煙石博のブログ

煙石博さんはある日突然に謂われなき罪に問われ、苦しんでいます
この苦しみは彼一人だけではなく、家族の皆さんも地獄の苦しみを
味わっています
このブログでは、その時々の彼の思いを綴っています

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2021.9.1 夏のはて、改めて四畳半独房日記・備忘録④「お茶にしますか?白湯さゆにしますか?

2021.9.1 夏のはて、改めて四畳半独房日記・備忘録④「お茶にしますか?白湯さゆにしますか?
 
今年の梅雨明けは例年より早く、7月初めに思い切りよく?と言いますか、スッキリ明けたのは良かったのですが、いきなり30℃を越える激暑の日々が始まり、肌を射られるような陽射しに加えて、大変不快で異常な蒸し暑さに、心身共にへばってしまいましたが、天気予報で連発される「危険な暑さ」という表現を恨めしく思いました。

さらに、記録的な暑さと、ひでりの為に、大地も灼けてカラカラ状態が続いた後、お盆前から降り始めた雨は、時ならぬ長雨となり、九州、そして、こちら広島県、さらには、日本列島に居座って、各地で大きな被害をもたらしました。        

 それにしても、すごい雨量で、数年前の西日本豪雨の時の雨量をはるかに超えての、激しく、長い大雨…。まるで、天地自然が何かに怒っているかの様な気象現象…人間の仕業しわざの傲慢さを叱るかの如くにも思えました。
我が家も、家の前の路地裏の通路の一部が川の様になって、予め用意していた小さな土嚢を置いて床下浸水をしのぎ、まんじりともせず、一夜を明かした事もありました。 

それらに加えて、コロナウイルスは、尚も私共の身に危険を及ぼし続け、それぞれ、我が身を守る事で精一杯の様な日々が続いている大変な時に、私ごときの「えん罪ブログ」を皆様に読んで頂きたい等とは…申し訳無いと言う思いがしております

考えてみますと、近年の、この異常気象等は、随分前より言われてきた事で、最近は、それが、より顕著になって、さまざまな被害が拡大して来たものだろうと思います。

以前のブログで触れた、数か月前から季節を間違えて咲いた野菊の事や、毎年咲かせていた月見草が例年よりかなり早く咲き始め、いつも9月末頃まで咲き続けているのに、今年は8月半ば過ぎには、ほぼ咲き終わろうとしています。季節が早く進みすぎ…。

又、我が家のすぐ近くのお宅の、庭の古い松の木の中の2本と、生け垣の一部が、7月の「危険な暑さ」と、水不足だったせいでしょうか、枝葉が枯れて仕舞っています。そして、朝のウォーキング中にも、暑さにやられて、枯れ尽くした様な草々をよく見かけます。

     草々も萎へし我が身も夏のはて   ひろし

改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録④

(これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残して置きたいと言う思いから書き綴っています。)

 ところで、前号で触れましたが、留置場では(検察も、そうだったのですが)、食事のあと、刑務官が、「お茶にしますか?白湯にしますか?」と、1人1人注文を聞いて回って、差し入れてくれるのですが…聞いていると、たいがい「白湯」を注文している様でした。

私は、日本茶が好きで、最初は、お茶を何回か頼んで飲みました。しかし、房の中は薄暗くて、お茶の色も確認できませんが、とにかく、薄い番茶?で、ほとんどお茶の味はしない様なものでした。 そんな訳で、白湯を飲むことにした訳ですが、(後に気がつきましたが、中に、留置場馴れ?した人でしょう、たまにコーヒーを頼む人が居たような…。これは、実費を払えば(ツケ●●で)飲めたのではないかと思います。)白湯と言っても、飲んでみると、これが仲々…大変おいしいと言う事を知りました。

それと、たまたまでしょうが、朝10時からの刑事の取り調べ(お金を盗っていないのに盗った事にしろと言う、ひたすら自白させる為のもの)の初めに、刑事が「お茶かコーヒー…飲むか?」と聞くので、嫌な刑事に、悔しくも躊躇しながら、「すみませんがお茶を飲みたいです。」と言うと、自販機で買ってくるのでしょうか?おいしいお茶(玉露?)を差し入れて飲ませてくれ、格別おいしく感じたものでした、取り調べの内容は別にして…。
 ※特上にぎりか、カツ丼?でも頼めば良かった…。    次号へ続く

夏の疲れがこれから出ます。くれぐれもお体ご自愛下さい。  煙石 博

2021年8月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.08.01   「華麗なる一家?」 ◇改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録③◇

2021.08.01   「華麗なる一家?」 ◇改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録③◇

 前号(7月1日)「季節外れの野菊が咲きました。」で、例年だと、10月、11月に咲く筈の、私が育てている野菊の2株が、5月半ばから咲き始め、今もまだ咲き残っていますが…咲き急いだのは、よもや、そのあとの、例年にない梅雨のありようや、さらに、過激すぎる夏の到来…、そして、そのあとの猛烈な激暑の夏の事を予知していたのかも…、と思ったりするところです。この後の季節がどうなって行くのか…。

 ところで、新型コロナの為に、私もそうですが、長い間、外で飲んだり、外食の回数が減っていましたが、だからと言って、その分、お金が残っているかと言うと、そうでは無い…のは?…。そういえば、お金の事を『御足(おあし)』とも言って、足が付いておりました。…しかし、足が付いているだけでは無く、私には、羽根も付いていると思えてなりません。
 外食について思い返してみますと、私共、戦後昭和生まれにとって、昔々の外食は、家族に目出度い事があったり、給料やボーナスが入った時の、一家団欒の晴れの行事。
 しかし、飽食の時代となった今では、外食は日常的なものとなって、それはそれで有難く仕合わせな事だと思いますが、新型コロナの影響で、そんな生活スタイルが変わり、我が家でも、家での食事が多くなりました。特に、夕食のメニューは、焼き飯、焼き肉、焼きそば、カップ麺等に加えて、時々、テイクアウトのものが食卓に…。そして、これらに、レトルトカレーもメニューに加えると、有名ホテルのカレーや、銀座や新宿や神田のカレー、北海道の札幌スープカレー、青森のリンゴカレー、お肉屋さんのカレー、老舗洋食カレー、松阪牛や飛騨牛カレー等と、色々あって、カレーも、強力なメニューとなってきました。「インド人は、毎日でもカレーを食べているんだ」と、しょっちゅう、おいしくいただいて、愉しんでおります。

 そんなカレーメニューが多くなった我が家の食卓で、私が家族に言った言葉が「我が家は『華麗なる一族』ならぬ『カレーなる一家』だね」。…対して、「古いねぇ~」と言う家族のリアクション。コロナのお陰で、カレーライスを食べる事が増え、『華麗なる一族』を思い出すと言うのも、(鶴田浩二風に)「私も、古い奴でございます。」そして、加齢なる男でもありましょうか…。 思い出せば、昔々、1970年代初め、高度経済成長を背景に、大富豪の銀行一族の華麗なる姿を描いた、山崎豊子の「華麗なる一族」と言う長編経済小説がベストセラーとなり、ドラマ化、映画化もされて、大ヒットした事もありましたが、昭和は、遠くなりにけり…です。 ところで、今年は、借りた狭い空き地に、秘かに育てて来た大待宵草(月見草)が、超激暑に耐え、とてもよく咲き続けてくれています。
 夜9時頃咲いて、翌日昼前に、一夜の命を終わります。7月下旬、朝7時の写真です。

   夜遊びの星を仰ぎし月見草    ひろし

        改めて、四畳半独房日記・補足・備忘録③

これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。


  さて、広島検察庁(広島市中区基町)の地下留置場は、泊まれる部屋は無さそうで、上階に居る検事の取り調べを待つ待機場でした。
 市内の留置場に入っている容疑者は、朝10時に、ここに護送されて、いつ取り調べがあるのか、何の説明も無いまま、不安のうちに、自分の番号を呼ばれるのを、イライラしながら待たされ続ける場所でした。5時間以上待たされた事もありました。
 仕切りの壁が無い、鉄格子だけで仕切られた各ブースには、少しのシートスペースがありますが、6人か7人が、一緒の鉄格子に入れられるものですから、対面状態になって、私の顔を知っている人が居たらどうしようと、陰鬱な気分になりました。
出来るだけ隅っこで目立たない様にしていましたが、中のひとり、20歳位の若い兄ちゃんが、私に、「おじさんは、何でここに連れて来られたん?」と、問いかけてきました。他の者も居て、私に視線が集まってもいる様だし、どう答えていいか困りながら、仕方なく、「金を盗っとらんのに、盗ったと言われとるんじゃが、あんたに説明する必要は無い。」臆する事は無いのですが、その場から逃げ出したい思いでいっぱいでした。
 又、この検察庁は、近年、新築された建物なので、南署と違い、トイレは洋式だったと思いますが、トイレットペーパーは、その都度頼んで受け取り、用を足せば返却を求められました。勿論、注文する時も返却する時も、私の声は、他の人にも聞こえる訳で…、注文したのは一度だけでしたが、とても恥ずかしい思いでした。(用を足している様子は、上半身が、外からも見えます。)
 そして、弁当の食事を済ませた後など、刑務官?が、各鉄格子内へ「お茶にしますか?白湯(さゆ)にしますか?」と、声を掛けて回ります。私は、いつもの様に「白湯をお願いします。」と、白湯を頼みますが(何故、白湯にするかは、次の号で説明します。)他の者も、たいがい、白湯を頼んでおりました。)、私の隣の鉄格子の兄ちゃん(ここに来る事には慣れた風な、中年前のお兄さん)が、刑務官に「お茶にしますか?白湯にしますか?」と、問われて、少し声高に「白湯‼。満タン‼」…上級者?ベテラン?恐れ入りました。

 それから、これは、留置場を出て、かなり後になって判った事ですが、ものものしい護送車は、容疑者の私共を乗せて街中を走ります。(各警察署の留置場と検察庁間を護送。)当然、他の一般車と並んで走りますが、車高の高いトラックや、通勤バスとも、隣り合わせになったり、信号待ちで並んで停車します。すると、私の方から、向こうの車の運転手や、通勤バスの乗客が全部見えます。…こちらから見えると言う事は、向こうからも、こちらの私が見られていると思って、護送車の中では、精一杯身を縮め、顔を伏せ、人目を避ける様にして、辛い体勢で乗っていました。
 ところが、後で、その心配は全く必要がない事を知りました。
 と言いますのは、後に、日常生活に戻った時、時折り、見覚えのある警察の護送車を見かけると、複雑で辛い思いに駆られますが、よく見ると、こちら側からは、プライバシー保護の為の特殊フィルムが貼ってあるのか、外から、車内が全く見えない様になっていました。ヤレヤレ…。そんな訳ですから、あってはなりませんが、皆さんが、万が一にでも護送車に乗る様な事があった時、堂々と乗って、護送されて下さい?   ――続く―― 

   バナナ熟れ団塊世代高齢化    ひろし
   八月や殊に命をたっとびぬ      ひろし

 地獄の釜の蓋が(私も見た事はありませんが)壊れた様な激暑、炎熱地獄、… 呉々も、お身体ご自愛なさって下さい。
                            煙石 博

2021年7月31日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.7.1 季節外れの野菊が咲きました。改めて、四畳半独房日記・その補足・備忘録②

 数年にわたって、苛酷で厳しい気候不順が続いていますが、俳句を趣味にしている私としても、最近は、とにかく穏やかで優しい日本の美しい四季の姿が戻ってきて欲しいと願うばかりです。 荒々しい天候不順の中で、時折、季節を間違えて咲く花を見たりしますと、草花が戸惑いながらも、懸命に生きている姿を垣間見る思いがしたりします。

 実は、私は、家のまわり等の狭い余地で、今は、余り見かける事が少なくなった野紺菊(のこんぎく)・野菊や、大待宵草(月見草)等を育てて?密かに愉しんでいますが、例年、10月過ぎに咲いている野菊の数株が、今年は、5月の初めに蕾を付け、5月半ば頃から咲き始めて、夏の昼顔と一緒に咲きました。(このブログ原稿を書いている6月25日、昼顔の花は、盛りを過ぎたようですが、この野菊は、まだまだ咲き続けています。)  
下記の写真は、6月半ば頃の昼顔と小菊の写真です。

花には、それぞれに、春夏秋冬の四季という、ほぼ決まったお座敷があるのに、例年、秋に咲いている小菊の一部が、季節を違(たが)えて、昼顔と一緒に咲こうとは…。
例えれば、お座敷を間違えた小菊姐さん(こぎくねえさん)か…。
   昼顔の座敷とられて菊の酒?   冗句ジョーク
   (朝顔に釣瓶つるべとられてもらひ水  千代女)
   昼顔の恋は短き花の宴   ひろし

改めて、四畳半独房日記・その補足・備忘録②

これは、私が体験した特異で嫌な記憶を、正しく記録に残しておきたいと言う思いから書き綴っています。

 留置場を出されて検察等に移送される時は、勿論、手錠、腰縄を付けられて、朝、何人かが、物々しい感じの護送車(小型のマイクロバス)に乗せられて移送されます。

 南区宇品の南警察署から中区基町の検察庁まで、途中、富士見町の東警察署(現在は、広島駅の北へ移転しており、跡地には、ヒルトンホテルの新築工事が行われています。)や、中央警察署等に立ち寄って、検察庁に向かいます。
 身に覚えが無いのに、突然、逮捕されて 留置場に入れられた私は、二晩一睡も出来ませんでしたが、三日目の朝、検察、裁判所に送られました。

 前の日の夕方に、刑務官から「明日は、検察庁と裁判所に行ってもらうが、手錠をかけた部分を隠す布と、顔を隠す布があるので、明日の朝までに、いるか、いらないか、考えておく様に」と言われました。 
…テレビでよく見る、留置場から出て来る容疑者の姿が、何度も思い起こされて、恐ろしくもなるし、一晩中悩み続けて…迷いに迷い…いくら考えても結論が出ませんでした。
 翌朝、9時前に、鉄格子から出される時にも、まだ決断がつきません。手錠をかけられた数人が、鉄格子の外で等間隔に並ばされた時…、「そうか!私はお金を盗っていないのだから、卑屈になる事も、臆する事も無い。堂々と署を出て、護送車に乗ってやろう!と…一大決断をして「手錠を隠す布も、顔を隠す布もいりません‼」と、刑務官に伝えました。

 ところが、ところが、南警察署を出て、護送車に乗る時も、護送車が南警察署を出る時も、私が想像して恐れたマスコミのカメラは、一台もありません。しかも、途中、立ち寄った東警察署、そして、中央署を経由して、最後に基町の検察庁に到着するのですが、マスコミの取材に会う事も無く、護送車は、検察庁の裏側にある地下へのスロープを下って庁内に入り、何事も無く?鉄格子が幾つもある留置場に入れられました。
   ―続く―

―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・

 ところで、これは、本当に思いがけない事だったのですが、少し嬉しく驚いた事でしたので、ご報告までに書かせて頂きます。
 我が家では、NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」を、よく見ますが、6月18日(金)の夜(翌朝、再放送されました)の放送を見ていると、25分位の所で、「裁判で、勝訴や無罪の紙を持って走っている人って誰?」というテーマになって、その時使われた映像3例のうち、その最後の所で、「世間の注目度が高い裁判」という見出しが出て、私共が、2017年3月10日、最高裁での逆転無罪判決を勝ちとった直後、私の無罪を勝ちとって下さった久保豊年弁護士と、「煙石博の無罪を勝ちとる会」の会長、そして私が、最高裁判所前で「無罪」の布を持った、あのシーンが放映されました。わずか5秒でしたが、本当に思いがけない映像を見せられ、…一瞬、嬉しく驚きました。
あれから4年になりますが、当時の事が鮮明によみがえります。
私共が、皆様のご支援を頂いて闘った冤罪裁判の逆転無罪は、私の後に、私のような被害者を出さない為にも、大変に意義ある事だと思うところです。改めて、皆様のご支援にお礼を申し上げます。有難うございました。深謝。

※上の写真は、幕末の黒船騒動の頃に渡来したと言われる、北米原産の大待宵草(オオマツヨイグサ)。一般では、月見草とも呼ばれて親しまれていますが、竹久夢二の「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ~」と歌われた宵待草は、この花。
又、太宰治宵待草と書いたのも、このオオマツヨイグサだったのでしょう。
この花も、今年の開花が早く、最初の花が咲いたのは、6月16日朝、一株だけ、雨の中で咲いていました。この株は、今も咲き続けています。
ちなみに、この花は、夜の8時過ぎに咲き初め、10時頃咲き揃って夜を咲き続けますが、花の命は、翌日の昼過ぎ…。
     一夜ひとよさの夢見心地の月見草   ひろし

皆様のご健康をお祈りしています。    煙石 博 

2021年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021.6.1   改めて、四畳半独房日記・その補足・プロローグに続く備忘録①

2021.6.1   改めて、四畳半独房日記・その補足・プロローグに続く備忘録①
 
 人間と言うのは、善いにつけ悪いにつけ、自分あっての自分だと思いますが、今のご時世、多くの人が、我が身の事だけで精一杯。それが既に危険水域を越えているのではないかと思えて来そうな…。

 すべてが疫病コロナ禍の嵐の中で、とても過去の平穏な社会の時とは違い、私共は心の余裕がないまま、社会のありようや、さまざまな出来事に対して、仲々、心が及ばない心理状態にもなっているのではないかと思え、…憂慮したりもしています。
世の中、早く心穏やかな日々へ向かってくれないものかと願うばかりです。

 ところで、異常気象と言うのも今さらと思われそうな程、病いでいえば、現代は慢性化した異常気象の中にある様な…。
 今年も、4月1日の「ふるいけや…」のブログに書きましたが、春先から季節は先を急ぎ、何に急かされているのか、何かの意思でもあるかの如く、急ぎ足の移ろいの中にある様な気がしています。
 思い出せば桜の開花も随分早く、広島が全国一早くて3月11日でした。
 また身の周りの花々は、「咲き急ぎ、散り急いで」来ている様です。

 更に、今年の梅雨入りは異常に早く、広島は5月11日で3週間くらい早く、広島に夏を告げる祭(毎年、6月初めの行事で、浴衣着初めの祭「とうかさん」の声も聞かないのに、梅雨入りした様な塩梅です。
 穏やかならぬ気候が続き、麗しく、優しい日本の気候を忘れてしまいそうです。

   疫病蔓延古色蒼然梅雨にる  ひろし 

 さて、思い出したくない私の留置場での記憶ですが、忘れてしまう前に補足の備忘録として、書かせて頂きます。

 私の場合、冷静に振り返ってみると、刑事は、私が窃盗犯ではあり得ない無実の証拠や事実があるにも関わらず、それをあえて無視したかのような無茶苦茶な犯行ストーリーを作っていました。 それは、一般の常識では理解できない、窃盗犯に仕立て上げる為の犯行ストーリーでした。

 その上で、突然の逮捕となった事になりますが、何故、そんな犯罪にも等しい事をやったのか、私には全く理解出来ません。
 それにしても、七度ななたび生まれ変わっても許せない事です。

 私は、突然の逮捕に気が動転したまま、何が何だか理解出来ない状態で、広島県警南警察署に連行されましたが、手錠をかけられて、南署員の前を歩かされた屈辱感の中…気が付けば、鉄格子の中に押し込まれていました。
とに角、何も悪い事をしていないのに、身に覚えが無いのに、頭の中は理不尽に逮捕・連行された「怒り」と、社会からいきなり引き剝がされて「孤立した」という不安が加わって、真暗闇の混乱状態…。

 孤独と恐怖に震えながら、勿論、私は、お金を盗っていませんから、この時も、私が濡れ衣を着せられて、あってはならない悲劇の冤罪に巻き込まれているとは思ってもおらず、「何かの間違いだから、よく説明すれば、判ってもらえるだろう」と思っておりました。

 私は13号の独房に入れられて、勾留28日間、名前を呼ばれる事は無く「13号」と呼ばれる事となりました。(2012.10.11(木)~2012.11.7(水))

   13号と呼ばれ時雨しぐるる鉄格子   ひろし
   「開錠」と房の復唱冬隣ふゆどなり     ひろし

 「13号」については、奇妙な共通点を発見をしました。それは、私と同じ冤罪被害者、元厚生労働省次官の村木厚子さんも、大阪拘置所で、13番(こちらは“号”ではなく“番”でしたが…)という番号が与えられたそうです。

 南署の留置場での房は、6つか7つ位あって、私が入れられていた房は、入口の方から、1号、2号、そして3号があったのかどうか定かでありませんが、4号は無くて(“4”の数字は避けてあるのか…)、その次に、私が入れられた13号の独房があり、その向こうに5号、6号…、7号があったかどうか…。
これらの事は、囚われの身の私がチェックする訳にもいきませんので、この程度しか書けません。

 ところで、留置場から連行される容疑者が、やつれ顔で無精髭を伸ばしたまま連行されるのを、TVニュースで見る事がありますが、体験者の私は、そんなシーンにとても複雑な思いが広がって、悲しくなってしまいます。

 少々話が逸れるかも知れませんが、やつれ顔については、房の中では、眠れる環境や状況でないのが理由だと、ほとんどの方が思われると思います。
 無精髭については、髭を剃る余裕がない事もありますが、私の場合はそれだけが理由ではありませんでした。

 房の中に持ち込めるのは、原則として、全ての物が制限されており、ひと巻きのトイレットペーパーと、毛布1枚だけが与えられます。夜はこの毛布に敷布団一枚を与えられて、寝ていました。 枕やタオルも与えられず、枕に顔をうずめて窒息や、タオルで首をくくるといった事が無いように…ではないかと思ったりします。

 髭を剃ろうにも、当然の事、カミソリは凶器になるとして、使わせてもらう事はできません。
 電気カミソリを使えなくもないのですが、凶器にならない指定されたものを購入するか、共同使用できる、1つの電気カミソリを借りて使うかのどちらかでした。
 共同使用のものは、狭いベランダ通路の出入り口辺りに置かれているもので、毎朝、順に与えられる「ベランダ通路のウオーキング」(20分位)の時しか使えません。
しかも、それを使う前には消毒液を使って、自分でカミソリ部分などを消毒して使わないといけないので、何となくそれが嫌で、電気カミソリを使う事を諦めて、髭をそのまま伸ばす事に決めました。

28日間の拘留を終えて、髭が伸びたまま保釈され、我が家に帰った時の、私のスナップ写真です。久しぶりの我が家は、やはりホッとするものでした。

【写真】

 私は中学・高校時代から、(故)森繫久彌さんが好きで、特に高校の放送部時代は、NHKラジオの、森繫さんの「日曜名作座」を必死で聞いて、勉強させて頂きました。

そんな訳で、晩年の森繫久彌さんの髭に雰囲気的にも似ている気がして、そのままでいようかと思いましたが、家族から「お父さんの髭は、胡散臭そうに見えるから」と言われ、28日間の怒りと苦しみを共にした、涙の髭をそり落としました…。

 皆様のご健康と、コロナの終息を願うばかりです。

   ひと夜さの星を我がもの立葵   ひろし
   広島の白さも白き夾竹桃     ひろし

煙石 博

2021年5月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
            ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

2021年5月1日  世は「脱炭素社会」へ…私は乞う!「脱冤罪社会」へ!!
                 ~改めて、四畳半独房日記・その備忘録~

 3月の終わり頃でしたか、新聞の小さな記事で「村木元次官が講演」と言う見出しが目に入りました。
 元厚生労働省次官の村木厚子さんが、北海道札幌市で講演されたと言う記事でしたが、村木さんと言えば、検事の証拠改ざんによって冤罪事件に巻き込まれ、数少ない無罪判決を勝ちとった冤罪の被害者。数年前に、広島弁護士会館で、村木さんの講演を聞かせて頂きましたが、お元気のご様子でした。
 又、先日、4月10日には、NHKのEテレで、村木さんと、警察小説の第一人者、今野敏さんとの対談特集では、冤罪事件の体験談を話していらっしゃるのも見て、改めて怒りを覚えました。(番組サイトはコチラ

 そして、その約1週間後、日本テレビ系列「NNNドキュメント」という番組で、「濡れ衣・闘い続ける余命1年」という、茨城県利根町布川で起きた布川ふかわ事件の冤罪被害者の1人、桜井昌司さんの苦難の道のりを見ました。(番組サイトはコチラ) …憤りと共に、無罪となったあとの闘いや、彼の勇気にも敬服し、冤罪を少しでも少なくする為に、闘い続けて欲しいと思いました。

 ところで、私も、忌まわしい体験の真実を残しておきたいと、このブログを綴って来ましたが、冤罪の濡れ衣を着せられたのは、2012年10月11日(木)で、8年余り前の話になります。

 人間には、嫌な事は早く忘れて仕舞いたいとする自己防衛本能があるらしく、その忘れて仕舞いたいとする本能に抵抗する事は、心が重く、辛い事だと自覚しているところです。

 しかし、時と共に忘れて仕舞う前に、もう少し、備忘録として残しておきたい事も…と言う思いもあり「四畳半独房日記」の補足をもう少し…と言いながら、思い出して書こうとする度、気が重くなって、仲々、筆が進みませんでした。

               改めて、四畳半独房日記の補足・備忘録

 まずは、そのプロローグです。

 2012年10月11日(木)、朝9時過ぎ、突然やって来た刑事2人の1人、T刑事と、置き忘れられたと決めつけた金を、盗った盗らないで、2時間にも渉る激しい口論の末、もう1人のM刑事が、大きなリュックサックのチャックを開け、「逮捕状」と手書きされた茶封筒(A4サイズ位)の文字を見せて、逮捕状の呈示もなく、手錠をかけ「11時30分!煙石博を逮捕する!」と言って、広島南警察署に連行しようとしました。

 私には全く身に覚えの無い事で、斯くなる上は、署に行って盗ってない事を説明・主張すれば判ってもらえるだろうと覚悟を決め、仕方なくワゴン車に乗りました。妻も同行させて下さいと言ったのですが、「奥さんは乗せる訳にはいかない」と、拒否されました。
 南署は家の近くですから、妻には自転車で付いて来る様に頼み南署に向かったですが…。
 私は、ワゴン車の中で手錠をかけられた様に記憶していますが、手錠姿の私は、そのまま署の留置場に入れられて、妻と引き離されて会わせてもらえませんでした。
 私は最初から、起訴される事が約束された被疑者として、留置場に入れられる段取りとなっていたのです。

 ワゴン車で南署に連行された私は、刑事に引っ張られる様にして、留置場に続いている南署の取り調べ室らしき所に連行されるのですが、そこに行く途中、強烈に脳裏に焼き付いている記憶があります。
 それは、突然、有無を言わせず、強引に手錠をかけられて、何が何だか気が動転している私を、多くの署員(?)が見ている職場(執務室?)の前を歩かされました。
 私は、定年までRCCのアナウンサーとして働いていたので、RCCの煙石さんだと気づく署員も多いのではないか…手錠をかけられた私の姿を見られている…どうしよう…どうしようと思っても、どうしようも無い恥辱。目から火の出る様な思いに、頭も混乱し、気も動転して、これまでに経験した事も無い絶望感と屈辱…。
 今思いますのに、江戸時代、罪人を、まちなかを引き回して、さらし者にした「市中、引き回しの上…」と言うくだりを読んだ事がありますが、それは、手錠をかけられた姿を人前に晒す事によって、心理的な打撃、ダメージを与える為に計算された事だったのでは無いかと思えてなりません。

 取り調べ室に入れられた時の事は、何が何だか判らぬままで、記憶も、かなり飛んでしまっています。私の盗っていない説明等、全く聞かれる事も無く、調書の様なものをとられて、手錠をかけられたまま、すぐ近くの鉄格子の扉が開けられ、数メートル位の廊下を連行されました。
 そして、その先にある、またもう一つの鉄格子が開けられて、留置場に入り、さらに、少し歩かされて、13号の鉄格子の中へ、押し込まれる様に入れられました。

 今、思い出しても、いや、思い出したくも無い事ですが、思い出しても辛く…苦しい…具合が悪くなりそうな…絶望の淵へ突き落された様な精神状態でした。私は、まだ取り調べもされていないのに、南警察署の留置場(のちに、刑務官から、聞きもしないのに「ここは、代用監獄と言うんです」と、ご丁寧な説明を受けた。)に…、金を盗っていないのに、28日も留置される事になりました。


            あってはならない、信じられない刑事のウソとデッチ上げ

◎最初から、防犯カメラの映像に証拠が映っていると言って逮捕したのに、裁判になって…広島高裁での裁判では、私の方が、専門の鑑定業者に映像鑑定してもらうと、私が封筒に触れていない事が判った。

◎置き忘れられたとする封筒を手にして、場所を変え、金を抜き盗ったと決めつけていながら、封筒にも、封筒の中に残されていた所有者の住所、氏名が書いてある税金の納入書にも、私の指紋は全く付いていない事が判っていた筈なのに…逮捕した

◎「左手で左胸のポケットに、盗った金をねじ込んだ」と言って逮捕したのに、銀行に着て行ったシャツは、珍しくポケットの無い、半そで、アロハタイプの開襟シャツであった。

◎私は、盗っていないので、いくら金が入っていたかは全く知りませんから「なくなった金は、いくらですか」と聞くと、「言う訳にはいかない」と教えてくれず、いくら金が入っていたのかは、何回目かの取り調べの合間に、ポリグラフ(ウソ発見器のようなもので、事件に関する内容についての質問に、全て「いいえ」と答えるテスト)の検査の時、66,600円の、現金の内訳に関する質問で、金額を知る事になる。
◎取り調べは、全く取り調べではなく、私がいくら盗ってない事を説明しても、すべて聞き入れてくれず、「お前は、ウソばかり言っている!マスコミが報道したから、世間の人はお前を窃盗犯だと思っているんだ!!」等と言ったりして、私の無実の説明を調書に書いてもくれない。とにかく、最初から、刑事は、辻褄の合わない、私の窃盗ストーリを作文していて、何が何でも、強引に、それを認めさせ様とする有罪結論ありきのものだった。
◎最後に、私がお金を盗っていなかった事を証明したのに、刑事らは、なぜ真犯人を捜そうともしないのか?何故、事件を解決しようとしないのか…。

 以上、再び、憤りながら、今後も、私の様な冤罪被害者を出さない為にも、勇気を出して、真実を綴らせて頂きました。私の思いがミミズのたわごととならず、ご支援下されば幸いだと思います。そして、もうひとつ、私の事件に関わった警察、刑事らは、私が失った、さまざまなものや、失った人権などに対して、謝罪もなく、反省の言葉もないのは、無責任で、今後の為にも、あってはならない事ではないかと思っていますが…納得出来ないところです。

 この続きは次号で綴ります。

   越へ行かむ辛苦の坂を青嵐あおあらし   ひろし
   憂ひ事あるやにバナナ湾曲す   ひろし

 くれぐれもお体ご自愛下さい。

煙石 博

2021年4月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien