「夕凪の街 桜の国」漫画家:こうの史代さんの講演

2017年4月23日           「夕凪の街 桜の国」漫画家:こうの史代さんの講演

 私の無罪が確定した間無し、3月15日の「ひろしま市民と市政」で、広島のまんが図書館の20周年を記念して、今や映画にもなり、全国区の漫画家になったこうの史代さんの講演会の告知が目にとまって、応募しましたら、運よく抽選に当たりました。
 こうの史代さんには一度もお会いした事はありませんが、ひょっとすると、お父さんは、随分昔の私の酒友(私より年配で、いいお仕事をされている方だったので、酒の友と言うのは失礼ですが・・・)のお嬢さんではないかと思っておりました。その方は建築関係のお仕事をされていて、趣味は写真撮影(プロ並みの腕の持ち主)、何事にも一家言お持ちの、愉しいお酒を飲まれる方で、大変人柄の良い、おもしろくて、真面目な方でした。酒席の座が盛り上がると、とてもいい声で春日八郎の「山のつり橋」を歌われ、居酒屋の人気者の一人でした。若かった私や、別の酒友が、それをジョークにして、「煙石が歌います。春日八郎の『山のつり橋』。🎶山のつりはしゃ~ くさ~っておちた~🎶 おそまつ‼。 春日十(・)八郎(・・)でした。」(笑)
 ある時、「うちの娘が漫画家になりたいと言うとるんじゃが・・・」と言って、話をされるようになり、私も、描かれた漫画を見せてもらった記憶がありますが、そのころ、のちに漫画家で成功するとは誰も思いませんでした。その後、そのお店がなくなり、お父さんともお会いする機会もなくなりました。

 時は流れて、「夕凪の街 桜の国」という広島弁の漫画が出版、話題になって、ひょっとすると、作者は、昔々、お酒を一緒に飲んでいたあの方のお嬢さんではないかと思いながら、確かめる機会はありませんでした。さらに、「この世界の片隅に」というこうの史代さんの作品が、アニメ映画になったので、家内と見に行き、とても心を動かされました。
 4月22日、会場の段原の映画館は、早い時間から沢山の人が来ており、人気の程を知りました。講演では、漫画を描く時、大切にしている事や、色々描き方を工夫している事などを聞きましたが、苦労話を苦労話としてではなく、わかりやすく楽しく話をされました。

 講演が終わり、ステージを下りた出演者を見送る時、ファンとの交流があり、私はどうしようかとためらいながら、それを見ておりました。あの酒を酌み交わした方のお嬢さんだろうなと思い続けていた私ですが、もし違っていたらどうしようか・・・と思いつつ、勇気を出して、こうのさんに声をかけました。旧姓の「〇〇さん」と言うと、彼女がはっとして、こちらを向きました。「あなたのお父さんは〇〇さんですね。」と言うと、「そうです。」「私は煙石博ですが、お父さんは、まだお元気でいらっしゃいますか?」と尋ねると、「ええ、元気です。」と笑顔の答え、「父は、いつも煙石さんの『なんでもジョッキー』を聞いていました。あっ!嬉しい!握手をして下さい。」と気さくに握手をして下さいましたが、それは逆で、今ではむしろ、私が握手をお願いする側ですのに・・・私も嬉しく思いました。
 彼女は、私の事件をニュースで知っていて、「煙石さん、大変だったんですね・・・」と労って下さいました。私は「えらい目にあいました。あんな事があってはいけません。それよりも、こうのさん、これからもお元気でご活躍を。」・・・。短いやり取りでしたが、お父さんに負けない人柄の良い、こうの史代さんであったことに感動しました。

追伸 漫画や映画の登場人物が使う広島弁が大変しっかりしているので、方言の専門家か監修者がいるのではないかと思っていましたが、あれは、元々こうのさんが広島弁の使い手で、広島の方言で漫画が描きたかったからということがわかりました。こうのさんは、彼女の世代では、大変貴重な、正調広島弁を伝える方だと認識しました。
 「そういやぁ~、お父さんも、コテコテの、ええ広島弁をつこ~とりんさったのぅ。」

煙石博

2017年4月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien