ムーンライト・マスクマン…月光仮面…コロナはクルナ

2020.4.1 ムーンライト・マスクマン…月光仮面…コロナはクルナ‼

外に出ると、あちらも、こちらも、そして私も、マスク、マスク、マスク…。 世界中、コロナウイルスの脅威にさらされて、大変な4月になりました。
 そう言えば、私共の少年時代、TVに、「鞍馬天狗」「月光仮面(そのまま英訳すると、ムーンライト・マスクマン)」と言うヒーローがいて、どちらも、目を残して覆面で顔を覆っていました。このマスクマンは、正義の味方…立ち向かってくる悪者を倒してくれるヒーローでしたが、今の、我々マスク姿の人間は、目に見えない、悪い透明人間の様なウイルスとの闘いですから、始末が悪い。

     何も彼(か)も世は冴(さ)え返りウイルス禍   ひろし

 思えば、今年の旧正月(今年は例年より、ずいぶん早く、今の暦で1月25日)より前…その頃、どうも、中国の武漢という所で発生した新型コロナウイルスによる、咳(せき)を伴う熱と肺炎の感染症で、大変だと言うニュースが報じられてより、その後、よもや、世界中をこんなに震撼させる、大疫病騒ぎになろうとは…。
 そして、ダイヤモンドプリンセス号の乗客に罹患者が発見されてからの混乱…。その頃は、日本に暮らす私共には、これらの事は、まだ対岸の火事、この新型ウイルスは遠いもので、申し訳なくも、まだ、他人事(ひとごと)という感じでした。
 当時、行きつけの居酒屋に入店する時、ブラックな冗談で、「今、フカンショウ(不感症)?から来ました。」と言うと、馴染み客が、「そりゃ、武漢だろう…。」と、皆、笑ってくれていました。
 その後、プリンセス号の混乱が大きくなり、さらに、そののち日本での感染者が次々と出始める様になると、人前で、咳をするだけで、白い眼で見られる様にもなってしまいました。明治・大正時代の俳人で、のちに、寺男もして托鉢生活をし、自由律俳句の短律の特異な句境を開いた尾崎放哉(ほうさい)の、「咳をしてもひとり 放哉」という句がありましたが、それは、それこそ、「咳をしても白い眼 ひろし」…… そんな訳で、マスクも足りない騒ぎにもなりましたが、私共の世代にとっては、使い捨てのマスクをする様になったのは最近の事で、昔は、洗って使える布マスクをいくつか持っていて、それを洗って使っておりました。最近は、それに気づいてか、使い捨てではないマスクを持つ人も増えている様です。
 そのうち、感染は次第に世界各国にも拡がり、急激な感染拡大の為、外出禁止令も出てのゴーストタウン状態や、死者の数がニュースで伝えられる度に、不安が高まります。

  こちら、日本でも、春の訪れ等と共に、人の動きが活発になって、関東圏で、不要不急の外出以外は外に出ない様、自粛要請も出されましたが、当初、反応がにぶく、都心部で、昼・夜問わず、自粛しているとは思えない雑踏が、TVに映し出されていました。少し話が変わるかもしれませんが、つまり、これは日本人の心理の中に、今までに経験した事のないコロナウイルスに対して、まさか、自分は感染者にはならないだろう…と言う、まだ、「他人事(ひとごと)認識」がある事も、原因のひとつではなかったかとも思います。
 「他人事認識」と言いますと、私が身をもって経験した冤罪についても、ほぼ同じ事が言える様です。冤罪に対する一般の皆さんの認識は、その多くが、「あの人は、運悪く、たまたま冤罪に巻き込まれたのだろう。まさか、自分には、そんな事は起きないだろう」という、まだ「他人事認識」がある様です。
 このブログの最後に申し添えますと、逮捕・起訴されると、99.9%有罪と言う、日本の司法の有罪率は大問題なのですが、そもそも、国民の多くが、冤罪に対して、この「他人事認識」を持っているスキをついて、正しかるべき警察・司法が、論理的でなく、公正・中立・科学的でなくても、確たる証拠が無くても有罪と言う、信じられない間違った事をし、冤罪を出し続けるのだと言う事を、身をもって知らされました。私の体験から、そんな日本の警察・司法のあり方を正しく改めていかなければ、日本の冤罪は起こり続けると言う絶望的な思いを抱くばかりです。

     ウイルスの不安の空を燕来る       ひろし
     「考える人」も朧(おぼろ)のロダンの像   ひろし

 この、我々人間と、コロナウイルスとの闘いが、少しでも早く良い方向に…終息してくれる事を祈るばかりです。 皆様におかれましても、ご用心され、呉々も、お体ご自愛なさって下さい。
                                       煙石 博                              

2020年4月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : masayukien