思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記 孤独と恐怖の留置場

2016年11月15日 思い出せば…怒り!その4 四畳半独房記 孤独と恐怖の留置場

 南署の取り調べ室で、名前、生年月日、住所、血液型、利き手などを聞かれ、それらに答えたと思います。私は「証拠という防犯カメラの映像を見せて下さい。」と必死に何度も頼みましたが、「見せられない。」の一点ばりでした。「わしは金を盗っとらんのじゃけぇ、家に帰らして下さい。」とも言ったと思います。
 何かの調書に拇印を押した記憶までは残っていますが、自宅での激しいやり取りの高揚も収まらないまま、状況が全く把握できず、細かい記憶がありません。・・・この時まだ私は、お金を盗っていないという事を説明すれば、分かってもらえるだろうと思っておりました。

 私は真実、お金も何も盗っておりません。

 パニック状態の私に、「弁護士は、“コクセン”にするか、“シセン”にするか。」と刑事に聞かれましたが、何のことか意味すらわかりませんでした。国がランダムで選ぶ弁護士(国選弁護士)にするか、自分で弁護士(私選弁護士)を頼むかという説明を受け、知り合いの弁護士事務所に頼む事にしました。この時にもまだ、大変な事態に巻き込まれている事に、全く気付く余地もありませんでした。
 その後、取り調べ室から連れ出され、通路の少し向こうにある鉄格子を開けて、留置場の中へと連れて行かれました。そこで、持ち物を全て取り上げられて、薄暗い留置場のひと部屋に入れられ、鉄格子の錠をかけられました。その後は勾留28日間、名前を呼ばれる事はなく『13号』と呼ばれました。
 留置場の部屋は、大変薄暗く、コンクリートの打ちっぱなしの様な壁に囲まれていました。小さな窓がありますが、分厚いすりガラスで、外の様子は全く見えない、昼夜が何となくわかる程度の小さな明かり取りでした。床は畳4枚をそのまま並べただけの長方形をしたうなぎの寝床の様な部屋でした。畳は薄汚れて何かねちゃねちゃしている感じのビニール畳でした。部屋の奥には、下半身だけ隠れるようになっている半畳ばかりの和式トイレがあり、暗くじめっとした薄気味悪さを感じました。
 部屋には、一切私物は持ち込めず、毛布一枚と、一巻のトイレットペーパーだけを渡されました。めがねを拭くのにティッシュペーパーをお願いしたのですが、それすらも断られました。もちろん腕時計や携帯電話も取り上げられ、外との連絡はできません。夜9時から朝7時までは、私の日常生活に必要なめがねも取り上げられました。思い浮かぶことや、伝えたい事をメモしておこうにも、机も筆記用具もなく、外界との接触を全て遮断されてしまいました。
 夜、私選で依頼したM弁護士と接見。
 その夜から、理不尽に逮捕・連行された怒り、それに「孤立した」という不安が加わり、一人どうする事もできない混乱した精神状態で「眠ると殺されるのではないか」という恐怖に震えながら、ふた夜(よ)、一睡もできませんでした。

・・・更に絶望と怒り・・・続く                煙石 博

2016年11月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien