・・・「銀輪は父の形見や楠若葉」

 世の中は相変わらずコロナ禍の混乱の中にあって、昔の様に、何とか穏やかな日常のライフスタイルを取り戻せないものかという、いらだちや、不安が募る日々が続いている様です。

 こんな中で、私事の66,600円の冤罪事件の事は、もう過去の出来事といいますか、風に吹かれた一本の毛の様な…。その昔、松尾芭蕉が詠んだ「古池や蛙飛び込む水の音」と言う俳句がありましたが、私の頭の中では「古い毛や風に吹かれて飛んでった」…、嗚呼…むなしい寂しいと言う思いです。

 そんな思いの中で、先日、家内と二人で、お昼にタクシーに乗りました。
 私が「近い所で申し訳ないのですが〇〇までお願いします。」と言うと、運転手さんは「いえいえ、どんなに近くても乗って頂けるだけで有り難いです。」と即答されました。「…あっ、そうか。長いコロナ禍の中で、タクシー業界も乗客が激減して、苦しい状態なんだ。」と、ハッとした事です。
 しばらく間があって「煙石さんでしょ?」「はい、そうです。」と答えると、「煙石さんの放送、いつも愉しませてもらっていました。」と言う話から…「それにしても、煙石さんは、本当にひどい目にあわれましたね。」という話の流れになって、私は、たまたま乗った乗客ではなく、あってはいけない66,600円の冤罪窃盗事件の真実を訴える語り部と相成りました。

 本当に、今思い起こしても、許せない出来事で、これは、私だけの問題ではない。他人事(ひとごと)にしてはいけない。明日、誰の身にでも降りかかって来る、とんでもない事だったんだと、改めて思います。

 思えば、私が、銀行の小さなローカル支店の狭いロビーで、封筒の中に入っていたとされた66,600円を盗ったとされた時、取り調べもされていないのに、テレビは、当日夕方と翌日、新聞は翌日。マスコミ各社は、警察発表をそのまま報じ、あえて『私達』、としますが、家族も親族も…私の知人、友人も、大変な人権被害や迷惑をこうむりました。のちに、当時の新聞記事を見ると、大きな見出しで、「中国放送元アナ銀行で置き引き」「元中国放送アナ置引容疑で逮捕」「中国放送元アナ 置き引き容疑」等と、記事にされており、「置き引き」と言う、何か妙な懐かしさを覚える用語と言うか、時代がかった用語に出合って、改めて辞書を開いてみました。

  置き引き → 待合室などで、置いてある他人の荷物を盗み去る事。
         置いてある他人の荷物をこっそりと、持ち逃げする事。

とあります。

 えらい体験をした私の気持ちから言えば、信用と信頼は充分あったつもりの私であっても、ひと度、マスコミに報じられると、もうダメです。
 マスコミにお願いするとしたら、事件報道の際には、警察発表をそのまま報じるのではなく、自らの足で取材を重ね、ウラを取り、出来る限り真実に近づいた内容を報じて欲しいと思います。特に私のような事件に関しては、その後の取材結果を伝え、裁判になれば、その裁判の経過を正しく伝えていく事も必要であるとも思います。
 そして、万が一、その報道が冤罪であれば、その被害者の人権回復に責任をもって頂く事も必要ではないかと、お願いを込めて…思っております。

 ところで、私の過去のブログ「2020.12.1 出汐町、比治山 そして旧陸軍被服支廠の事など…(記事はこちら→クリック)」や「2021.2.1 あの楠は歴史の語り部だった事(記事はこちら→クリック)」で取り上げた、楠と被服支廠をウオーキングの途中、写真に撮りました。



■1枚目の写真は、戦後残った旧陸軍被服支廠です。
 県立広島工業高校正門の右横より撮影。

◎写真の奥、向こうまで3棟、さらに、そこより、東へ2棟あります。
◎被服支廠の正門は、写真の建物手前、こちら側の右横あたりでした。




■2枚目の写真は、奥は県立広島工業高校の正門です。
 県立広島皆実高校正門へ向かう共同通学路の入り口より撮影。

◎写真の奥、突き当りに県工の正門とキャンパスがあって、そこから更に左に向かうと、皆実高校の正門とキャンパスがあります。
◎ここに写っている残された大きな楠は、戦後しばらく3本あって、今は向こう側の一本が伐られて、2本になっていますが、この楠の辺りに被爆前、皆実神社、伊勢神宮の分祠があって、その境内にあった神木の楠の様です。

※楠の左下に停めてある銀輪は、私の愛車(自転車)です。私の父の形見の自転車です。
◎右手奥に旧陸軍被服支廠の屋根が見えます。そして、右の白いフェンスの右向こう(表通りに面した位置)が、新しい広島県警南警察署となる用地です。

 フェンスに取り付けてあった建築計画のお知らせ表示板には「着工予定・令和3年11月。完了予定・令和5年7月31日」とあって「地上5階、地下1階 新築その他工事」とありました。ふと思うに、新しい署庁にも、勿論、私が28日不当勾留されていた、嫌だった留置場も、何処かにつくられると言う事でしょう…。

 思い出したくもない留置場での記憶は、以前『2016.11.15 思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記  孤独と恐怖の留置場』のブログから、『2017.4.13 思い出せば怒り!その10 四畳半独房記 続 驚きの信じられない検察の対応』まで、として、7回にわたって書き留めておりますが、他にも、その時の非日常の世界の、おかしな体験を、近いうちに、もう少し書き残したいと思っております。

↓ ↓ ↓ 四畳半独房記 その4~その10はコチラです。 ↓ ↓ ↓

2016.11.15 思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記
http://enseki.noor.jp/?p=2794 ← をクリック

2016年12月1日  思い出せば・・・怒り!その5 四畳半独房記 不安は増すばかり!!
http://enseki.noor.jp/?p=2809 ← をクリック

2017年1月15日  思い出せば・・・怒り! その6四畳半独房記 長い一日
http://enseki.noor.jp/?p=2934 ← をクリック

2017年1月27日  思い出せば・怒り! その7『四畳半独房記』 取り調べではない恐怖の自白の強要
http://enseki.noor.jp/?p=2945 ← をクリック

2017年4月3日 思い出せば・怒り! その8四畳半独房記 続:恐怖の取り調べ
http://enseki.noor.jp/?p=3326 ← をクリック

2017年4月8日 思い出せば・怒り! その9四畳半独房記 驚きの信じられない検察の対応
http://enseki.noor.jp/?p=3328 ← をクリック

2017.4.13 思い出せば怒り!その10 四畳半独房記
http://enseki.noor.jp/?p=3331 ← をクリック

 ところで、こちら西日本では、この冬は暖冬で、2月半ば頃からの早春よりこれまで、早くから暖かい日が多く、例年の様な季節の移ろいが急ぎ足で春本番へ向かった様な気がします。

   ウイルスの不安の空を燕來る   ひろし

 長い間、俳人の目で季節の移ろいを観察して来た私も、これらの事に、いささか、とまどっておりますが、桜の開花も随分早く、広島が3月11日と、全国で一番早く、観測史上2番目に早い開花となりました。そんな、急ぎ足の季節の移ろいのせいかどうか、春先からの、水仙、梅、椿、白木蓮、桃、馬酔木(あせび)、桜、山吹、等々…例年なら、それぞれ、咲く順番が何となくあって、それに従う様に咲いて、季節が進んで行くのが見えていましたが、今年は、ほとんどの花々が、例年の様な開花の順ではなく、そんな順とは関係なく、それぞれが、懸命に、「早く咲き始め、あわただしく花を散らして仕舞ったような」異様な感じすらしました。
 これは、私の、一人よがりの観察結果であれば…申し訳ありませんが…。
 とに角、「咲き急ぎ、散り急いで来た」様な気がしています。

 そんな、季節の移ろいの中にあって、私共人間も、知らない内に、心身共にバランスを崩していく事もありうるのではないかと憂慮しています。
 終息の見えないコロナ禍の不安や、イライラ、ストレスも重なっています。呉々も、お身体ご自愛、ご大切になさって下さい。

※今年も、広島市南区の花の山比治山と、桜吹雪の中の冨士見展望台にある正岡子規の「鶯の口の先なり三萬戸」の句碑を訪ね、毎年、立ち寄るのですが、陸軍墓地にお参りさせて頂きました
拙句ですが、

   花の冷え散りし兵士の墓数多あまた   ひろし
   花万朶はなばんだ五濁ごじょく悪世あくせの淵へ喝     ひろし

煙石 博

2021年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021年3月1日  悟りは脚下にあり! 「コロナに足をすくわれてたまるか‼」

2021年3月1日    悟りは脚下にあり! 「コロナに足をすくわれてたまるか‼」


 コロナに振り回され続けて、随分長いような…。いや、思い返してみると、日本でのその話の始まりは、まだ1年余り前の事なのに、とても、長い時間の経過を感じます。

 そう言えば、昨年の旧正月、1月25日より前。どうも、中国の武漢という所で、新型コロナウイルスによる感染症が発生し、次第に大変な状況になっている事がニュースで報じられていましたが、その後、よもや、世界中をこんなに震撼させる大疫病騒ぎになろうとは…。

 また、同じ頃、ダイヤモンドプリンセス号の乗客から罹患者が発見されてからの混乱も、日本人には、まだ対岸の火事、他人事ひとごとと言う感じであった事も思い出します。

 街中にマスク姿が増えたので、2020年4月1日の私のブログのタイトルも、『ムーンライト・マスクマン…月光仮面…コロナはクルナ!!』とあり(2020年4月1日のブログを読む)、その後、よもや、今の様な展開になろうとは全く思っておりませんでした。今や、あの手この手のコロナ対策が、1日も早く功を奏する事を願うばかりです。

 とにかく、この様な、混乱に混乱の中で、ふと思う事に、「脚下照顧」…まず、自分の足元を見て、自分の事を戒めなければならないという禅の言葉だと思いますが、この言葉から、私流の思いに解釈し、「悟りは脚下にあり」で、この様な混乱の時にこそ、脚下をしっかりと見据えて、冷静沈着な心で、身の周りの出来事を、大所高所から見る物差しで計らなければならないと思ったりするところです。

 しかし、この混乱と不安の世の中で、「うろたえてはいけない」と思いつつ、「思慮深く…思慮深く…」と、自らに言い聞かせながらも、実は私も、うろたえているのではないかと自信がありません。

     真直ぐなる覚悟真白き雪中花  ひろし

 本当に、日本も世界も、われわれは、コロナ、コロナに心を奪われ、心乱されて、混乱状態にあるとしか見えません。果たして、もの事も正常なる判断がなされているのか…、そして行くのか…。不安な気持ちでいるのは、私だけで無ければ「共感相和す」とでもいう、表現が出来るかどうか…不安な思いの慰めにしたいところです。

 そういえば、餅まきに参加した時、投げる人の方ばかり見上げていては、餅は拾えない。ひたすら、最初から、自分の足元あたりをしっかり見ていれば、落ちた餅が転がって来て、沢山拾う事ができます。

     春近し千辛万苦せんしんばんく越へ行かむ  ひろし

 ところで、前号(2021.2.1.あの楠は歴史の語り部だった事。「丹那橋に行ってきたんよ」…?)で、南区出汐町に新築される広島県警南警察署の工事が、まもなく始まるでしょうと書きましたが、先日、ウオーキングの時、よく見ると「広島南警察署庁新築その他工事のお知らせ」という掲示があって、「着工予定・令和3年11月1日。完了予定・令和5年7月31日」とありました。(2021年2月1日のブログを読む

 着工は、今年の秋頃よりという事のようです。

 それと、私の冤罪事件が、少し前、日刊現代の1月9日付と、1月16日付けの紙面に掲載されました。[前編]と[後編]の紙面を添付させていただきます。(クリックすると拡大されます。)

 アフターコロナ等といいますが、早くコロナ禍が収まって、人と人との輪、そして、人とのよき絆のある日常が帰って来る事を願います。

 お身体、くれぐれもご自愛なさってください。              煙石博

日刊ゲンダイ 2021年1月9日掲載分
日刊ゲンダイ 2021年1月9日掲載分
2021年2月28日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2020.2.1  あの楠は歴史の語り部だった事 。 「丹那橋たんなばしに行って来たんよ。」…?

2021年2月1日  あの楠は歴史の語り部だった事 。 「丹那橋たんなばしに行って来たんよ。」…?

 前号(2021年1月1日)で、日刊ゲンダイ(駅の売店やコンビニで販売)の1月9日(土)付けに続き、1月16日(土)付けの紙面、「『告白』あの事件の当事者」の中で「煙石博アナ窃盗冤罪事件」として私の冤罪事件が掲載されました。まだお読みになっていらっしゃらない方がありましたら、日刊ゲンダイDIGITALのサイト、「政治・社会>事件」にある「『告白』あの事件の当事者」(https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/3416でしばらくの間、読んで頂く事ができます。
 (直接リンクはコチラ → 煙石博アナ窃盗冤罪事件 前編
            → 煙石博アナ窃盗冤罪事件 後編

 それと、もうひとつ、去年11月26日(木)に、私の最高裁逆転無罪を勝ちとって下さった弁護士の久保豊年先生が、広島弁護士会主催の「市民法律講座」の第3回で、「有罪率99.9%の壁~元アナウンサー最高裁逆転判決を素材に~」と題して話をされ、日本の司法制度の問題点を指摘されましたが、私も少し話をさせて頂きました。この模様が12月6日(日)のTSSテレビ新広島のニュースで伝えられました。


 ところで、昨年2020年12月1日のブログ「出汐町、比治山、そして旧陸軍被服支廠の事など…」の所で、県立広島皆実高校と県立広島工業高校の正門に続く通学路にある、楠の大樹2本について少し書きました。あれは、被服支廠が出来た頃植えられた様で、被爆前まであった皆実神社、伊
 ところで、昨年2020年12月1日のブログ「出汐町、比治山、そして旧陸軍被服支廠の事など…」の所で、県立広島皆実高校と県立広島工業高校の正門に続く通学路にある、楠の大樹2本について少し書きました。あれは、被服支廠が出来た頃植えられた様で、被爆前まであった皆実神社、伊勢神宮分祠の境内に植えられていた神木で、その残された2本(終戦後3本残されて、後に1本伐られ、現在は2本が残されているもの)であった事を綴りました。

 実は、昨年の暮れ、たまたま、中区の袋町小学校の所にある市民交流プラザのロビーで開かれていた、被服支廠の写真展を見ました。それがきっかけで、戦前、母親が出汐町の被服支廠に勤めていたと言う女性から、被服支廠には、働く女性の為に保育園もあって、ご自身もそこに預けられていた様でしたから、伺ってみると、確かに、その神社は、被服支廠の入り口の近くにあった様で、多くの人が、社のある左側に向かって参拝して入っていた事を話して下さいました。
 それを知った私も、改めて、かの大樹の下にって仰ぎ見ると、時代の風雪に耐えて成長してきた楠が、とても重い何かを語りかけて来る様な思いがして目頭が熱くなりました。

 この訳知り顔でもある楠の大樹に、これから先の、なお良き広島の平和な未来を見届けて欲しいと願うばかりですが、少年時代、あの辺りでも遊んでいた私も、子供心ながら、あんな場所に何故あんなに大きな楠があるのか…気に掛かってもいたものですから、積年の謎が解けた様な気持ちで、改めて、歴史の重みを感じるところです。

 考えてみれば、あの辺りは、その昔、海が埋め立てられて出来た、何も無い新開地だったでしょうから、そこに出来た、当時、日本の最新技術をもって造られた洋風レンガ造りの鉄筋コンクリートの建物は、際立つ存在の建造物群でもあった事でしょう。

 つまり、その正門辺りにあった神社の境内に植えられ…戦後、2本だけ今に残された楠は、明治、大正に続く昭和の戦前、戦中、さらに被爆、終戦、そして、その後の長かった昭和の戦後復興から、今日に至る歴史に身を委ねて来た貴重な語り部でもあった訳です。

     水仙や空いっぱいにちぎれ雲   ひろし

 さてさて、これは、前のブログでも触れましたが、この楠のすぐ西側の大通りに面した辺りに、私が、不当逮捕・勾留された広島県警南警察署が移転する事になっていて、昨年末に平地にされ、まもなく、南警察署の新築工事が始まる様です。

 さらば…丹那たんなの南署…となる訳ですが、私は、埋め立てられた丹那に南警察署が出来る以前の、父や母の愛にも似た、優しく豊かだった海があった事を知っている者です。そこは、少年時代の遊び場でもあったふる里の良き思い出あふれる地であったのですが、今となっては、今ある南署の建物が無くなっても、少年時代のかけがえの無い思い出を壊されたばかりでなく、むしろ、私にとっては消す事の出来ない悪夢の蘇る所となりました。それも、私が受けた大きな人生の心のキズと共に、生涯癒される事は無く、唇を噛む無念な思いが残るところです。

 今、南署がある丹那の土手あたりは、一般には、格好のウォーキングコースでもあり、私も定年後のウォーキングコースのひとつにしておりましたが、私は、この南署に不当勾留された忌まわしい体験によって、あれ以後、あの辺りを遠くから見るだけでも、今でも怒りと憤りが込み上げ、大変、不愉快で具合が悪くなりそうです。
 あれから8年経ちましたが、今でも、今の南署辺りには1センチたりとも近寄りたくないダーティーゾーンである事に変わりありません。

     風花や悲嘆に暮れし日もくや     ひろし

 これは、酔余の夜咄になりましょうか…、昔、友人と一緒に立ち寄ったスタンド(飲み屋)で、聞くとはなく聞いたのですが、常連らしきお客さん二人がこんな会話をしていました。

 男性A「あんたあ(貴方は)、顔を見んかったが、どうしとったんや(何をしていたのか)。具合でも悪かったんかいの?」

 男性B「いやいや、体は悪うないんじゃが、ちょっと、丹那橋に行って来たんよ。」

 丹那橋は、私の家の近くある橋の名前だったもので、それを、こんな意外な所で耳にした私は… 「丹那橋に行って来たんよ」とは…?ハテ…?
 そのあと、2人は、何かお金の事で、ああだこうだと、ヒソヒソ話をしていた様でしたが、「丹那橋に行って来た」という意味が理解出来ませんでした。
 賢明な皆様は、ピンと察しが付かれたかと思いますが、私が南署の留置所に入れられた事で、それが理解出来ました。

 つまり、丹那橋は南署のそばにありますから、そこの留置所に入っていたと言いたくないので、「丹那橋に行って来た」という表現にした、隠語?・合言葉だったのではないかと想像するところです。蛇足ながら、南署が移転した後は、この「丹那橋に行って来た」と言う隠語に代わって、何か新しい言葉が生まれる…のかどうか…。

     風はまだ冷たく香り梅日和      ひろし

 コロナが早く収まってくれる事を願うばかりです。お身体大切にご自愛下さいますように。

                                 煙石 博

2021年2月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021年1月1日  牛根性・モウ根性     黎明の富士に始まる初暦   ひろし

2021年1月1日  牛根性・モウ根性     黎明の富士に始まる初暦   ひろし

 新しき年の始めに…、と書き始めて、ふと思うのですが、考えてみると、何が新しいのか、昨日も今日も、そして明日も、同じ毎日が続いて行くだけの事であり、それを人が作った暦で『新年』と押し付けられても、新しくも何とも無い…とは思いますが、1日の始まりは、お天道様が昇る処から始まって、その日を無事過ごさせて頂き、そのお天道様が、必ず沈む事によって、とりあえず1日の終わりを教えられる訳です。

 それがなければ、それこそ、ひとりの人間が眠る事無く、ず~っと起き続け…働かされるとなると、これは、たまらない。日が昇り、日が沈むと言う、大きな自然の摂理の中に日々生かされていると言うお陰を感じ、その日々の積み重ねの先にある365日と言う1年の括りは、生きている限り、前に向かって歩いて行く為の一里塚の様なものか…。

しばしば、引用されますが、時代変わっても、今の私共に思いが伝わって来る、一休禅師の狂歌と、高浜虚子の俳句が思い出されます。

  門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし   一休
  去年こぞ今年ことし貫く棒の如きもの  虚子

 何はともあれ、新しい年を迎え、明けましておめでとうございます。
昨年は、本当に、コロナに振り回された1年でしたが、今年は、何とか早くこれを乗り越えて、平穏な日常が戻って来る事を望むばかりです。
 昔、若い人達が、「あけましておめでとうございます」を「あけおめ」と、つづめて使って、その言葉が一時とびかった事があったのも…遠い昔の話になりますが、定着しなかった様で…。 私は、昔、逢う人ごとに「あけましておめでとうございます」と言うお決まりの挨拶に疲れ…「あけましておめでとうございます」と挨拶された方へ、その人の気を引こうと、「あけたら…閉めてください」と返して、相手の冷たいリアクションを、ひとり楽しんでいた事もありました。
 ところで、今年は丑年。今では「子・丑・寅…」の、十二支を言えない若者も多くなっている様でもあり、丑年だからどうと言うものではありませんが、この十二支の干支が、毎年変わるので、変わり映えのしない新年が「今年は丑年かぁ…。」と、何となく、心新たに迎える一年の始まりを意識させられるようでもあります。
 只、干支は社会生活に関係ないので、すぐに、今年の干支が何だったか忘れてしまって、「今年の干支は何でしたかねぇ。」と聞かれて、えと・・だけに?…。」と、答えに窮したりして…。

 余談ですが、昔々、街角の易者の、「丑年生まれの人は~、辛抱強く、根気よく、言葉少なく、信用もあり、スローに過ぎるが玉にキズなり。牛根性、モウ根性、テコでも動かないのが丑年生まれの人~」という口上を思い出す私は、やはり、「古いヤツ…ですなぁ~」 

それにしても大変な正月になったもんで、色々、自粛要請に従ったコロナ禍の正月ではありますが、考えてみますと、正月も時代と共に姿を変えて来ました。
 昭和21年(1946年)生まれの私が子供の頃は、戦後の貧しい時代でしたから、日々の食事も本当に貧しいもので、ご馳走を食べるのは、盆と正月くらいなものでした。
 ですから、正月は、おふくろが作った質素なおせちでしたが、それは、非日常の、晴れの大ご馳走…。のちに、それを経験しているお年寄り…は、「今頃は、毎日、盆と正月が来た様なご馳走を食うとる」と言っていました。また、正月の3日、肉の少ないスキヤキでしたが、『スキヤキ』が出た時には、飛び上らんばかりのご馳走でした。

 又、正月がレジャー化し始めたのは、のちの高度成長期からだった様な…。それまでは、家か近場で、静かに過ごす正月で、たまに、1月3日に映画に連れて行ってもらった記憶があります。

 ともかくも、今年は、コロナを意識しての不自由な正月ではありますが、ふと『寝正月』という言葉を思い出しました。思い返してみると、昔の新年は、自らをリセットして、心新たに「1年の計は、元旦にあり!」と、年ごとに、再出発を心掛けようとする正月でもあったような。しかし、時代変わって、長らくレジャー化し、慌ただしく賑やかな正月に慣れてきましたので、ここで「寝正月」と言うと、懐かしく古めかしい正月スタイルの様にも感じる処です。 「地獄極楽は心にあり」…心の持ち方ひとつ…心の持ちようで、古典的な?『寝正月』もまた、至福の新年。佳き一年のはじめとしたいものです。 「1年の計は、元旦にあり!」何か懐かしい言葉、と思う方は、いらっしゃいませんか。今や「1年の計は…簡単である!?」
酔余の句です。

    酒あらば鬼に金棒寝正月    ひろし
    父母も猫も祖父母も寝正月   ひろし
    朝酒ののちは至福の寝正月   ひろし (笑)
 ※「食べてすぐ寝ると牛になるよ~(笑)」と、子供の頃、よく言われませんでしたか?
 丑年で思い出しましたが、こんな狂歌もあったような…。

   この世をばしと思えばつらけれどと思えば食うてもみたし


  ニュース
●『日刊ゲンダイ』の紙面で、私の冤罪事件が、今のところ予定ですが、1月9日(土)と、翌週1月16日(土)、前・後2回にわたって記事になる予定です。(ひょっとすると、少し後になるかも知れませんが)

●私の冤罪を、記事で支援して下さった『冤罪File』、しばらく店頭に出てなくて、心配していましたが、昨年の年末に、本屋さんで、よく調べて頂きましたところ、1月末に、次号が出る予定と分かりました。ペンの力を期待しています


最後になりますが、新年の私の年賀状を掲載いたします。

今年は、人類の叡智を集め、何としてもコロナを乗り越え、平穏な世界が戻って欲しいと祈るばかりです。

今年は、人類の叡智を集め、何としてもコロナを乗り越え、平穏な世界が戻って欲しいと祈るばかりです。

2020年12月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien