「ウニホ―レン」はうまいが…涙とため息が出る…辛い話

2020年2月1日  「ウニホ―レン」はうまいが…涙とため息が出る…辛い話

 私のえん罪の事実を取材し、何回も記事にして、雪冤の支援をして下さった『冤罪ファイル』の最新号冬号が、 昨年の12月頃、書店に出て、私も買い求めましたが、すぐに売り切れ、追加注文があったようです。
 相変わらず、納得のいかない、あってはならない、えん罪があとをたたず、又又、腹立たしく暗い気持ちで怒りを覚える事です。

 ところで、振り返ってみると、私が忌まわしい、えん罪被害を体験してから後、銀行には、今でも一人で行きたくありませんが、その他の場合も、一人で行動するのが何となく不安と言う思いが残り、長らく、出来るだけ誰かと行動を共にする事が多くなっておりました。気がついてみると、家内と一緒に出掛ける事も多くなって来て、いつの間にか、それが習慣の様になっている様な気がします。
 ただ、私も古いタイプの日本の男で、夫婦二人で歩くと言うと、周囲の目が気になりもして、何か気恥ずかしいと言う様な気持ちがありましたが、そう言えば、戦後昭和時代に読んだ幾つかのエッセーでも、『日本では周囲を気にして、夫婦一緒に出歩く事を憚る夫婦がまだまだ多いが、欧米では、まず家庭、家族が第一で、昔から夫婦が一緒に歩く事は、自然で当たり前。周囲も、何の抵抗もなくそれを受け入れている…』とあった様に記憶しています。それを意識してみると、確かに、外国映画や、欧米を紹介するTV番組でも、夫婦が自然に連れだって歩くシーンをよく見かけ(仲がいいのかどうかは知る処ではないが…)、欧米の夫婦のスタイルに納得、『なるほど、ちぎる秋なすび(笑)』

 まあ、そんな訳で、昔はスーパーやお店に行くのは全て家内だけでしたが、えん罪以降のある時より、家内のお供をする様にもなり、夕食を何にするか、私の希望を入れながら買物をする事もありますが、それよりも、酒の肴を私が選んだ方がてっとり早く、家内も助かるのでは…という気持ちからです。

 さて、ここからは、私の恥を忍んで正直にお話をする事ですが…。私は、元々細かい金銭感覚がアバウトなところがあり、それが高いか安いかを判断するのが苦手。と言う訳で、たまに一人で出かけた帰り道に、酒の肴をと、お店に立ち寄った時は、目についた品を買う前に、家に居る家内に値段などを携帯電話(ガラ携…)でメールして判断を仰ぐ事もあります。ま、たいがい「買わなくてもいい…。」という我が家の財務大臣・家内のメールが返って来る事が多いのですが…。
 これは、去年の暮の事ですが、とても悲しく怖い目に会いました。
 たまたま、一人で用事を済ませた帰り道、時々、家内と立ち寄る何軒かの食料品店の一つのお店の前を通りかかりました。ふとよぎったのが「今夜の酒の肴を…」と、そのお店に入り、商品表示の中に、ほうれん草、特価○○円と言う値札が目に入りました。
 そう言えば、以前買っていたウニを食べなきゃという思いがよぎり、ほうれん草にウニをからめる「ウニホーレン」がいいかも…。昔、知る人ぞ知る、「ウニホーレン」がうまいと言う記事を何かで読んだ時、それを知らない私は、そりゃ~ないだろうと思いましたが、試してみなきゃ話はできないと、食してみると…これがイケるんです。酒の肴にもいい。 ほうれん草だけよりも「ウニホ―レン」で食べると結構、箸もすすみます。
その時目にしたほうれん草を、買おうか…どうしようか迷い、例によって、家に居る家内へ相談しようとメールをしていたら、突然、お店の男性が怒ったような声で、「お前はそう言う事をしよるけぇ警察に捕まるんじゃ!!…表へ出え!」。予期せぬ出来事で、何が何だか混乱する私。狭い店内ですが、数人の女性客もびっくりする前で…私は、「ほうれん草を買おうか、どうしようかと、家内にメールして相談しようと思ったんです。」と、こわごわ答えるのが精一杯でした。店の男は、改めて「表へ出え!!」さらに、立ってこちらに近づきながら、出入口の方を指さし、「表へ出え!」なぐりかかってでも来そうな殺気を感じ、私は、恐ろしくなって、それ以上説明する事も、抵抗する事も出来ず、追い払われる犬の様に「ゴメンナサイ。」と言って店を飛び出しました。
 どんな思いで何を勘違いされたのか…、私が、煙石博だという言う事と、私の事件の事を知っていての事でしょうが、私は、屈辱的で精神的なダメージを受け、とても心が痛み、今でも滅入ってしまいます。
 「私のえん罪は、私は、何も悪い事をしてないのに…、ボーッとしていた訳でもなく、証拠もないのに、犯人としてでっち上げられ、ぬれ衣をきせられた被害者なんですが…。」
 思いますに、悪い事をしていないのに逮捕され、容疑者の段階でひとたび名前が報道された多くの方が、のちに、そうではなかった事が明らかになっても、今回、私が味わった苦痛の種を背負っているのだろうと思います。

 私は、4年5ヶ月の闘いの後、最高裁で無罪判決は勝ちとりましたが、冤罪の被害者にしてみれば、無罪は当たり前の事で…失ったものは返ってこないと言う、苦しく辛い本音もあります。少し前に、ある人が「ほんまに(本当に)えかったのぉ(良かったのお)。ほいじゃが(しかし)、まだ事件の顛末(てんまつ)をよお(詳しく)知らん人も、よけえ(たくさん)おる。無罪になって良かっただけでは済まされん問題じゃ。あんた(貴兄)の身に起きた事は、ひとごとじゃあないし、明日は我が身なんじゃがのぉ~…。」身に沁みる言葉…。悔し涙が心の中にあふれます。

   白梅に酌むや偽りなき友と            ひろし
   風花(かざはな)や悲嘆に暮れし日も斯(か)くや   ひろし

煙石 博

2020年2月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien