煙石博のブログ

煙石博さんはある日突然に謂われなき罪に問われ、苦しんでいます
この苦しみは彼一人だけではなく、家族の皆さんも地獄の苦しみを
味わっています
このブログでは、その時々の彼の思いを綴っています

ブログ一覧

夏なのに、世の中まるで真冬…しかし、春の来ない冬は無い。頑張りましょう‼

2020.8.1 夏なのに、世の中まるで真冬…しかし、春の来ない冬は無い。頑張りましょう‼

 コロナウイルス終息の頼みの綱とされるワクチンの開発状況も伝えられますが、見えない敵との闘いは、まだまだ続きそうです。しかも、「第2波」かも知れない、ここ最近の感染者増加や、感染しても無症状の場合がある事と、感染者が増えるにつれて、感染経路が追えないケースも増えている事に不安をかき立てられます。そうかと言って、ただ、怖い怖いと恐れているばかりでも不安がつのり、混乱は増すばかりです。
 例えが良くありませんが、今、日本はコロナも含め、あれやこれやで、焼け付いた鉄板の上で不安と混乱の中にある様な…。特に、コロナの問題は、これは日本だけでなく、世界の多くの国々も同じ様な禍中にあるのですが…どこの国が、早く、この危機を乗り越えて行くか…。本当に、手に負えない困った疫病です。

 そんな中で、身の周りの動・植物は、人間のコロナウイルス禍は、どこ吹く風…。今年も、近所の小さな空き地に種をまいたオオマツヨイグサ(大待宵草)が育って、7月から、毎日、たくさんの花を咲き継いでいます。

 この待宵●●草は、♪♪待てど暮らせどこぬ人を、宵待●●草のやるせなさ こよいは月も出ぬそうな~♪♪という、竹久夢二作詞の「宵待草」のモチーフとなった帰化植物です。マツヨイグサは、北アメリカ原産で、幕末の黒船騒動のころ渡来し、オオマツヨイグサは明治になって日本に入り、日本中に広がったもので、一般では、待宵草、月見草として親しまれています。

    待宵の花や四弁の黄を命      ひろし
    月細りゆくに咲き継ぐ月見草    ひろし

 ところで、ここからは、話が少し飛躍して行きますが、恐れと不安と混乱の中で、これは以前から思っていた素朴な思いですが、日本では、昔から「幽霊」という存在が語られてきました。
 しかし、今では、現代の科学で合理的に検証され、その存在は、昔ばなしや、百物語、講談に残されている怪談話の世界のものとなっています。また、「幽霊の正体見たり枯れ尾花(枯すすき)」という諺もあり、さらには、「脚下を照顧せよ」という言葉もあります。…ここは慌てふためいてはいけません、冷静でありたいもの…。

    露草や脚下照顧の瑠璃るりの色    ひろし

 「悟りは脚下にあり」と言いますし、「敵を知り己を知れば百戦あやうからず」等と、思いをめぐらします。冷静に考えてみれば、見えない敵は、医学・科学の目でよくよく見なければ、そして、我々皆も、よく理解しなければ…。ここは見えない敵を、医科学的に、しっかり分析して対応する事は勿論、不安と恐怖を募らせるばかりでなく、感染の有無を、さらに充分に検査する必要を感じます。しらみつぶしに、新型コロナウイルスに感染している人をピックアップする事によって、ウイルスをつぶし、活動を弱めていく事ができないものかと思います。(費用の面や医療従事者の不足と言う事もあるかも知れませんが…。)

 しかし、このブログ原稿を書いている7月24日の今、TVが、「コロナが蔓延して、非常事態に陥ったニューヨーク市が、無料で、徹底したPCR検査体制をつくり上げて、その危機を脱し、成功している」という事を、伝えています。日本も、良い例は早く取り入れても良いと思うのですが…このあと、どうなりましょうか。
 これは、私の、さらなる願いで、不可能かもしれませんが、コロナウイルスの感染者かどうかを、瞬時に検査出来る、コストのかからぬ、簡易な「リトマス試験紙」の様なものが作れないものか…。そうすれば、見えないウイルスの不安から、かなり解放されて、日常生活を少しでも取り戻す事が出来るのではないか…と、思うこの頃です。

    冷酒ひやざけみるソーシャルディスタンス    ひろし
    コロナ禍の距離置かさるる夏寒し      ひろし

 何もかも厳しき日々、呉々もお身体ご大切になさって、お元気でいらっしゃって下さい。

                                           煙石 博

2020年7月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

2020年7月1日 6月を振り返って…

2020年7月1日 6月を振り返って…すでに夏バテ、コロナバテ…

 相変わらず、コロナと対う日々を強いられていますが、右を向いても左を向いても、マスク・マスクの、目だけの顔・顔・顔で、それこそ、宗教法人、大日本マスク教団でも出来たかの様な、奇妙な景色です。時に、マスクを忘れて外出すると、マスクの群れの不気味な視線を浴びて、何か後ろめたい気分になったり不安を覚えたりする時もあります。思い返せば、コロナ騒ぎの始め、普段使って来た使い捨てのマスクが店頭から消えて、日本中が大騒ぎになりました。しかし、太平洋戦争後の昭和に生まれた、ベビーブームの一期生と言いますか、(団塊世代と、異人類扱いされたものでしたが…)古い昭和生まれの私がすぐに思った事は、私共は、子供の頃から、自分のマスクを洗って何度も使うのが普通でしたから、冷静な目で受け止める事が出来、使い捨てマスクが無ければ、自分で作れば済むことなのにと思って、慌てる事もありませんでした。使い捨てのマスクを買って使う様になったのは、私共の世代にとっては最近の事で…ふと、時代を感じた事でした。

     バナナ熟れ団塊世代高齢化     ひろし

 ところで、数年前、花が咲いている鉢植えの 仙人掌サボテンを頂きましたが、その後、花を咲かす事が無く、育て方が悪いんだろうと諦めておりましたら、嬉しい事に、先月、6月10日に、一花だけ見事な花を咲かせてくれました。

      仙人掌さぼてんや心に咲ける故人あり     ひろし

 歳と共に…鬼籍に入って仕舞った知人、友人へ手を合わせる事も多くあり、私の寂しい胸の内へ何かを語りかけ、再会の喜びを交わしてくれている様な…、生きさせて頂いている事に、感謝・感謝・感謝。
 さて、このブログ原稿を書いている今日は、6月25日(木)ですが、旧暦の暦に、旧五月五日、旧端午の節句とありました。昔の様に菖蒲と蓬を括って軒に いたりしなくなりましたが、 ちまきや柏餅を食べたり、菖蒲と蓬を括って風呂に入れ、菖蒲湯を愉しむ習慣等は、辛うじて(スーパー銭湯等で)残っている様に思います。
 我が家では、菖蒲(花菖蒲では無い、香りのよいサトイモ科の植物の菖蒲)が手に入りにくいので、毎年、道端に生えている蓬を少し刈ってきて湯船に浸し、蓬風呂として昔の端午の節句の季節感を愉しんでいます。私の若い時の拙句…蓬のほのかな緑の香の中で…

     菖蒲湯の湯船たっぷりとっぷりと     ひろし

 今年は、今の暦の6月25日が、旧端午の節句でしたが、遡ってみると、今年は、過去10年間で最も遅い旧暦の端午の節句だった事を知りました。旧暦は、草木の成長の目安になる自然暦でもありますから、この旧端午の節句も、蓬や菖蒲の丈が整う頃だと言う訳です。時々、旧暦の暦で行事をチェックしてみると、私共の先人の知恵や、思いの丈が込められている事に気付き、考えさせられる事も色々ある様です。

 そんなこんなで、コロナの不安に振り回されているうち、早くも半年が過ぎてしまい、間もなく、梅雨も明ける事でしょう。ただ、梅雨の終わり頃には、送り梅雨と言われもして、激しい雨に見舞われたりする事があります。今年は、大きな水禍が出る事なく、梅雨が明けてくれる事を祈るばかりです。

     逆らはぬ ままなる風の 夏暖簾なつのれん     ひろし

 過酷な気候の折柄、おん身ご大切になさって下さい。

                                            煙石博

2020年6月27日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

コロナの事も気になりますが…銀行の防犯カメラ、1秒の空白は何…?

2020年5月30日 コロナの事も気になりますが…銀行の防犯カメラ、1秒の空白は何…?

 コロナウイルスと向き合う日々を余儀なくされる毎日が続き、色々な対策が講じられて来た中で、様々な事も見えた様な気がします。例えば、国と地方自治体の権限等のあり方も…それでいいのかどうか…。自粛の形や、経済対策…。又、心配される第2波・第3波の流行にどう備えるのか…。そして、近年、日本はオリンピックに向けて(1年延期となりましたが…)外国人観光客を当て込んで、経済面でも膨らんできた社会…それを当てにしていた業界、お店等がどうなって行くのかも心配されます。

 さらに、オリンピックが開催出来たとしても、世界中が、コロナウイルスという不安定要素を抱えてしまった中で、選手は勿論ですが、外国から多くの皆さんに来て頂けるのかどうか、そして、どうおもてなし出来るのか…。その前に、いつになれば、安心して外国人観光客を受け入れる事が出来、その対策をどうすればいいのか、どうすれば、コロナショックから立ち直れるのか、あれやこれやと憂慮される所です。

   雨粒の涙顔なる苔の花   ひろし

 そんな混乱のさなか、突然、降って湧いた、黒川検事を絡めての検察官の定年延長問題を巡る、不信一杯な話…「検察庁法改正案」は、検察OBや、一般世論の反対意見も高まり、結局、見送られましたが…。今回の事、とても良かれとは思えません。

 私は、定年過ぎて、人生の最後で冤罪と言う悲劇を体験し、「警察・司法の世界が壊れている」と言う、本当に嫌な事を身を持って知る事となりました。この体験から、他にも多くの冤罪被害が出ていて、日本の司法の有罪率99%以上と言う数字は、それを物語っていると言う事も知りました。黒川検事と検察官の定年延長を巡っての国会でのやり取りを見ているうち、広島地裁、広島高裁で、私が受けた信じられない、ひど過ぎる裁きを思い出しました。私も、そんな嫌な事は忘れたいのですが、警察・司法への不信感は拭いきれず、再び冤罪への怒りが込み上げて、やり場のない思いでいます。私が経験した警察・司法の許されない真実の一端を思い返してみます。これは、今のままだと、私だけでは無い、誰の身にも降りかかって来ると言う大問題で、絶対に、他人事(ひとごと)ではありません。
 まず、私の冤罪事件は、警察官が、善良なる一市民の私を、常識で考えても有り得ない、筋も通らない犯行ストーリーをデッチ上げて、逮捕状もなく、私を逮捕して手柄にした事から始まりました。警察官がデッチ上げた犯行ストーリーは次の通りです。

 ◎私の住んでいる町内の、いつも出入りしていた、広島銀行大河支店の狭いロビーの記帳台に、女性が置き忘れた?とする封筒を、私が盗って、数歩、歩いた場所で、中の66,600円(現金だけ)を抜き取り、そのあと、わざわざ元の記帳台まで歩いて行って、元の記帳台の同じ場所に、税金の納付書が残った封筒を戻したと言うものです。これらの事を、狭い銀行で、行員やお客さんのいる衆目の中で行ったというのです。

 ※お金を盗ろうとすれば、まず、発見した封筒を手にして中を覗いて、お金があると言う事を確認しなければ、盗ろうという動機は起きないのに、後に見せてもらった防犯カメラの映像には、勿論、そんな場面はありません。また、金を盗るのであれば、封筒ごと全部盗って帰るし、わざわざ証拠にもなる封筒を記帳台まで歩いて行って、戻して帰りません。しかも、その封筒には、私の指紋は、検出されていません。私は、その後、前もって払い出しをお願いしていた500万円を受け取って帰宅したというものです。

◎逮捕状も無く逮捕されて、広島県警南警察署の留置場に入れられましたが、取り調べは、とても取り調べと言うものでは無く、私が盗っていない事を、声がかれる程、一生懸命に説明し訴えましたが、全く耳を貸さず、刑事は「防犯カメラの映像に盗った所が映っている。証拠は沢山ある。」と、強調しながら、映像を私に見せる事なく、28日間も、留置場に入れて精神的苦痛を与え、机を叩き、威嚇して、ひたすら、盗っていないのに盗った事を強引に認めさせようと、自白を迫るばかりでした。

 ◎警察官は、初めから、盗ったお金を「左手で左胸のポケットにねじ込んだ。」としたが、銀行に着て行ったシャツは、左胸にポケットの無いシャツである事が、防犯カメラの映像で確認出来ました。結局、裁判では、盗ったお金を、どこにどうしたかについては、一切触れないで、初めから、警察官のデッチ上げたストーリーを鵜吞みに、論理矛盾を隠そうとするもので、非科学的で理屈の通らない有罪ストーリーを正しいと認め、有罪へのエスカレーターに乗せられた様な壊れたものでした。「警察・司法」の組織に自浄能力が無い事なのか…。こんな事はあってはなりません。悪い刑事の、卑劣で執拗な自白の強要に負けそうになりながら耐え、自白も、示談もしないで、裁判する事に決めた後、証拠の防犯カメラの映像の一部、数秒間の物を、数カット見せられましたが、何が何でも、自白させる(お金を盗っていない私に、盗ったと言わせる)為に、修正したのではないかと思える映像もありました。※盗った証拠も無いのに、私を犯人にデッチ上げようとした刑事、数名に、何のおとがめも無いと言うのも、納得出来ません‼

 ◎さらに、広島地検の検事には、私が盗っていない事を必死に訴えましたが、「煙石さん、お金を盗ったか盗らないかは別にして、66,600円にイロを付けて、10万円払えば済む事です。」(のちに、「きりのいいところで10万円払えば…」と、表現を変えた様にも思いますが…。)又、この検事は、「私は、何回も防犯カメラの映像を見ましたが、あなたは、お金を盗っています。」と、自信たっぷりに説明し、私には防犯カメラの映像を見せる事なく、示談を迫るばかりでした。しかも、この検事は、私に示談を迫ったあと、私の家族と接見し、家族にも、防犯カメラの映像を見せる事なく、(お金を盗っている映像は無いのに)「私は、何回も防犯カメラの映像を見ましたが、お金を盗っているのは間違いありません。」と、説明して、身振り手振りで、この様にしてお金を盗んでいますと、大ウソをついて騙し、示談する方向に誘導しました。
 ※後に、裁判になって、防犯カメラの映像を公開してもらいましたが、私がお金を盗っている確たる場面はありませんでしたから、見せなかったという事です。

◎結局、広島地裁では、防犯カメラの映像にお金を盗っている映像が無いので、封筒に私の指紋がついていないのは、「封筒に指紋がつかない事がある。」とし、「封筒があった記帳台の上面に触れたのは、被告人、煙石だけだから、煙石が、お金を盗ったと、強く推認する。」として、懲役1年執行猶予3年と言う、あり得ない有罪判決が出されました。怒り‼(※防犯カメラの映像は、後に弁護士さんが専門の鑑定会社に頼んで鑑定してもらうと、私が、封筒に触れていない事が証明されました。)

 ◎そして、広島高裁では、「防犯カメラの死角をついて金を盗った」として、地裁と同じ有罪判決。これについては、狭い銀行の、数台ある防犯カメラの、ⒶカメラからⒷカメラへ移動する間、なぜか、私の姿が映っていない1秒間があったのは確か…。しかし、専門会社が、狭い銀行内の防犯カメラを設置する時、そう言う空白は作らない様にすると思いますし、私が映っていない1秒の時間があった事に加えて、その1秒でお金を盗ったと推認された事が…腑に落ちません。しかし、1秒の空白がある映像でも、それを見ると、私は、ただ自然に歩いているだけの動作しかしておらず、この1秒に、金を盗って隠す様な仕草を推定する事は無理。とにかく、1秒では、お金を抜き盗って、隠す事は出来ません。

 話は、初めに戻りますが、コロナ問題で大変な時に提出された、黒川検事長を絡めての、検察官の定年を巡る問題は、不透明で、納得出来そうもなく…クローズアップされる形となった黒川検事長は、新聞記者と賭けマージャンをしていた事で、辞意を表明。これで幕を引く様な問題では無さそう…しかし、彼が、これまでにどんな仕事をして来たか、その一部を、新聞やTV、ネット記事で見ると…一般国民には納得し兼ねるものが幾つもあり、その大きな不信感に、冤罪の被害に遭って、人生も、多くの友人・知人を失った私も、憤りを覚える所です‼・・・いささか疲れました。マグマの様にたまっていた怒りが、又、又、爆発したもので…お許し下さい。
 最後に、新型コロナウイルスは、簡単には退治できない様で、ワクチンが出来る迄、当分、不自由な生活をしながら暮らしていかなければならないと言う事の様です。
 今はまず、コロナ対策ですが、同時に冤罪等を起こさない、司法を正す改革もお願い出来ませんでしょうか。

      憂い事あるやにバナナ湾曲す    ひろし
      フーテンの寅は昭和やバナナ買ひ  ひろし

 コロナウイルスには、まだまだ油断できず…。おん身ご大切に。共に頑張りましょう。
特筆 私の無罪判決が出た時の最高裁の裁判長、「鬼丸かおる」元最高裁判事が2020年春の叙勲で、「旭日大綬章」を受けられました。心よりお祝い申し上げます。

      旭日にかおるや富士は薫風裡(くんぷうり)  ひろし

煙石 博

2020年5月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

「朝の来ない夜は無い」 祈・コロナ終息。頑張りましょう。

2020年4月26日 「朝の来ない夜は無い」 祈・コロナ終息。頑張りましょう。

 新型コロナウイルスにすさむ世となって仕舞い、見えない敵との闘いが続きますが、そんな不安な日々の中、目に眩しい青葉若葉が、今年は、ひときわ、悔しくも、恨めしく燃え、季節は風薫る緑の五月へと…。

   コロナ禍(か)の大逆境の風若葉   ひろし

 このウイルスは、米粒の5万分の1という、電子顕微鏡でやっと確認できる程の超微粒子だそうで、質(たち)の悪い所が様々あり、飛沫や、付着した物から感染を拡げると言う、非常に強くて、厄介なマイクロウイルスだそうです。 あるお医者さんは、皮肉を込めて「とても、よく出来たウイルスです。」と表現していました。
 さらに、何も症状の無い無症状感染者が、知らないうちにウイルスを飛散させると言う大変厄介な敵で、大都市では(4月24日現在)市中感染が、かなり拡がっています。
 このウイルスは、自分が生きる為に、人から人へと取り付いて、急速に疫病が拡がって行くと言う、大変怖いものです。
 以下は、4月19日(日)のTVの報道番組で見た事で… 爆発的感染となったニューヨークで働く日本人男性医師(49歳)が、自らコロナに感染して、頭痛とものすごい倦怠感の末、限界を越えた様な熱と痛みと頭痛を伴って…死線をさ迷い、紙一重でこの世に生還した、思い返したくない恐怖体験として、日本の皆さんの為にと、まだ闘病やつれそのままの表情で話していらっしゃいました。この先生は、日本の私共に対して、

 ①酸素投与も受けていない軽症者だったのに…。
 ②「8割が軽症」と言う説明は、軽いカゼの様に思わせてしまうところがあって、余り良くないと思う。
 ③日本は大丈夫だろうと思っている方も、非常に沢山いらっしゃるんじゃないかと思いますが、本当に、経済も度外視して、みんなで家に閉じこもらないと、大変な事になる…もう既になって来ているのかもしれない…
(4月19日現在)

と言う、日本の私共に対して、鬼気迫る指摘をし、警鐘を鳴らしていらっしゃいました。

 今、日本は国難状況にありますが、私共が出来る事は、感染を拡げない為に努めて家を出ない事が、誰かの命を救う事にもなると言う事でしょう。 早く光が見えないものか…。
 これは、私が以前から思っていた、個人的で希望的な思いですが、日本は、アメリカやヨーロッパの国々には無い、雨の多い国で、これがコロナウイルスの狼藉を少しは弱めてくれるかも知れないと思ったりします。
 雨が降れば、飛散、浮遊して長く漂っているウイルスも、雨に洗われ地面に落ちて流されます。地面に落ちたウイルスが靴の底に付着したとしても、欧米では、外から帰って、靴をはいたまま部屋で生活しますから、靴底についたウイルスが部屋の中にまで入ってきますが、日本では、玄関で靴を脱いで家に上がりますので、そこでウイルスを防げます。そして、日本人は衛生観念が高く、清潔な生活習慣が日常的に身に着いていますし、挨拶も、握手ではなく、お辞儀です。欧米の様に、日常、ハグやフレンチキスをしませんし、とにかくしばらく、おとなしく謹んでいれば、何とか、おさまってくれるのではないか…。
 コロナ感染が、欧米の様なオーバーシュートしない事を切に願うばかりです。(4月24日現在)ここは、とに角、我慢と辛抱で乗り切りたいものです。

 そして、雨が味方をしてくれるかも知れないと言う私の思いは、特に、5月半ばを過ぎると、走り梅雨があって、6月は梅雨で雨の季節。(今年の梅雨は、恵みの雨をもたらす、優しい梅雨であってくれる事を祈ります。)
 私はコロナ籠りで、自粛生活。毎晩、家飲みでアルコール消毒していますが、先日のお昼、ウオーキング中に、チョウチョが2匹、縺(もつ)れる様に(濃厚接触?)飛んでいるのを、 足を止めて、しばらく見て居ました。

   コロナ禍(か)を知るや知らずや蝶(ちょう)縺(もつ)る   ひろし

 これは、4月の始め、ある方に電話をした時、話されたのですが「悔しいけど、今年はもう無かった事にしようと思った方がいい。改めて来年頑張ろうという気持ちでやりましょう。」と言われた事に何となく納得。 今年は、一点集中。コロナと向き合って、敵はコロナ‼ と気持ちを切り替えて、他の事は仕様がない…無理せずに生きた方が、気分が楽になる様な…。『生姜(しょうが)なければ茗荷(みょうが)で済ませ』仕様がなくても、何とかしましょう。知恵を出せば、何とかなるさ‼
   このコロナウイルスとの闘いが、早く良い方向に…終息してくれる事を祈ります。皆様も、ご用心され、呉々も、お身体ご自愛なさって下さい。          煙石 博

2020年4月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien

ムーンライト・マスクマン…月光仮面…コロナはクルナ

2020.4.1 ムーンライト・マスクマン…月光仮面…コロナはクルナ‼

外に出ると、あちらも、こちらも、そして私も、マスク、マスク、マスク…。 世界中、コロナウイルスの脅威にさらされて、大変な4月になりました。
 そう言えば、私共の少年時代、TVに、「鞍馬天狗」「月光仮面(そのまま英訳すると、ムーンライト・マスクマン)」と言うヒーローがいて、どちらも、目を残して覆面で顔を覆っていました。このマスクマンは、正義の味方…立ち向かってくる悪者を倒してくれるヒーローでしたが、今の、我々マスク姿の人間は、目に見えない、悪い透明人間の様なウイルスとの闘いですから、始末が悪い。

     何も彼(か)も世は冴(さ)え返りウイルス禍   ひろし

 思えば、今年の旧正月(今年は例年より、ずいぶん早く、今の暦で1月25日)より前…その頃、どうも、中国の武漢という所で発生した新型コロナウイルスによる、咳(せき)を伴う熱と肺炎の感染症で、大変だと言うニュースが報じられてより、その後、よもや、世界中をこんなに震撼させる、大疫病騒ぎになろうとは…。
 そして、ダイヤモンドプリンセス号の乗客に罹患者が発見されてからの混乱…。その頃は、日本に暮らす私共には、これらの事は、まだ対岸の火事、この新型ウイルスは遠いもので、申し訳なくも、まだ、他人事(ひとごと)という感じでした。
 当時、行きつけの居酒屋に入店する時、ブラックな冗談で、「今、フカンショウ(不感症)?から来ました。」と言うと、馴染み客が、「そりゃ、武漢だろう…。」と、皆、笑ってくれていました。
 その後、プリンセス号の混乱が大きくなり、さらに、そののち日本での感染者が次々と出始める様になると、人前で、咳をするだけで、白い眼で見られる様にもなってしまいました。明治・大正時代の俳人で、のちに、寺男もして托鉢生活をし、自由律俳句の短律の特異な句境を開いた尾崎放哉(ほうさい)の、「咳をしてもひとり 放哉」という句がありましたが、それは、それこそ、「咳をしても白い眼 ひろし」…… そんな訳で、マスクも足りない騒ぎにもなりましたが、私共の世代にとっては、使い捨てのマスクをする様になったのは最近の事で、昔は、洗って使える布マスクをいくつか持っていて、それを洗って使っておりました。最近は、それに気づいてか、使い捨てではないマスクを持つ人も増えている様です。
 そのうち、感染は次第に世界各国にも拡がり、急激な感染拡大の為、外出禁止令も出てのゴーストタウン状態や、死者の数がニュースで伝えられる度に、不安が高まります。

  こちら、日本でも、春の訪れ等と共に、人の動きが活発になって、関東圏で、不要不急の外出以外は外に出ない様、自粛要請も出されましたが、当初、反応がにぶく、都心部で、昼・夜問わず、自粛しているとは思えない雑踏が、TVに映し出されていました。少し話が変わるかもしれませんが、つまり、これは日本人の心理の中に、今までに経験した事のないコロナウイルスに対して、まさか、自分は感染者にはならないだろう…と言う、まだ、「他人事(ひとごと)認識」がある事も、原因のひとつではなかったかとも思います。
 「他人事認識」と言いますと、私が身をもって経験した冤罪についても、ほぼ同じ事が言える様です。冤罪に対する一般の皆さんの認識は、その多くが、「あの人は、運悪く、たまたま冤罪に巻き込まれたのだろう。まさか、自分には、そんな事は起きないだろう」という、まだ「他人事認識」がある様です。
 このブログの最後に申し添えますと、逮捕・起訴されると、99.9%有罪と言う、日本の司法の有罪率は大問題なのですが、そもそも、国民の多くが、冤罪に対して、この「他人事認識」を持っているスキをついて、正しかるべき警察・司法が、論理的でなく、公正・中立・科学的でなくても、確たる証拠が無くても有罪と言う、信じられない間違った事をし、冤罪を出し続けるのだと言う事を、身をもって知らされました。私の体験から、そんな日本の警察・司法のあり方を正しく改めていかなければ、日本の冤罪は起こり続けると言う絶望的な思いを抱くばかりです。

     ウイルスの不安の空を燕来る       ひろし
     「考える人」も朧(おぼろ)のロダンの像   ひろし

 この、我々人間と、コロナウイルスとの闘いが、少しでも早く良い方向に…終息してくれる事を祈るばかりです。 皆様におかれましても、ご用心され、呉々も、お体ご自愛なさって下さい。
                                       煙石 博                              

2020年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien