2024.4.1「3月10日は最高裁無罪判決の日…あれから7年」独房記㉕二度目の人生地獄。

2024.4.1「3月10日は最高裁無罪判決の日…あれから7年」独房記㉕二度目の人生地獄。

 齢と共に、月日の流れが早い事に、益々、無常観を深めている私ですが、身に覚えの無い濡れ衣をきせられ、冤罪に巻き込まれた私にとって、何年経っても、あの出来事は許されない事であり、悔しくて、その憤りは、埋み火(うずみび)の様に消す事の出来ないものである事を認識するところです。
 そんな想いの中で、私の事件は既に昔の話になっている訳ですが、…躊躇ちゅうちょしながらブログを書いています。

 事件があったとされた(とにかく、警察官のとんでもない、でっち上げによるものでした)2012年9月24日と、お金を盗っていないのに、確たる証拠も無いのに不当逮捕された2012年10月11日。そして、4年5ヵ月の苦難の法廷闘争の末、無罪を勝ち取れた2017年3月10日は、私にとって、それぞれ、消し去る事の出来ない日…です。
 そんな訳で、毎年やって来る9月24日、10月11日、3月10日。つまり毎年、嫌な思いで迎える9月、10月、そして、冤罪を晴らす事が出来た3月も、言ってみれば、お金を盗っていない訳で、もともと無罪で当たり前なんですから、複雑な思いで、迎えているのが真実、本音のところです。

 そんな、今や、ただの私事として迎えた今年の3月10日に、若い頃から深いご縁もあり、お世話になって来た方から、メールと写真が届きました。それが「あれから7年」とあった下の写真ですが、今や懐かしく、心癒される?ワンシーンでしょうか…。

ありがとうございました。

 最高裁判所前の、本当にホッとした私の表情が改めて見てとれます。そして、99.9%有罪と言う日本の司法の厚い壁に立ち向かって、奇跡と言われる最高裁の無罪判決を勝ち取った弁護士の久保豊年先生の、大きな荷物を下ろされた様な安堵の表情…。さらに、私の中学校時代からの親友で、これまで、色々な方のお世話をして、人助けして来られた佐伯さんも、私のえん罪に心を痛め、「煙石博の無罪を勝ちとる会」の会長を引き受けてくれ、支援して下さいましたが、その佐伯さんの大役を終えた安堵の表情が、今では懐かしく…私も、元気を出さなければと、励まされます。多くの皆様のご支援、本当にありがとうご座居ました。お陰様で、何とか、元気で頑張っております。

     雪冤せつえんの落花は眩し惜しみなく     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録㉕「人生2度生きた地獄の5年」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

「疑わしきは罰せず」とは、犯罪を行なったと言う事が証明されなければ、有罪を言い渡してはいけないと言う法律上の原則ですが、私の体験してきた真実は、疑わしくも無い私を、犯人に仕立て上げ様とする、警察官、検察官、裁判官の全く理不尽で、非情な行為に泣かされたものでした。

 広島南警察署の留置場の中で、限られた時間だけ与えられた筆記用具に、憤りを込めて必死に書き殴った様な、当時のメモがありますが、その最後の日のワンカットです。

 とにもかくにも、有無を言わさず、ジェットコースターに乗せられ、あっと言う間に、この世の果ての非日常の世界に突き落とされた留置場の独居房であった。人は皆、喜怒哀楽を纏って生きているが、ここでは、涙の種にも、まだなれない、路頭に迷った悲しみと、「蜘蛛の糸」の薄暗い地獄の底で、悲愴な怒りがドロドロしているだけの、刻が止まった日々が過ぎて行った。その毎日は、晴れようと、曇ろうと、雨が降ろうと、風が吹こうと、この世から一切置き去りにされた、人間ではない自分があるのみの、28日間であった。

 取り敢えず、保釈金を払って、何とかこの世の娑婆(しゃば)に戻って来る事は出来たものの、心は晴れない。心は重い。これから冤罪と言う濡れ衣を、薄皮を剥がす如く、一枚一枚剥がしていかなければならない。その大変さすら想像がつかない。気の遠くなる闘いが始まるようだ。』

と、ありました。それから5年近くにわたる、家族もろとも、多くの皆さんを巻き込んでの苦節の日々が続きました。

 冤罪は、凶器なき殺人。私は65歳の時、この冤罪に突き落とされましたが、思えば、その時、一度命を失い、その後5年は、2度目の人生を生きた地獄の5年だった様な…。

     混迷の痛ましき世を散る桜     ひろし

 ところで、日本は恵みの雨の多い国。早春から春が往くまで、結構雨が降ります。
 ・春の霖雨(りんう・幾日か天気がぐずつき、降り続く春雨)
 ・木の芽起こしの雨(このめおこしの雨・木の芽が芽立つ頃の春雨)
 ・菜種梅雨(なたねづゆ・3月下旬から4月にかけてでしょう 菜の花が盛りの頃に降り続く春雨)
 ・催花雨(さいかう・桜が咲き出す頃に振る春雨)
 ・茅花流し(つばなながし・チガヤは、葉に先立って花穂を伸ばし白い穂になるが、それを散らす様な雨・戦後昭和の貧しき幼年時代に、このチガヤの若い穂を摘んで口に入れ、ガムの様な感触を愉しんだ思い出あり)
 ・筍梅雨(たけのこづゆ・筍が生える時期の雨模様、この雨で、筍が良く育つ)

     顔洗ふ猫葉桜の下を得て     ひろし

そして、来る5月は、好天に恵まれ、薫風・風薫る月。青葉、若葉に若いエネルギーを分けてもらいたいものです。
 何はともあれ、異常気象の影響かどうか、何となく、気分がシャキッとしない様な(春愁・しゅんしゅう?)のせいかも…)。 お身体ご自愛下さい。    煙石 博

2024年3月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2024.3.1「佳き花の季節を…」。四畳半独房日記・備忘録㉔ 「憤りの遣(や)り場もない。」

2024.3.1「佳き花の季節を…」。四畳半独房日記・備忘録㉔ 「憤りの遣(や)り場もない。」

 今年も早いもので、もう、弥生3月になりました。昔は、よく、「1月去(い)ぬる、2月逃げる、3月去(さ)ると言いますが、今年も、もう…」等と使われていた表現…。最近は、余り耳にしなくなった様で、戦後昭和時代までの、レトロな表現のひとつになりましょうか。

 それにしても、近年は、良くない事が相次ぎ、「諸行無常」の非情なるものを身に沁みて感じているところですが、事件や事故等も、人の世で起きる事が、これまで以上の悲しみや怒りを感じ、許しがたいものが多い様に思います。

 また、日本の気候をみても、春夏秋冬の季節の移ろいも尋常ではなく、異常過ぎて、意地悪く、じゅんならん(備後福山弁で、手に負えない、乱暴な。じゅんならん子→悪ガキ)、儘ならないのも、私共の深層心理に、何らかの影響を及ぼしていなければいいが、と思ったりする所です。

 何はともあれ、暖冬気味だった、こちら広島の冬でしたが、春本番に向かう2月、3月…思い出す事に、私のおふくろが、「寒い寒い思ぅたら、お水取りじゃねぇ。水取りが終らんにゃぁ、ぬくうはならんよ」と言っていた言葉を思い出します。(暖かいお水取りの年もありますが、だいたい、お水取りの頃、最後の寒さらしきものがやって来る様です。)

その昔から、関西に春を告げると言われてきた、奈良東大寺二月堂の修二会の行事、クライマックスの、おたいまつと、御水取りの行事は、3月12日夜です。

 この稿を書いている今、今年はどうだかわかりませんが、例年、その頃までに、寒さの程度はあれ、最後の寒さがやって来て、その後は、一気に春本番に向かう事が多かった様に思います。
 これから、平穏な、佳き花の季節となる事を心より願います。

     西行の春死なむ頃花を酌む     ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録㉔ 「憤りの遣(や)り場もない。」
(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。)

 本格的な春に向けて、心なごむ時期ではありますが、世の中を見ていると、昔の平和な時代と比べると、何か随分違った、騒然とした空気を感じるのは、神経質な私の杞憂である事を祈りますが、マスコミが時折り伝える、えん罪?なのかどうか、そんな事件にかかわる様なニュースは、今でも目に付き、私と同じ苦しみの被疑者では無いかと、心配しています。
 と言いますも、弱き身の私が体験した、とんでもない警察官や、広島地裁の検事の言葉が脳裏に焼き付いているからです。
 その一部を書きますと、刑事の取り調べは、取り調べではなく、もともと、私が盗った証拠も無いのに、防犯カメラの映像に、お金を盗ったところが映っていると、(実際には、お金を盗っている映像は無いのに)ウソを言って、自白を強要するばかりでした。記憶とメモに残している断片的な言葉を少し書いてみます。

「裁判をしても、日本の司法は、99%有罪になるんだ!!
「死ぬまで裁判をする事になるんじゃ!!。裁判をして、人生を棒に振った者が、よけぇ(たくさん)おるんじゃ。
「あんたは(お前は)、絶対に有罪!!刑務所行きじゃ。
「あんたが盗んでいないと言うのは、あんたの勝手。自由。言うだけ言えぇ~。なんぼぅ言うても(いくら言っても)、お前は金をとっとる。」
マスコミが報道したけぇ、世間は、あんた(お前)を、皆、犯人じゃ思うとるんじゃ!!」
「お前は、言う事がコロコロ変わる。お前は頭がおかしゅー(おかしく)なっとるんじゃないの?」
「ウソばかり言うとると、偽証罪になって、罪が重いのを知っとるかっ!!」…
(私は、真実、お金を盗っていないのですから、決してウソは言えません。恐ろしい示談誘導に脅え(おびえ)ながら必死で抵抗しました。)

 今振り返ってみても、刑事は、最初から、辻褄もあわない犯罪ストーリーを強引につくり上げておいて、何が何でも犯人にしてしまおうと言う…全く取り調べではなく、終始一貫、私を犯人に仕立て上げようとする、強引で恐ろしいものでした。

 私は、天地神明に誓って、絶対にお金を盗っていないのに…自白を強要されるばかりでした。
 証拠も無いのに、私を66,600円の窃盗犯にでっち上げた警察官は許されないし、検事は検事で、それを認めて、つまり盗った事にして、「66,600円にイロをつけて(のちに、言葉は、66,600円に少し足してと言う表現に変えたと思いますが…)、10万円を払えば済む事です」と…示談を勧めるばかり。
又、防犯カメラに映っている映像を私にはみせないで、「私は、ゆうべも防犯カメラの映像を何回も見たが、貴方は、間違い無くお金を盗っている。」等と、嚇(おど)す様な事を言って、示談を強要され、そんな恐ろしい示談誘導に脅(おび)えました。(私は、お金を盗ってないのですから、防犯カメラの映像に、そんなシーンがあろう筈も無いのですのに)。

 今振り返ってみても、理不尽な悪い権力と、ヘトヘトになりながら、よくぞ精いっぱい逃げ回ったものだと思います。

 本当に、無駄な力を使わされ…精も根も尽き果てました。今でも、憤りの遣り場もありません。

     切り開く他なし明日へ春の里     ひろし

2024年3月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien